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#40 「練習」という言葉に逃げるな【一笑門 マガジン】

どうも、伊志嶺海です。

このマガジンでは、毎朝配信しているPodcastプログラム「伊志嶺海【一笑門 RADIO】」の内容を発信しております。

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おはようございます。伊志嶺海です。

「日本の夜明けを創る。」を合言葉に、相棒とともに夜明創造プロジェクト旦 -TAN-を運営しております。

今日は「練習」という言葉に逃げるな!というお話です。

先日職場の同僚にとある本を紹介してもらいました。

「記憶喪失になった僕が見た世界」という坪倉優介さんのご著書なのですが、坪倉さんは大学生のときに交通事故に遭い記憶喪失になってしまいます。本書はそんな坪倉さんが感じる世界の捉え方や感性が描かれており、当たり前に見て感じていたものが、坪倉さんの表現によって言葉のアートのように感じることができました。

その記憶喪失が想像を絶する物で、家族や友人のことだけでなく、「夜は眠る」や「ご飯はお腹いっぱいになったらそれ以上食べない」といった感覚すらも忘れてしまったのです。そもそも「ゴハンってナニ?」というくらいです。

そんな坪倉さんは美術を専門とする大学に通っていたのですが、事故の後に記憶喪失になってからも、日常における数々の苦難を乗り越えながら大学生活を過ごしていきます。

本書に書かれている坪倉さんから見えている世界や感じ方が、なんとも不思議な気持ちになるんですよね。感性の奥深さと好奇心が掻き立てられるような言葉選びで話が進んでいくんです。

そして、なーんにも知らない人間が「おかあさん」「あまい」「おとことおんな」そして「こい」などを感じていく様にものすごく引き込まれました。ある種クイズ感覚で、「これはなんのことを指しているのだろう」と読みながら考えたりもしました。

そんな坪倉さんは大学で草木染めを専門に勉強をします。とはいえ、そもそも「ひらがな」が何なのかすら分からなければ、授業で出てくる言葉の意味をほとんど分からない状態からのスタートです。形を真似しながらひらがなを覚えていたんですね。

坪倉さんのお母さんの大変な苦労も書かれているのですが、それでも息子を信じて一生懸命1から教えていき、大学卒業後はなんと草木染めの工房へ弟子入りするまで成長します。

工房に入ったばかりの頃は、トイレや玄関の掃除などの雑用ばかりさせられていましたが、「最初はこんなもんだろう」と一生懸命働きます。仕事が終わりみんなが帰った後に、遅くまで一人で生地を染める練習をする日々だったそうです。

ある日終業後に一人で練習をしていると、階段を上がってくる足音が。「まさかのどろぼう?こんな堂々と?」と思っていたら、それは師匠でした。

「おぉごくろうさん。こんな遅くまで何をしてるんだ。」

と言われたので染めの練習と伝えると、師匠は黙って坪倉さんが染めた生地を眺め出します。そして無精髭をなでながら、

「練習のための練習はいらない。」

と大きな声で坪倉さんに言ったのです。

この言葉を読んで僕は、とても感服しました。師匠は見習いの坪倉さんに、練習で失敗しないための練習ではなく、どうしたら人に伝わる着物を作れるかを考えろと教えたのです。

このとき坪倉さんは本番という責任から逃げていたわけではなく、早く一人前になるために研鑽していたのは間違い無いです。

ただこの師匠の言葉から、普段仕事をしている中で、「まだ経験がないから」や「もう少し上達してから」などと言って、なかなか本番に踏み切れないこともあるよなと思いました。それは「練習」という甘えに逃げているということです。

そして師匠は、まだ染められていない生地を坪倉さんに渡し、これからは実践に入るように言います。

坪倉さんは当時のことを、

「その生地にさわった瞬間に、すごく重さを感じた。
 それは生地の重さではない。責任の重さだ。」

と語っています。この生地には値段がついて、お客様の手に渡る。師匠は「練習」という言葉に逃げるなと自分に教えてくれたんだと。

練習を頑張ることはいいことですし、上達するためには欠かせないものです。しかしいつまでも練習練習と言ってはプロフェッショナルにはなれません。

一定数練習を重ねたら本番にトライする。そして出来ていない部分をまた練習してクリアしていく。この積み重ねと繰り返しが大事だということですね。

本書は坪倉さんの新鮮かつ斬新な感性だけでなく、多くの人にとって人生を豊かにする教訓も学ぶことができる一冊です。紹介したのはほんのほんの一部分なので、ぜひ手にとって読んでみてください。

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