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昔の常識って全然違ったのね|石炭が時代の最先端で石油は無用の長物だったって信じられる?

ある一冊の本を読んだ。海賊と呼ばれた男である。

本書では石油販売を通して国岡商店の発展を描いている。

今日の記事では、明治のころのエネルギー事情が、今とは全く違うことに驚き、むしろ新鮮だったのでそれについて書いてみたい。


石炭全盛の時代は、石油は見向きもされていなかった

今から100年以上昔の明治時代。とはいえ近代日本である。エネルギー事情がどんな時代だったかというと

・石炭で新造戦艦も作られていた時代。
・石油は臭い池と言われた時代、役に立たない
・当時は照明に灯油が使われていた。その過程で作られる軽油などは副産物の邪魔者扱い

今は石油全盛の時代に対して、本当に石炭全盛の時代なのだとまざまざと思った。

石炭の次は、電気の時代がやってくると信じられていた日本

興味深かったのは、実は電気の時代だと言われていたことであろう。
明治のころは、船や電車(汽車であるが)の動力は石炭であった。

石油といえば、照明に灯油が使われるくらいであった。その過程で生成されるガソリン、軽油、重油など。取り扱いに困っていたのだ。

さらに、時代が進むと電気が行き渡り始める。そうなると照明も電灯に置き換えられてますます灯油の必要性がなくなってきた。

明治はポスト石炭は電気であると考えられていたのは、数年前の東北の震災前の日本に似ている。石油からこれからはクリーンな原子力の時代。オール電化と言われていたころが懐かしい。

ただ、石油がまったくいらなくなったわけではない。
工場には多くの紡績工場が稼働しており、その機械の潤滑油には石油が使われていたからだ。

ただ、当時日本では車は数えるほどしか走っていなかった。今で言う電気自動車の出始めと同じように感じる。

車数台分の燃料しかないなら、石油はいづれは使われるとしても、当時は遠い未来のことだと思われていた。

石油の需要は急速に進み「油の一滴は血の一滴」の時代

同じ明治時代でも、車の台数は急速に増し、石油の需要は増した。そのころの少し前(1908年ころ)にヘンリフォードがT型フォードで成功し、急速に車が広まった。

そのため石油の需要が一気に増したからだ。

当時の日本は、「油の一滴は血の一滴」と呼ばれるようになった。この意味は油がなければ何もできなくなる世の中になってしまったのだ。
時代の変化はゆっくりしていても、時には急に来るものだなと感じた。

そこからは大東亜戦争(今では太平洋戦争:第二次世界大戦)では、アメリカから石油の輸出を禁じられた中で起きた油田をめぐる領土拡大の戦いであった。

常識は常に変わるということを肝に銘じたい。今ある常識は、数年後には変わることを考えつつ、常に未来に目を向けていこうと思った。

今回の引用:

この本は、出光石油の創始者をモデルにして描いた作品。
国岡商店の店主、国岡てつぞうが主人公にした作品。フィクションなのにリアリティがある。2冊組で量が多いのでオーディブルがおすすめである。

その前に、映画でも出ているのでそちらを先に見てオーディブルの方も2度味わえるので、それも良いかもしれない。

下巻も読んだので、感想を書きました。

人によってはこれはブラックと思うかもですが、ユニークな考え方であることは間違いなさそうです。

#3行日記


・仕事が最近楽しいのだ。楽しいけど自分の性に合っていることだから。そんな日々に感謝する。いつも書くことは、仕事か家族。それでもいいじゃないか日々小さな変化や発見があるからね。


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