「日航123便 墜落の新事実」を読んで|現代であの事故が起きたら、恐らく結果は違っていたかもしれないこと
トップに張り付けたのは、日本航空123便墜落事故のwikipediaである。
この事故は1985年に起きた事故であり、今から約40年前で起きた、単独機の航空事故としては日本最大であり世界最大の事故でもあるようだ。
乗員乗客524名のうち、助かったのはたったの4名のみ。事故の原因は、飛行機後方の圧力隔壁の破損であり、ボーイング社の修理ミスのようである。
と、私は、今の今まで思ってきた。
本書「日航123便 墜落の新事実」を読むまではそう思ってきた。本書を読むと本当にそうなのか?と思えしまうのだ。
果たして本当に事故だったのか?本当は事件ではないかと思うことが、いや事件としか思えないことがあるのだ。
本書を読むきっかけとなったのは、森永卓郎さんの「書いてはいけない」のうち3つ目の日航ジャンボ墜落事故の件で、何かを隠したいがため、墜落地点を朝まで隠蔽し証拠隠しをしていのではないかという疑惑から気になり、本書を読んだのである。
読めば読むほど、その疑惑は高まる。
「書いてはいけない」を書いた時の記事はこちら
本書が紹介する仮説をイラストにしてみた
本書を読んだ感想を自作のイラストでご紹介してみた。イラストにすると軽くみられそうなのと、不謹慎にも映るのだが。そこは敢えて描く。
不謹慎だから・・・、そんなのあり得ない・・・・、遺族に配慮がないと言われるとそこで、真実から遠ざかることもある。なのであえて本書を読んで真実の絵を自分で書いてみた。
なんとなくでいいです。こういうことなのです。あの時の事故がこのイメージなら良いのですが、違ったと思ったら本書をぜひ手に取ってもらいたいと思います。
異常を検知してから、ずっと2機の戦闘機が追尾していたし、駐留米軍が異変を察知し救助の許可を得ようも、日本政府側はなぜか拒否するし、飛行機の後ろの圧力隔壁に何か刺さっているように見えるし・・・・。
怪しいところが多いのがの日航機事故のようなのです。
1985年当時、事実を追いかけられたのはメディアの放送だけ
当時の一般人が情報が得られるのはラジオかテレビだけでした。テレビやラジオが放送しないと、たとえ現地で情報を伝えたとしても、ぼくたちには何も伝わってきません。
事故が発生して、あれだけ注目していたのに、18:15頃異常が発生し、その30分後墜落します。その前から異変は察知していてレーダーに追っていたのにもかかわらず、機体の発見は翌朝10時ごろです。
発見されるまでの間は、墜落地不明となっていました。墜落する機影を周辺の人たちは見ていた証言があるのにです。それが調べてみると後からでてきているけど、その情報がアップデートされないのです。
公表したことが真実となり、それは一度設定されると、書き換えるのは容易ではないようです。
謎の忖度はいろいろあるのです
何事も、「ここは触れてはいけない」というのがあるようですね。
例えば、身近である取り組みを全社を挙げて推進するとなったとします。それを進めていくと、どうやら取組み自体が無意味で、やればやるほど悪化するとわかったとします。果たしてそのことを進言できるでしょうか。
事に当たっているのは、自分たちだけではなくて、何百人の人が目標に向かってその取り組みを行っている。一つの方向を向いているのです。それらに対して、真っ向から、「この取り組みは無意味だから辞めよう」と進言できるかというと、相当の自信と勇気が必要で、実際はなかなか難しいと思うのです。
多分、上司に相談しても、まぁちょっと待てとなります。そして、もしかしたら公表はせずに、もっと後になって、信じられない話として語り継がれることになるかもしれません。
ことの大小はあるにせよ、そういうこと結構ありませんか?
現代に起きたら、もっとたくさんの映像がもたらされて、発見も早くもっとたくさんの人が助かっていたかもしれない
謎の忖度部分が多いのが日航機123号墜落事故のもう一つの側面です。つじつまが合わない部分が結構あります。1つ例をあげると、ボイスレコーダーとフライトレコーダーは事故が起きると公開されており、いままでもそうでした。
しかし、なぜかこの日航機事故に限っては、理由を遺族への配慮として完全公開されてないのです。遺族は知りたいことが山積みなのに、その謎の配慮があったりするのです。
そういうのがいっぱい積み重なっているのはこの事故のようです。もし現代でこの事故が起きていたら、目撃者はスマホで機影を撮りまくるでしょう。
機体の中から外から動画をいっぱい回して発信すると思います。
当時は見えなかったことが、もっと見えて、もっと発見がはやくてもっと違った結果になっていたのではないかと。ぼくは思います。
興味深い映像たち(閲覧注意)
今から約40年近く前に起きた事故ですが、今さらにみると、また違った印象を受けます。当時の音声・映像が入っているので閲覧注意をつけさせていただきました。
事故は高高度で発生していたのに、酸素マスクなしで機体を操縦できた謎にせまった映像
テロップは23年前となってますが、現時点からだと30年前くらいの映像のようですね。事故が起きて急減圧されたとされているが、パイロットは酸素マスク無しで操縦したようです。その謎に迫っています。
しかし、都合が悪いらしく、この映像はお蔵入りになったようですね
ボイスレコーダー等の情報をもとに、日航機墜落事故の発生から墜落までの一部始終をデジタル映像化
有志の方が作られた映像のようです。先ほどボイスレコーダーの情報は本書の内容を受けて公開されていないと書きましたが、これをみるとかなりの部分で公開されていることがわかります。
一部始終の軌跡と、当時の音声を重ねて作成されたようです。鳴り止まない警報音。当時の緊迫した臨場感が伝わります。長く苦しい30分だったんだなと思います。
#3行日記 :最近落ち気味かもしれません
最近は、ちょっと落ち気味かもしれません。何がと言われるとはっきりとは言えないけど、なんとなくそんな気持ちがするのです。
こういう日は無理せず過ごしたいと思います。
#1年前 :人との繋がりがあるからこそITテクノロジが役に立つ
IT技術の進歩で、本当に便利になりました。しかし、それを使うのは人と人とが協力することで成しえるのだなということがわかりました。
やっぱり相手がいて、コミュニケーションすることで上手くいかないことも解決の道につながっていくんだなと思いました。
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