ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#15 鉄アレイとAIR JAM

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#15 鉄アレイとAIR JAM」

 それまでBURNING SPIRITSを中心として活動していたDEATH SIDE、BASTARADの解散後、その2バンドから派生したJUDGEMENT、FORWARD、PAINTBOXという新たなバンドも結成され、鉄アレイの復活以降、平成8年である1996年から鉄アレイを中心としたBURNING SPIRITSは、新しい展開となり盛り上がりを見せていく。
 1997年以降は鉄アレイとFORWARDが中心となり夏のツアーやCHAOS U.Kとのツアーをまわり、全国にBURNING SPIRITSが定着していった。
 その中心を担っていた鉄アレイは、復活後のシ7インチシングル「FORCE」発売後、7年ぶりとなるアルバム「鉄アレイ Ⅱ」を平成10年である1998年に発売すると、その勢いはさらに加速し、様々な雑誌などにも取り上げられ、地方でも鉄アレイ観たさに新たな観客が増えるなど、一種の鉄アレイブームのようにもなっていた。事実東京で行われるBURNING SPIRITSでも、新宿アンチノックの前に長蛇の列ができるなど、過去にも類を見ない盛り上がりを見せていた。
 そして2000年になると、鉄アレイが日本でも有数のビッグフェス「AIR JAM」に出演することが決まった。

ここから先は

3,466字
この記事のみ ¥ 300

30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!