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健全な精神は健全な肉体に宿る???

『健全な精神は健全な肉体に宿る』

結構有名なこの名言っぽいものをどこかで聞いた事があるかと思います。

「だから体を鍛えよう!」という体育会系のノリ。

言わんとしてることはわからないでもないですが、イマイチ納得できません。というか嫌い。

健全な肉体を持つ者が健全な精神をもっているかと言えば必ずしもそうとは言えないと思います。

所謂”困ったちゃん”の大半は元気いっぱいの健全な肉体をもつ人々です。
ヤンキー・反社・迷惑クレーマー……いずれも立派な体躯を持っている人が多いと思いませんか?

何か変だな? と思い調べてみると腑に落ちる答えがちゃんとありました。

そもそもこの名言は古代ローマの風刺詩人「デキムス・ユニウス・ユウェナリス」の『風刺詩集』に登場した一節です。そしてユウェナリスは弁護士という肩書も持っていました。

弁護士である以上、理解しがたい目を覆いたくなるような事件にも接することがあったと思います。そういった経験から原本では、

「健全な精神が健全な身体の中にありますように、と願われるべきなのだ。」

と実際は書かれているのです。
つまり「そうあってほしい」という願いを表した一節で、ユウェナリスは「現実はそうでないことが多い」ことを風刺として訴えていたというのが真相です。

ではいつごろから本来の意味とは逆の使われ方がされたのか。

この言葉を日本に広めたのは、ジョージ・アダムス・リーランドであると考えられている。彼は現在でいう「徳育」「知育」「体育」の三育主義を掲げており、「Sound mind dwells in sound body(健全なる精神は健全なる身体に宿る)」として紹介した。これは西洋では17世紀のジョン・ロックや、ルネサンス期のレオン・バッティスタ・アルベルティら人文主義者によって既に用いられていたという。そして関東大震災後、赤化日本人防止のための思想善導にスポーツが用いられ、このユウェナリスの一節が引かれるようになったとする説がある。

Wikipediaより

さらに近代では、

ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄しながら、軍国主義を推し進めた。その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなった。このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ業界を始めとする体育会系分野において深く根付いている。

Wikipediaより

どうやらプロパガンダに利用され本来の意味ではなく広まってしまったようです。

ちなみに現在では、

冷戦も終わり軍国主義を掲げる必要がなくなったことや、解釈によっては身体障害者への差別用語にもなりかねないことから、多くの国では身体と精神の密接な関係とバランスを表す言葉として使われている。

Wikipediaより

とのことです。

裏を返せば、『健全な精神は健全な肉体に宿る』というスローガンが叫ばれ出したら危険なのかもしれません。軍国主義の始まりの合図かも。
要注意です。


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