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飛行機の本#3南方郵便機(サン・テグジュペリ)

サン・テグジュペリの作品は精読を必要とする。
サン・テグジュペリの作品は美しい描写を特徴とする。
サン・テグジュペリの作品は内心との会話を捉えなければならない。

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新潮文庫版「夜間飛行」の中に収められている。

「南方郵便機」はサン・テグジュペリの処女作である。世界的ベストセラーになった「夜間飛行」の2年前に書かれているが、同じくアンドレ・ジッドの序が与えられている。そして、両作品が堀口大学の訳で1冊の訳本「夜間飛行」として新潮社から出版されている。堀口大学は、この訳本のあとがきでサン・テグジュペリの作品の特徴を次のように書いている。

「『夜間飛行』に与えた序文の中で、アンドレ・ジッドは「『南方郵便機』より余計に、『夜間飛行』の方が好きだ」という意味の意見を漏らしているが、今度『南方郵便機』を翻訳して、自分にはジッドのこの意見が不思議でならなくなった。というのが、『南方郵便機』こそは、『夜間飛行』以上にジッドの心をうつはずの小説だと思われてならないからだ。もっとも、『南方郵便機』には、『夜間飛行』以上に、読者に精読を要求する作品だ。訳者の私如きも、お恥ずかしい話だが、最初二、三度読んだ時には気のつかなかったような部分に、翻訳してみて、初めて発見した稀有の美しさを数カ所持ったような次第だ。はなはだ失礼な推察だが、私はジッドが、『南方郵便局』を、この作品が要求する程度の精読を与えずに卒読してしまったものだろうと思っている。そうでないとすれば、私には、ジッドのあの序文の言葉の意味が解し得ない。『南方郵便機』に描きだされる広大なひろがりと深さを持った人生の行動と幸福追求のロマンチスムの精神が、ジッドの心を『夜間飛行』と同等あるいはそれ以上に打たなかったわけがない」

堀口大学はアンドレ・ジッドの読みが足りないと非難しているのである。アンドレ・ジッドはノーベル文学賞を受賞し世界的に影響を与えた文学者である。そして、サン・テグジュペリを世の中に送り出すことに貢献した。にもかかわらずアンドレ・ジッドに対して「この作品が要求する程度の精読を与えず卒読してしまったのだろう」と非難する訳者の堀口大学もすごい。堀口大学は、肺結核で断念したが外交官を目指したほどの語学力をもっていた詩人である。アンドレ・ジッドよりも年上で若い時にヨーロッパで過ごし芸術にひたっていた。そして帰国後は詩人や訳者として活躍する。

サン・テグジュペリの作品はみな難解である。フランス文学的な散文詩ととらえる視点が求められる。だから詩人堀口大学は精読を必要とすると唱えるのだろう。

サン・テグジュペリの他の作品でもその視点は必要である。「夜間飛行」も「星の王子さま」もである。両作品とも世界的にベストセラーとなってはいるが、アンドレ・ジッドでさえ「読みが浅い」と言われるほど精読をもとめらる難解な内容なのだ。堀口大学は、あとがきで続ける。

『南方郵便機』は、なぜさほどまでに読者の精読を要求するか?母岩が厚いからだ。見方によっては、これはあるいは、作の欠点になるかもしれない。しかし作者は、内在する金があくまで純粋であることを欲した。ために、母岩を貫いて金を取り出す仕事を読者の一人一人に残した。この仕事が精読である。その代わり、読者の前に現れるのは、初めて光にふれ、初めて空気にふれる処女金だ。人生の現実をリズムの高度にまで引きあげて、この高邁なロマンチスムを築き上げるには、この潔癖が必要であったと、心ある読者なら必ずうなずいてくれるはずだ。

レシプロエンジンはピストンの運動によってエネルギーをつくる。ピストン運動のため爆発音と振動音を連続して起こす。人によってはうるさいだけかもしれないが、この音が機械の起こす鼓動のように感じ機械とのシンパシーをもつこと人も多い。そしてオイルの焼ける匂いがつねについてくる。魅力的なのだ。かの白洲次郎も若い時、このエンジン音とオイルの匂いに浸ったオイリーボーイだった。自動車ではあるが…。

サン・テグジュペリもエンジン音とオイルの匂いに包まれて飛行をしたに違いない。そんなエンジン音とオイルの匂い中で、空の静寂さと自然の作り出す造形美に浸り、孤独と人間愛を感じていた。『南方郵便機』の冒頭部分は、その後の作品でも特徴となる美しい自然の中での飛行シーンがある。

「水のように澄んだ空が星を浸し、星を現像していた。しばらくすると夜が来た。サハラ砂漠は月光を浴びて砂丘へとひろがっていた。僕らの額の上には、物の形を示すというではなしにむしろそれを組み立て、それぞれの物に優しさを添えて見せる月の光がさしていた。足音を立てない僕らの歩みは贅沢な厚い敷砂を踏んでいた。日中の太陽の重圧から遁れた僕らは、いま帽子は被らずに歩いていた。夜はいわば屋内のようなものなので……。

サン・テグジュペリの作品はさまざまな人が時代考証をしている。このときの飛行機はおそらくブレゲー14型機であろう。300馬力の複葉機、操縦席の前に防風ガラスがついているだけで天候や風の影響をもろに受け、パイロットは飛行帽とゴーグルで顔を守る。そんな状況を念頭にこの冒頭を読み直してほしい。夜のサハラ砂漠を月の光を浴びながら飛んでいる。風景は月光のシルエットになっている。サハラ砂漠の上を足音を立てて歩いているわけではない。上空を飛んでいるのだ。エンジン音をたてながらも静寂のある風景である。夜はひろがっているのではなく閉じられた空間として感じている。

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新潮文庫版の表紙イラスト(宮崎駿)、おそらくブレゲー14だと思われる。

物語の舞台は、1920年代。フランスー南米線の郵便機がツゥールズから出発する無線で始まる。章ごとに無線で状況が報告されてから話が展開していく。郵便機の操縦士ジャック・ベルニスは、飛ぶことと居住することの狭間で苦悩する。飛ぶことは自分であり、居住することはジュヌヴィエーヴとの愛の暮らしなのである。おそらくサン・テグジュペリの当時の生活と恋愛を投影していると思われる。彼は自由人でありながら孤独をいやす愛に飢えていたのかもしれない。あまりに表面的な解釈かもしれないが、自由と恋愛なんてそんなもんだ。堀口大学の言う精読しないとわからない部分なのだろう。機微を感じなければならない部分なのかも。

しかし、パリの市(まち)における二人の会話に対して私には精読する力も体験も乏しいので詩人の境地に近づけない。ノートルダーム寺院での僧による説教となると何度読んでも理解し難い。ベルニスが女の脇腹に触れる場面でもあまりに内心との会話に終始し、おいおいどうなったんだともどかしさを感ずるのみである。表現がどうしても古めかしく、時代がかっていて何度読んでも精読まで届かないのだ。やはり飛行機が飛んでいる情景描写が美しい。だいたい飛行機を飛ばすこと自体がまだ冒険の時代にその情景を文学にまで昇華できたことを味わおう。黄色い砂の竜巻が舞い上がっているサハラ砂漠の上空で、発動機の水温が上がり回転数が落ちていく場面描写の方が私は好きだ。ベルニスはフランス軍の小屯所(駐屯基地?)に不時着する。そこには一人の老軍曹がいて孤立している。このできごとはそのまま「星の王子さま」のエピソードと重なる。恋愛の場面よりもこの軍曹とのエピソードの方が読み進めやすい。

サン・テグジュペリの作品は難解である。

「夜間飛行」
サン・テグジュペリ著
堀口大学訳
新潮社 昭和30年版 および 平成5年改版



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