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ニチニチコレコウニチザツキ

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ADHD気味という自己認識での日常生活。あちこちに興味関心が分散して突っ込んでいく自分を客観的にノートしてみようと思う。
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#上越市

高田の夜桜劇場

高田の夜桜劇場

一年を通して、この時期のみ味わえるぜいたくを満喫してきた。
今年は桜が咲くのが遅く、満開の日とお花見イベント最終日とがほぼ重なってしまった。夜桜は土曜日の今が最適と急遽、陽の落ちる少し前に家族で見に出かけた。同じ思いの人が多かったらしくて会場はすごい人出だった。

今年は博物館の屋上が解放されていて、ここからの眺めも新鮮だった。

三重櫓のライトアップも最高。今年は、外国人がとても多かった。アジア

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小田嶽夫の高田暮らし「濱谷浩との関係」

小田嶽夫の高田暮らし「濱谷浩との関係」

 元外交官で第2回芥川賞受賞作家の小田嶽夫(本名武夫)は明治33年、高田本町竪春日町(現上越市本町)の呉服商の家に生まれた。父熊吉も大きな呉服商の次男として生まれたが、三十四、五歳で部屋住みから三間間口の呉服卸商として独立している。母登美は直江津の重一屋という海鮮問屋の生まれで、初め大杉屋に嫁したがすぐに夫が亡くなったため、そこを実家として熊吉に嫁いできた。年子の兄、姉がいるが、かなりはなれて末子

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越後一宮(いちのみや) 居多神社、そして愛宕神社と白山神社

越後一宮(いちのみや) 居多神社、そして愛宕神社と白山神社

居多神社は越後一宮と言われる。『延喜式神名帳』(延長5年、927年)に居多神社が記載されており、そんじょそこらの神社とは格が違う。中世には越後国守護の上杉家が尊崇し、越後国一の宮とされている。何度か火災で消失したが、現在の社殿は平成20年に建てられたもの。小さい頃から近くに住んでいながら、改めて調べたことも真剣に見て回ったこともなかった。今回は、娘と五智トレッキングを行なった際に立ち寄って、このあ

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芽吹きの五智山、愛宕山トレッキング

芽吹きの五智山、愛宕山トレッキング

日曜日、近所の五智公園から五智山と愛宕山を歩いてきた。メガネとマスクで厳重に花粉対策をして歩いた。

まずは五智山。
交通公園に車を停めて、歩き出すとすぐに案内板。
こここら山に入る。
10分も登れば頂上だけど、看板も標識も何にもなかった。

たぶん、ここが頂上。
なんにもなかったので、いったん戻って反対側の愛宕山に登る。
こちらも10分ほどで頂上。

途中に愛宕神社。あとで行くことにしてまずは頂

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雪国の備え

雪国の備え

犬っころではなく、ポールを見て欲しい。
ポールの上に伸びているポール。

実際はこんな感じ。
あちこちにある。

道路のはばを表すポール。
雪が積もっても道路幅がわかる。
このポールを見ながら除雪車が働く。

こんな脇道にも。
さらに、雪に埋もれても使えるように3段階の高さの消火栓。

庭の植木には雪囲い。

業者に頼むと5万円から30万円。
身体が動くうちは自分でやらねば。

4月15日は、杉田庄一の命日

4月15日は、杉田庄一の命日

杉田庄一は、大正13年(1924)7月1日、東頸城郡安塚村小蒲生田(現上越市浦川原中区蒲生田)の農家で6男3女の次男として生まれる。山の中の家から毎日2km離れた安塚村立中保倉高等小学校に通い皆勤賞で卒業し、安塚農林学校に入学。1年の半ばで中退し、15歳で海軍に入隊する。少年兵から予科連に進み、戦闘機搭乗員となる。

昭和17年、ラバウル航空隊での初陣で、空の要塞と言われるボーイングB17を攻撃し

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梅が咲いている・・・・・春の気配

梅が咲いている・・・・・春の気配



散歩をしていると近所の家の庭木が今年の雪で相当ダメージを受けていることがわかる。無事な枝がないほど皆折れている。

折れた枝にもかかわらず山茶花がいくつか咲いている。けなげだ。

松の木も相当やられている。

むざんなや・・・

我が家の庭・・・あと少しで雪がなくなる。

我が家の庭木もほぼ全滅。先日、枝を切った。

先日処分したのにまだこれだけ残っている。