見出し画像

3年前の別府旅行(後編)

3年前に行った別府旅行記の後編です。ビジネスホテルに泊まってよく眠れました。やっぱりちゃんとしたベッド、睡眠環境は大切です。フェリーの睡眠環境とはやはり違う。リフレッシュできた私は、朝からまず散歩がてらに別府湾をランニングしました。仕事を一旦辞めて、実家の片付けに専念していたので、運動量が減るのが怖くてランニングはこの頃日課になっていました。

ホテルを出て別府タワー辺りから往復4キロほど走ってみました。元々旅行先まで行ってランニングするような人間では無かったのですが、旅先で走ってみたら思ったより非日常感が楽しくて、その土地の様子がよく見えて来るのが良かったのです。もちろんそのために靴はスニーカーで、ランニングウェアは持ってきてますし、その後シャワーかお風呂に入る前提ですが。

画像1

NHKBSで「ふらっとあの街 旅ラン10キロ」という旅先でランニングをしながら巡る番組がありますが、ランニングで巡れるくらいの距離感の街をあんな感じで巡れるのが丁度よいです。路地裏、抜け道も関係なく行けるので発見も多いです。

その日の朝は曇天で、季節らしい朝の寒さは厳しかったですが、走り出したら問題はなし。京都よりは暖かく、この日は風も海も穏やかでした。ただただ海際の歩道を走って、途中で防波堤の先まで行ってみたり。朝で人気もなく、建物も少ないため見所というのが特に海しかなかったですが、海と縁のない生活をしているので、海際を走るだけで楽しかったです。

軽く汗をかいてホテルに戻り、ホテルの温泉に入りました。掛け流し温泉が付いている分少し割高でしたが、朝一番で温泉に入れるのは最高でした。温泉は薄い緑色のナトリウム炭酸水素塩泉で、海際だからか塩味がありました。浴後、朝食を摂りましたが厚切りベーコンベーコンマフィンと新鮮な野菜サラダのプレートで大満足でした。

↑ 宿泊した掛け流し温泉付きのビジネスホテルです。

明礬温泉へ

チェックアウト後、別府駅に向かいバスに乗って明礬温泉へ向かいます。暫くバスに揺られて鉄輪温泉を過ぎて、山間に差し掛かったバス停で降りて明礬地獄の周りをぶらぶらしました。バス停から少し歩くと強烈な硫黄臭がし始めます。

明礬温泉の地獄は、明礬というアルミニウムと鉄の硫酸合物を自然から採取するための、伝統産業的な場所という趣でした。江戸時代以降、火薬や薬、その他工業用の明礬採集の場所だったそうです。今は主に湯の花としての入浴剤や美容用品の用途で湯の花が採集されています。時には脅威となる地獄と人との共存のあり方が垣間見られます。

画像2

画像3

画像4

道路の両側に湯の花や温泉が湧く地獄の風景。この竪穴式住居みたいな小屋の中で湯の花が作られて(湧いて)います。所々で熱気が噴出している場所があって、油断して近づくと火傷しそうです。大地のパワーを感じます。

立ち寄った岡本屋さんで地獄蒸しプリンとコーヒーを頂きました。カラメルがほろ苦くて、手作り感のある濃厚プリンでした。これも温泉の恩恵です。

湯本屋旅館立ち寄り湯

岡本屋さんを後にして、明礬温泉の中心部の坂道を下ります。途中でどこかの立ち寄り湯に入ろうと思って探してみました。それまで硫黄系の濁り湯にあまり入ったこと無かったので、ワクワクします。その頃は共同浴場に入るのに勇気が要ったので、入りやすそうな所はないか探すと、道なりに湯本屋旅館という親戚の家の様な旅館があるのを見つけました。500円で入れるとの事で行ってみました。平日の午前中のためか他にお客さんがいないので2つある浴室どちらも使って良いと言われました。それぞれアルミニウム-硫酸塩泉と、硫黄臭の酸性泉です。

画像7

まずはアルミニウム-硫酸塩泉のお風呂に入りました。酸性泉に入るのは初めてでしたか、グレーの湯船に入ると、湯船の底に泥状の温泉成分が沈澱しているのが分かり、手で掬えます。どうやらお湯を舐めるとレモンかお酢くらい酸っぱいそうです。ピリピリはしませんが、これまで入った温泉のではかなり刺激的で濃厚な感じがします。これが独り占めできる贅沢。

画像5

↑ アルミニウム-硫酸塩泉の湯船。

次に入ったのが硫黄泉。硫黄泉と言うだけあって強い硫黄泉がしっかりします。白濁の濁り湯で、こちらも濃厚さが分かります。こんなに濃くて個性の違う温泉を梯子できるとは思っていなかったので大満足でした。こちらも思ったより刺激は感じませんでした。湯本屋旅館さんの温泉は加水なしで、自然冷却して適温まで調整しているそうです。ありがたい。酸性泉は殺菌力があるとの事で、混ぜ物無しの温泉が何か肌に効いている気がしてきます。

画像6

↑ 硫黄泉の湯船。写真を撮り損ねていましたので、https://www.travel.co.jp/guide/article/27712/よりお借りしました。

明礬温泉からの迷走

明礬温泉で温まった後、特にどこへ行くのも決めていなかったので、まだ午前中という事もあり、とりあえず歩いてみました。明礬温泉の近くを通る東九州自動車道のアーチ橋「別府明礬橋」の下を潜って一路、鉄輪温泉まで歩きました。

画像8

江戸時代の湯の花の小屋と、この橋のコントラストが強烈でした。

鉄輪温泉は2回来た事があったので、この時は立ち寄らず、至るところで湯気の立ち上る温泉情緒のある町並みを懐かしみながら歩いて通り過ぎました。そのまま、別府周辺の旧石器遺跡をネットで検索すると出てきた羽室遺跡という旧石器時代から古墳時代までの集落遺跡があるとの事で行ってみる事にしました。羽室遺跡があったと思われる敷地は高校の跡地になってガランとしており、遺跡らしい痕跡はありませんでした。気を落とさず何となく道なりに歩いて、行ってみたい方角だけを見ながら谷合いに降りていくと、どんどん道が狭くなっていくのです。そして、道らしい道も無くなっているのですが、川を挟んで向こう側には民家が見えています。その辺りで、スマホの地図と睨めっこしていると農作業されている方が、「そっちからは渡れませんよ!」と声を掛けて下さりました。対岸が見えてるのに、行けそうで行けない妙な場所に入り込んだのに気付き、仕方なく来た道、しかも坂道を戻っていく羽目になりました。

何とか地図上で分かる確かな場所まで戻ったのですが、かなりの距離をロスして足が疲れてきています。「疲れた時は温泉だ!」と思い、既に別府駅から2駅の、別府八湯「亀川温泉」に近づいていたので亀川温泉の共同浴場を目指して、どんどん歩きました。

亀川温泉にたどり着く

温泉街とはひと目では分からない住宅地の間の公園の中に目的の共同浴場がありました。公園と同化しているので、公民館と見間違えそうです。

画像9

写真を撮って無かったので、公式HPより写真を頂きました。https://onsendo.beppu-navi.jp/y67/

いざ受付をしようと思ったら人がいません。「あれれ、自分で料金を箱とかに入れるシステム?」と思っていると、公園側でウロウロしていたお婆さんが声をかけてきて、受付をしてくれました。お婆さんがあまりに公園の雰囲気に溶け込んで、散歩している人だと思ってしまってました。

荷物があったので、コインロッカーは無いかと聞くと、「脱衣所が中だから、皆見てるし大丈夫だよ。」と言われ、中に入るとその意味が分かりました。初めて見る脱衣所と浴室が一体型のタイプでした。浴室は天井が高く、広いです。入ってすぐに階段を降りて、半地下になっており、レトロなタイル張りの床に「当たり」の予感がしました。

画像10

写真は「九州八十八湯めぐり」のHPよりお借りしました。https://www.88onsen.com/spot/detail/hid/38

四の湯の浴槽は別府共同浴場、いわゆる「ジモ泉」のスタンダードな小判型で、真ん中の仕切りで温湯、熱湯に分けられています。泉質は弱アルカリ単純泉で保湿成分メタケイ酸が多いとの事。別府の温泉にしては適温の温度で、歩き過ぎて痛くなっていた足が明らかに改善しました。

四の湯の温泉は建物の雰囲気が鄙びていて、天井が高く開放的。温泉も透明感がある清らかな湯で非常に私好みの温泉でした。体が疲れていた事もあって、温泉が身に染みてくるほどの気持ち良い体験でした。たまには道に迷ってみるものです。この旅で一番リピートしたい温泉となりました。

四の湯を後にして、亀川駅まで歩きました。途中も一見温泉街には見えませんが、よく見ると温泉施設が点在してます。中には寸志程度で入れるディープそうな共同浴場も見受けられ、入ってみたい気持ちもありましたがさすがに温泉の梯子をしてる事と、疲れもあって諦めました。

別府温泉の締めくくり

亀川から電車に乗り、別府駅に戻ります。「べっぷー。べっぷー。」といつもながら独特のイントネーションで到着を知らせてくれます。もうじき別府ともお別れです。

別府駅で残り限られた時間、お土産を買ったりもしていましたが、最後にやっぱりもう一風呂浴びて帰りたい。最後の温泉として選んだのは、別府駅からすぐの別府の顔的な共同浴場「高等温泉」にしました。

画像11

写真はMATCHAのHPより。https://matcha-jp.com/jp/5278?page=2

高等温泉は90年前からのレトロな町営共同浴場です。ぬる湯とあつ湯の浴室があって、ぬる湯はビギナーでも大丈夫な適温、熱湯は44℃くらいの玄人向きの湯です。別府の最後を飾る湯として、私はあつ湯を選んでみました。高等温泉も脱衣所から階段を降りていく半地下構造で、小判型の浴槽です。浴室の男女の仕切りが非常にポップでした。

画像12

写真はMATCHAのHPより。https://matcha-jp.com/jp/5278?page=2

やはり熱湯は強烈でした。入った瞬間熱さで衝撃が走り、鳥肌が立ちます。しかし、周りには地元の常連さんらしき方たちがいる中で去勢を張って、熱そうな素振りを見せないよう必死にこらえていました。

泉質は薄い赤褐色の弱アルカリ性単純泉で、保温性があり入った後ポカポカが持続しました。

帰りがけに常連さんらしきおじさんに話しかけられました。「どこから来られたの?」と言われ、京都からフェリーで来て今から帰る事を話すと、おじさんの家はフェリー乗り場までの途中にあるそうで、一緒に途中まで行くか聞かれました。しかし、荷物をロッカーに預けているので一旦逆方向の駅まで戻る事を伝え、お礼を言ってお別れしました。最後に温泉を愛する地元の方とお話できて良い思い出になりました。

さよなら別府

おじさんと別れ、荷物を駅に取りに行き、フェリーで食べる晩御飯をスーパーで買ってフェリー乗り場まで歩き、帰路に着きました。別府を出港する時、別府のフェリー乗り場から職員さんがいつまでも手を振ってくれたのが嬉しかったです。

短い行程でしたが、やっぱり別府は昭和の香りが随所に残っていて、鄙びた情緒が感じられる街でした。スナックでお酒を飲んだ時に、ママが昔の別府の華やかな時代の話をしてくれましたが、今では想像できないくらい煌びやかだったんだろうと思いました。そんな栄華を極めた時代と比べると、今は寂しく感じる部分と、良い意味で枯れている街の情緒が私は好きだと感じました。綺麗で整備されまくった小綺麗な街より断然好きです。そして何より鄙びた温泉、特に共同浴場の多さとその個性が一番印象に残りました。もはや文化として世界遺産級のものが別府にあると思いました。

ありがとう、別府。また行きますね。

教訓

最後に今回の旅行で一つの教訓が得られました。フェリーに乗って大阪に着く頃気付いたのですが、濃厚な温泉を梯子しまくった結果、顔の肌の状態が乾燥してバキバキにハニワの様になったのでした。こんなに沢山の温泉に入る事が無かったので、温泉に入りまくると油分が飛んで肌が乾燥してしまうのを知らなかったのです。あまりの乾燥っぷりに衝撃でした。

以降、温泉の梯子をする時は乳液を持って行くようにしました。

3年前の旅行を振り返って

3年前の旅行記を書いてみましたが、振り返ると当時は共同浴場に緊張したり、写真を撮って無かったり、ご飯は適当に済ませていたり、旅行の楽しみ方や選ぶ基準も今と比べると違っていたなと感じます。一人旅に行くようになって、こだわりが色々でてきて、自分なりの旅のスタイルができてくるなだなと思いました。この旅行は、その後の旅行の楽しみ方に影響を与える旅行だったと思います。






いいなと思ったら応援しよう!