見出し画像

公平、平等、定住

万博 岡本太郎
1970年、三波春夫の万博音頭に乗って、万博が開催されました。
鉄、コンクリート、ガラスの素材を用いたモダニズム建築や、あるべき都市の物理機能に従って建築物がゾーニングされつつあった都市計画の時代に  あって、当時、小学生であった身には、岡本太郎の作品(太陽の塔のみ      ならず、彼の作品全体)には、時代とは異なる何か異様さを感じました。
これは多くの人々の共有するところでしょう。                                              それは、まるで縄文期の土器に見られる炎が躍動し、人間の畏敬の念のように見えました。テレビCMと相まって作品だけでなく、本人自身が何か風変りなオモシロイおじさん的、でも、ああやって生きられたらカッコイイ、とも思っていました。

炎の造形
縄文期の炎のような土器の造形は、どこから生まれたのか?
何で、このような造形を当時のヒトは作ろうと思ったのか?
食物の煮炊きや保存のための土器なら、あのような造形は要らないだろうに、何故?これらの問いは、今日では推測するしかありません。
ただ、既述したように、人は祈り、神の存在を意識した時点で、私、君、  そして我々という三人称の存在を意識するようになり、そこから共同体や  美意識が生まれ哲学、思想が生まれた、としました。

定住3
縄文期は、人が定住しながら狩猟採集して暮らしていた時代です。    育ちやすい自生のイモを主食としつつ、木の実(栗の木を焼畑により植林 していたらしい)や身近な動物の狩りをしていました。遺跡からは、少人数
ではなく、既に共同体と呼べる多人数定住の跡も発見されています。
農耕と異なり、土地の生産性が低く、共同体を維持するには食料の公平な 分配が必要だったことでしょう。土地所有の意味が希薄な階層化以前のことです。共同体=三人称な社会、これを維持するには、近親相姦をタブー視し食料の公平な分配を約束する共同作業のまとまりを促す共有意識(ルールにようなもの)も必要となったことでしょう。
公平、平等な分配の中での共同体(農耕、弥生期以降から今日までとは、異なる共同体)は、権力階層による共同体及び自らの立場、子孫継承維持のため必要となる共有意識を、被支配階層へ幻想化させる必要性は、あまりなかったといえましょう。(吉本隆明の共同幻想論は参考になります)

定住4
縄文土器の造形の意味は、既に神、祈り、美意識、思想レベルにおいて、 それ以降の時代に比べ、遅れたもの、劣ったものではく、        むしろ社会システムを今日までとは異なったものに置く程に高度化された レベルにあった時代を、引き継いでいる表れと言えましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?