EngineeringとArt -確定と不確定-

普段、Webのフロントエンドエンジニアとして開発しながら同時にフォトグラファーとしても活動している。
全く異なる領域で活動していると、矛盾していることをしているような感じがしつつも、不安定で様々な変化が起こっていて更に加速する世の中で大事なことに気づいたので、書きなぐった。

エンジニアリングとアート二つの事象は全く異なる方向を向いてる

エンジニアリングとは不確定な要素を省いていくこと、つまりは未来を確定的にして行くこと
アートは確定的な要素だけでは成り立たない、不確定要素が入ることを受け入れることで作品としての面白みや深みが出る

エンジニアリングは、タスクやマイルストーン・要件や納期など決まった事柄があり、モヤモヤとした人の意見やメンバー間の認識のずれなどの不確定なもの大きな問題のたねを、最終的に自分たちが網羅した「つもり」になるまでそれらの要素を潰して行く。


一方、アートはアートそのものが不確定の塊である。ブレないコンセプトや目指したい明確な世界観はあるものの、そこに起因する物質や物事を全てコントロールするのは不可能。しかしながら、その不確定を容認することによって時には意図していないけど崇高な作品が出来たり、時には意図していたけど作品としての完成度がイマイチだったりというのはあるな〜と感じた。


インスタレーションや空間芸術などはまさにそうで、壁に描かれた絵やそこに置いてある物体に価値は無い(確定していること)。だけど、そこに人々の動きや気圧の変化、温度変化など(比較的不確定なこと)が加わることによって作品として完成したり、感じるアートとして出来上がる。そんな感じの偶発的必然が「体験」として最適で、それを望んでいる若者はたくさんいると思う。キャリアでも同じことが言えるはずで現在の自分のキャリアの7、8割は偶然から成っているという話があるように、人って偶然で出来てる。そう思うと怖くて眠なくなるなんて思うかもしれないけど、必ずしも嫌なことばかりではないし良いことが起こるように仕向けることも出来なくはない。

エンジニアリングとアート、全く真逆のことをやってるんじゃないか、なんか矛盾してるな〜とか思う次第。
だけど、両極端に突っ切ることや多動することって大事だし、今の時代では真を捉えたやり方だと思う。

じゃあ自分は「どちら」に行きたいか、結局のところやりたいのは「どっち」かとか的外れなことを聞いてくる人もいるけど、いまの時代に即していえば答えは「どちらも」で、厳密にいうなれば80%の安定と20%の大冒険。この比率は人による。ここでいう安定は、典型的な古い考え方の「安定」では無く複数の依存先に適切な分依存するということ。

勘違いして欲しく無いのは自分の自立や安定を誰の助けも得ずに自分の力だけで成していると言い張っているのは「自立」では無く「孤立」であり、真の意味での自立は「複数」の依存先に低リスクで適切な分依存するということ。これは、子供も大人も全てに言える。

安定とブラックスワン

良くも悪くも、一つのことに集中するとか100%の安定を求めるのは日本人は美徳とするけど、ブラックスワン(盲目的で起こる事情は極めて0に近いが、世の中に対するインパクトが甚大なことや影響)はどこにでも潜んでてこれから今までに無いくらい出現する時代にそのやり方は実は適してないとも言える。良いブラックスワンも悪いブラックスワンもあるので、とにかく分散させること、小さなリスクを許容する回数を増やすことが自分もしくは組織をを飛躍させるカギになったりもしている。そんでもって、偶発的な必然を起こせるように成っていければ結構ええ感じになると思ってる。

年功序列とか終身雇用とか大企業が安定だとか職業は永遠に続くとされていた年代の人たちには理解しがたいとは思うが、
職業が当たり前のように無くなり新しい職業が出てくるのを目の当たりにして来た僕らの世代では、「確定と不確定」に対するスタンスは持っておかなければならない。いや、持った方が明らかに幸せになれるといっても過言では無い。

それは、何もリスクに対することだけでは無い
自分の好きなことや夢中になってやってること、やりたい仕事達成したいことなどポジティブな面においても当てはまる事情である。

お金なんかのためにやっていたわけでは無いが、結果的にいろんな物を引き寄せたりいろんなチャンスやいろんな嬉しい報告などが自分の元へとやってくる、不確定は決して一概に悪者では無いことを認識してほしい。

そして、それはみんなが手にすることも出来る。

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