「最高価値」で生きることの気持ちよさ

先日、自分の尊敬する世界で活躍するフォトグラファーさんとよく撮影されているモデルさんとお話しする機会があり、初めて会うのに7時間くらい話し込んでしまい、そこで強烈なまでの気づきを得たのでそれを書きなぐってみた。ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しい。


あなたの好きな「コト」って何ですか?


おそらくこの問いを受けた時に、すぐに答えられない、もしくは好きなものなんて無い、あるいは何が好きかわからなくて悩んでいる人はいると思う。大人になればなるほどいるかもしれない。

そんな時間ないよね、、、
そんなの考えてる余裕なんてない、、、
好きなこがない、、、

と、いう気持ちがどこかにあるかもしれない。
好きなコトって探そうとすると見えなくなるんですよね、なぜなら本当に好きなコトややりたいコトは「既に」やってしまっているコトだから。
普段、自分が時間を割いているコト・つい考えてしまっているコトがあるかもしれない。一種のクセに近いものですが、誰かに言われたわけでも無いのに・お金を払ったり限られた時間を使ったりしてまでやってしまっているコト、つまりはそれがあなたのやりたいコト、価値観をおいていることである可能性が大きいです。やりたいコトって実はキラキラした大きなものでもなく、すぐそばにあるようなものである。これを「最高価値」と呼ぶ。


最高価値は「世界を創る」

ちなみに僕は普段エンジニアをやりながらフォトグラファーとして活動している。お仕事として依頼も受けるが、最も楽しいと思える時はやはりクリエイティブの作品を作ることだ。

モデル、メイク・ヘアメイク、スタイリスト、衣装、空間デザインなど様々な人たちが互いの能力を最大限発揮し、自分が思い描く「世界」に向かって表現できる最高の時間だからである。また、これ以上に無いくらいクリエイティブに浸り、覚醒する瞬間でもあり、そこにいた人たちでしか感じ取ることの出来ない空間にもなっている。


溶けてしまいたいくらいに気持ち良い

そんな中、僕が尊敬する世界で活躍する日本人フォトグラファーと幾度となく過酷極まりない撮影をこなして来たモデルさんと話す機会があった。その撮影現場は想像を絶するくらい(詳しい情報は載せません)厳しいことで有名で撮影に耐えきれないモデルさんがたくさんいて、その中で一度もリタイアせず美しい作品の中でモデルを務めた人である。
あまりに厳しいことを僕は聞いていたので、厳しく無いのか質問してみたら彼女はキョトンとした顔で「何のことかわからない」「きついと思ったことは一度も無い」と言い、「自分が溶けた感覚で気持ち良い」という言葉まで発していた。

これには驚愕だった。
さらには、撮影時の痛みや辛さを超えて自分自身がその作品と一体となった時の感覚がオーガズムを感じるくらい気持ち良い、とのことだった。

実際にそこまで感じていたそうだ。

本当に驚愕だった。
自分もクリエイティブに浸って来てその時の高揚感や昇天するような感覚を感じることはあるが、その比では無いくらいある種ゾーンに入っているくらい高い次元で彼女はクリエイティブに浸っていた、いや、深く潜っていた。
高層ビルから飛び降りたくらいに強い衝撃だった。

自分の知らないレイヤー、だけども臨場感はある不思議な感覚だった。一種の敗北感と尊敬の念の同居、目指すべき自分の未来像との大きすぎる差分の認識とそのリアリティをヒシヒシと感じた。

また、クリエイティブの文脈において「空間」の形成は非常に重要であると再認識した。
自分自身がその場に入れることとその空間の一部として溶けて一体となった時の喜び、気持ち良く一体になってしまいたいと思える・思わせる空間設計とファシリテート、そしてこの世は全て自分のクリエイティブ対象であるということ。

自分の最高価値である「世界を創る」とは、作品としての世界だけでなく現実世界での「空間」を創ることでもあると認識出来た。


オーガズムを感じるくらい最高価値で生きているか?

いろいろ気づいてしまったが、人が最高価値で生きている時、本当に心の底からやりたいことができている時、人は一種の強い快感を得られることが出来るようだ。それがたとえ、人に否定されること・大きな痛みを伴うこと・犠牲を払わなければいけないことであってもだ。特にクリエイティブに携わる人にとって、作品と一体となることや誰かと一緒に作品を創ること、世界を表現することはその人の価値観と非常に強く結びつき、身をゆだね自分が気持ちよく溶けていっていく感覚に陥る。

中には薬物に匹敵するほどの快感を得る人もいるそうだ。人が自分自身の心に従って行動した時・本当に楽しいと思えることが出来た時・自分の価値観を最高に大事にしながら生きている時、お金とか地位とか役職とか名誉とか他人の戯言とかそんなこと本当にどうでもよくなる。それは、あなたが人生で最も「あなた」らしくいられる時である。そして、本当の意味で自由になった時でもある。

では、あなたはどうか。
自分の心に正直になるのは難しいかもしれない。
しかし、冒頭でも話したが最高価値とはすでにやってしまっていることの中にある、幸せとか大事なものとかそういうふわふわしたものもそうだ。

案外、身近にある。
ただ、そこに気付かないあるいは気付けないだけであって、必ずあるはず。焦る必要もないし、最高価値が見つからないからといって蔑む話でもない。

あなたがあなた自身であるということを、生きるという仮説検証を通して見つかれば、十分幸せになれるのでないかということが少しでも伝われば幸いである。


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