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贈り物が苦手な僕だけど、克服出来つつあるかもしれない

はいさい👋石垣島のやおやさん
使用人・けいえすです💨

今日は贈り物が苦手なアナタに向けて
僕がこの苦手を克服出来つつある話を
贈ります。
(苦手なクセにね笑)

皆さんは贈り物🎁、得意ですか❓

贈り物に得意もくそも無い
かもしれませんが
僕はめちゃくちゃ苦手です。

贈る側としてもですが
反対に頂く側としても
両面ですこぶる苦手です。

なぜ苦手なのかというと
相手の期待値に応えられるのか
どうか不安で仕方が無い。

感謝の気持ち
何かを労う気持ち
お祝いの気持ちなど
その気持ちを頂くのうれしい。

けれど、実際に贈り物が相手にとって実務的に
あるいは現実的にありがたい贈り物であるのか
どうかは全くの別問題だからだ。

なので、これまでも何かしらの
気持ちを表したいときには
モノではなくコトを贈ったり
相手に指定してもらうようにしてきました。

逆もしかりで、サプライズで何かを
頂くというのは避けてきました。
サプライズだから避けようもないのですが
一番分かり易いのは妻からの誕生日や
クリスマスといった類です。

欲しいものがあれば自分で買う。
だからイベント事の時には美味しい
食事にしよう(コト)と
妻のサプライズの機会を
奪ってきたのかもしれない。

もちろん、贈り物という行為は
モノが重要ではなく、気持ちを
表することに価値があるので
モノ自体に良いも悪いも無いことは
分かっています。

けれども、いざ自分が頂く側になると
その気持ちそのものは嬉しいのですが、
頂いたモノが自分の実務的に有用な
ものかどうかジッとみつめてしまう
自分がいるのです。

なんだか心の貧しい人間で嫌ですね。

そんな貧しい心のせいで、
自分が贈り物をするときにも、
これは相手にとって喜ばしいモノで
あるのかどうか常に不安に駆られます。

しかしそんな僕にも一筋の光が差し込んできます。

昨年初夏に

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「パイナップル贈るさ~🍍
めちゃめちゃ美味いから!」

と、石垣パインや石垣マンゴーが
どっさり送られてきました。

実はパイナップルは苦手でした。
舌がビリビリする感じや
独特のえぐ味のイメージしかなく
送るんだったら泡盛送って欲しかったわー
貧しい心が叫びます。

しかし、そんなガッカリ感をいとも
簡単に覆すほどの美味しさに驚き、
最高の初夏の頂き物となりました。

次に僕がとった行動は、
僕も誰かに贈りたいという衝動。
この感動を共有したい。

そんな気持ちが芽生え始め
近所の友達に配りまわり
こちらから一方的に感動の
共有を押し付けました。

もちろんモノ自体が素晴らしいので
皆喜んでくれてはいましたが
味の感覚は人それぞれなので
ひょっとすると実際には
そうでなかった人もいたかもしれません。

相手の期待値に応えられて
いなかったかもしれません。

そんな可能性があるということは
頭では分かっていましたが
それでも感動の共有を求めに行ったのです。

このような行動をなぜとったのか?
「一方的に感動の共有を押し付けた」
表現しましたが、よくよく考えてみると
僕の中では「幸せのおすそ分け」でした。

こんなに美味しいのに
独り占めするわけにはいかない。
皆にこの感動を
この幸せを
おすそ分けしなければ。

なぞの使命感に駆られて
冷徹な現実主義の僕はどこかに
消えてなくなっていました。

そうか。
相手に気持ちのついでに
モノを贈ろうとしていたから
現実主義が邪魔をしていたのです。

贈り物というのは
「幸せのおすそ分け」であって
ついでに贈るものではない。

何かのイベントだからと言って
何かを贈るのではなく
常に自分の心が揺さぶられた
モノやコトがあれば
いつだって「幸せのおすそ分け」
という形で贈れば良い。

そう思うと、なんだか心が軽くなった。

まだパイナップル以外の
おすそ分けはまだ出来ていないけれど
僕の心は以前よりも前向きになれた気がする。


パイナップルの普及のために使わせて頂きます🍍