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再び新聞を取ることにした。

いま、再び紙の新聞を定期購読するワケ


久しぶりに感じる新聞特有の手触り。
ページをめくる音と微かに指紋に残るインクの跡も好き。

見ないけど気にはなるスーパーのチラシや不動産広告を片付けるのも悪くないし、電車の中で読みやすく縦半分に折って覗くようにこそこそ読むのはつかの間の幸せ。

社会人になってから最初は義務感で、途中からは正義感で新聞を読み続けていた。新聞代を会社が出してくれる、というありがたいご事情があったのもひとつだけど。

しかし、世の中のことより身の回りのことで精一杯になってから新聞はただただ届いては溜まるばかりの邪魔者になっていた。

それからのこと。
再び新聞を取りたくなった。

家族で取っている新聞もあるけれど、何故か自分のための自分だけの新聞が取りたくなったのだ。

1週間のお試し期間中、新聞屋さんは何度も電話をかけてきた。読者が減ってばかりいる中、新規購読なんて!確実にお客にするためだろう。お試しの最終日。新聞屋さんのおじさんはバイクの後ろに洗剤と柔軟剤をたくさん積んできて、低い腰で続けるかどうかを尋ねた。最初から取るつもりだったのにおじさんに悪いな、と思いながらもちゃっかり洗剤の入ったビニール袋を受け取った。(この袋も使えそうと思いながら)

新聞を再購読して思うこと


【前より読めている自分がいる】
書かれている言葉の意味も、目を引くトピックスも20代に比べて断然増えた。これで少しは大人になったと言えるんじゃないの、と独り嬉しくなった。知らない単語や表現には丸や波線など自分だけの暗号で印をつけながら読み解いていくのだが、その数が減っていくのも最近の喜び。

【色んな人の書き方に出会える】
昔は新聞といえばかしこまった文体だとばかり思っていたが、今になってみると実に色んな人が、色んな目線で、色んな話題について語っているのが分かる。結構当たり前のことなのに、気付いたときちょっぴり興奮してしまった。一人の著者が最初から最後まで書き下ろした1冊の本と違って、新人記者から編集長、一般市民に専門家まで様々な人の書き方を横並びで読めるのはすごくいい刺激になる。

【忘れかけていたアンテナが反応する】
先週金曜日の俵万智さんの記事がそうだった。短歌は全く詳しくないが俵万智さんの詠う文は結構好きでしばらく読みふけた時期もあった。「サラダ記念日」をはじめて読んだのは大学4年の時。当時日本文学を学んでいた私は衝撃を受けた。これまで短歌と言うとなんとなく肩に力の入った鼻高なイメージがあったのだが、俵万智さんの文はふわふわで柔らかかった。しばらく経ってから絵本コーナーで見つけた<かーかん、はあい>というエッセイを読んで虜になり、もう彼女の文から逃げられなくなった。そんな俵万智さんが本命である短歌で迢空賞(ちょうくうしょう)を受賞したという記事。電車の中だというのに思わず声を出したくなった。

そんなわけで
最近の私の通勤の友なっている新聞ちゃん。

改めて、よろしくね。

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