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おまじないの写真

小さい頃、私は人んちに行くのが大好きだった。遊びに行くのばかりか、お使いを頼まれた時も喜んで飛び降りて支度をしていた。

空想家だった私は用あって友達の家や近所の家を訪ねると、玄関の三和土で待たされる間、うちとは違うその家独特の匂いだったり、居間からする生活音だったり、靴の数や大きさをそれとはなしにぼんやりと眺めながらそのお宅に住んでいる人々の日常を思い描いてみたりするのだった。

仲良しのお友達の家に上がった時なんかは廊下を通過し居間までたどり着くと、もうどきどきわくわくが止まらなかった。カーテンや壁紙の模様から、家具の古い具合などを見て代々この地で住み尽くしているのか、引っ越してきて間もないとかを推理してみたりして。自分の知らない時間と場所を想像するだけで頭の中は大忙しだったのを覚えている。

中でも一番気になる場所と言ったら本棚とお風呂場だった(これは何フェチに当たるのだろうか)。まずお風呂場はというと、いくら親しくても泊まらせてもらわない限り訪問客として絶対立ち入る用のない、ある種聖なる場所の一つだったからかも知れない。こっちは望みがないので早々に諦めていたが、本棚は諦めきれず。今でも友人宅に行くと「本棚見ていい?」を真っ先に聞く。知ってる本、知らない本、どっちでも会話を弾ませる自信がある。

もう一つの特別なのぞき見という言えば、写真アルバム。
今で言うおしゃれなフォトブックなんかじゃない。分厚くて、辞書みたいにカバーから空気の圧力を感じながら引っ張って取り出すタイプや、ペラペラしたビニールポケットの横から写真を差し込むような(ページに小さい楕円形の穴が開いているんだよね、二か所。これも空気抜けのためなのか)、ザ・写真アルバム。

結婚を決めて旦那さんの実家を尋ねた時だった。これからこの家の者と名乗る私に、姑さんは分厚い写真アルバムを何冊も取り出してページをめくりながらこの家であった出来事を一つ一つ語ってくれた。

「これは生まれた時、〇〇病院でね。お父さんはこれなかったのよ。」

「私の実家からえらい大きなひな人形が届いて、東京の狭い社宅では飾り切れなかった。五人囃子はそのうちどっか行っちゃったんだよね」などなど。

色褪せた写真から、途中いつとはなしに順番がばらばらになったページもあって、

「あ、これはさっきの七五三の時ね」とか話が戻ることもしばしば。

旦那さんとその家族の思い出が写った写真アルバムを見させてもらった日。私はこの家にお嫁にきて良かったと初めて自分に言い聞かせた。入れてもらえた、気がした。

どうやら、写真には時間を封印する力があるようだ。蓋を開けるとぼわ~っと、その時の空気や、匂いや、温度や、ぬくもりが一気に宙を舞う、不思議な壺のように。

写真屋さん勤めのお陰で私は一日何十枚、何百枚もの写真を見ている。まるで壺一つ一つの封印の瞬間を目の当たりにしているような、けったいな感じ。

それを知ってるから、自分で写真を撮る時もちょっとその気になる。シャッターを切る度、あたかも魔法使いになったように。一つ一つの時間におまじないを掛けながら写真(壺)に収める。

ここに封印された時間が、いつか、また誰かの前で語られる時が来ますように。

illust by. @ishigaki.j

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