井岡さんのタトゥー問題にて思う事

2021/1/6(6/365)

どうもイシダイです。
今日自転車に乗っていたら道路に佇んでいたスズメ?か何かの小鳥が車に轢かれる光景を見てしまいまして、車の人は悪くないにしろ儚い命の散り方に悲しい気持ちになってしまいました…

ということで、ここ最近ネットのニュース欄ではプロボクサーの井岡一翔さんの記事をよく目にします。
年末の試合で井岡さんが腕にタトゥーを入れて試合に出たことについて、取り上げている記事が多くあります。
ボクシング団体の規約には「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者」は試合に出場出来ないとのルールがあるらしく、今回井岡さんの腕からはタトゥーが露出していて、それがルール違反に当たるとの事です。
まず、入れ墨=不快な念となっている事もん?と思うのですが…

まぁいくつかの記事とそのコメント欄も見たんですが何か違和感なんですよね。
まず、タトゥーどうこうは置いといて、ルールにその記載がある以上、それから逸脱した行為をしてしまったのだから、何らかの処分が下るのは仕方ないと思います。
しかし、ルールを破ったかどうかの事なのに、タトゥーへの偏見とか人格否定とも取れるような言葉が目に付きます。
そもそも論点がすり替わってるしそれは違うんじゃないかと思うのです。

日本はタトゥーに対しての偏見は強いほうだと思っています。
そこに対して「海外ではいいのに、何で日本ではダメなんだ!」との声もよく目にするし、法律で禁止されているわけでもないのだから、僕も確かにそう思うのですが、日本の文化的な背景もあり、なかなか受け入れにくく必ずしも全ての人が肯定的な見方ができないのも事実です。
それにはもどかしさもありますが、致し方ない面もあるのかなと思います。

でも、そこでその人を否定したり、「タトゥー入れたければ海外に行け」なんてのは違うと思うんですよね。
自分の価値観には合わないからって否定していい理由にはなりません。
僕もタトゥーには詳しくないのでよく分からないですが、自分なりの意味を込めたものを身体に刻むのって素敵やなと思います。
海外のスポーツ選手なんかでも、家族の名前を入れてたり素敵じゃないですか。
僕の周りにもタトゥーを入れた人はいますが、みんな良い人です。素敵な人です。

日本自体が周りと違うことを良しとしない文化が強すぎなんじゃないかと感じます。
例えば、学校に金髪で行ったらほとんどの人は黒にしろと言うでしょう。
でも何で黒にしないといけないの?と聞いて、ちゃんと答えられる人がどれほどいるでしょうか。
「決まりだから」「みんなしているから」は、僕は好きじゃありません。
最近はそれに何故?と感じる人が増えてきて、独自の生き方をしたらまた叩く。
そして個性が失われていく。
その人を追い込んでしまいかねない。
そんな世の中なように感じます。

もっと多様性を認めると言うより受け入れようとする姿勢、違う価値観を否定するのではなく受け入れられるくらいの寛大な心を持てるように、人々が余裕をもって生活して、考え方もアップデートしていく必要があるんじゃないかと思います。

今日は僕の持論を展開してしまいましたが、こんな事を普段から思ってます。

では。

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