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「あなたなら」の継続性(150/365)

僕は何かモノやサービスを買ったり、イベントに行くときなんかは中身や内容よりも誰がやっているか・誰が誘ってくれたかで決めることが多い。

物欲がそんなにないというのもあるけど、よっぽど欲しいモノや興味がある事以外は、買う・行くの判断基準は“人“でしかない。

 

つい先日もオンライン飲み会なるものに誘われた。

正直その類のものは苦手だ。

ここ最近は敢えてオンラインなんちゃらを避けてきたくらいだ。

しかし、誘ってくれたのがシェアハウスの家族だったから「せっかく声かけてくれたし、とりあえず1回なら」と思って参加した。

まぁ百聞は一見にしかずという言葉もあるように、参加する前から毛嫌うのもどうかという思いもあったので、参加した。

また別では、友人が雑誌を刊行しているとの事でぜひ買ってくれないかと言われた。

その時も「全然買うよ」となるのだが、中身はあまり知らない。

その友達がやっているならという想いだけで買わせてもらうとの旨を伝えた。

イベントなんかもそれ自体に興味があるとかよりも、声をかけてくれた・出演しているのがその人だから行く。

 

でもこれってどうなの?という疑問も出てきた。

こちらは「あなたなら」と思って買ったり・行ったりしているけど、その段階では中身自体はそこまで興味の対象ではない。

それって提供する側からしたら嬉しいの?

だって想いを込めたそのものの魅力というより、その人自身の魅力に人が集まっている。

いや、むしろ素敵なことだし自分に置き換えても「イシダイがやってんなら」と言ってくれたら嬉しいのだけど、相手目線になった時「ん?」と思える部分も出てきた。

「あなたなら」と、とりあえず買ったり・行ったりしたら、中身もすごく素敵でぜひ次も!となるかもしれない。

その点では1回目は人で選んでいいと思うし、むしろそれでしか判断しようがない。

しかし、2回目以降も人だけで判断するのか。

例えば仲が良い友達がアクセサリー系のワークショップを主催していて誘ってくれたから行ったとする。

そして、楽しかったけどもう十分かなと思ったとする。

その友達は毎月開催していて毎回声を掛けてくれる。

でも、そこまで興味が沸かなかった場合、そのワークショップに友達という理由だけで、毎回参加料を払い継続的に参加できるか。

定期的になら全然ありだか、毎回となると僕はおそらく無理だ。

仕事とかでも、友達が力を貸してくれと言っているなら何回かは全然ボランティアや低い単価で出来るが、継続的となればよっぽど自分に余裕がないと厳しくなってくる。

初回や数回目までは人で選べるが、それ以降は中身も大事になってくる。

お金が絡んでいるのならなおさら。

というか、それ以降も「あなたなら」という理由だけで選ぶのは逆に相手に失礼な気もする。

 

理由が「あなたなら」のみの支援は継続的には厳しいのではないか。

もちろん応援はするが、自分の時間とお金を使う支援となると場合によっては難しい部分もある。

それによって関係性に亀裂が生じてしまうくらいなら、友達として長く付き合っていたい。

 

とはいえ、まず何かを決める時は中身や内容よりもその人を大事にしている。


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