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教育政策が失敗を繰り返すのはなぜか-英語教育から考える

教育現場で指導要領の改訂を幾度も経験した。
その都度、改訂の理由は明らかにされたが、根拠が示されたことは一度もなかったと記憶している。

現場の教師は総じて「素直」であるから、指導を「変えろ」と言われれば変えるが、納得はしていないから、「強制的で自発的な取組」という矛盾した仕事のあり方に、やりがいが減少し、多忙感や徒労感だけが増していくのだった。

現場の教師が欲していたのは、その10年間に行ってきた指導によって、日本の子供たちは何が育ち、何が十分ではないのかという具体的な事実なのだ。そのデータと実際に教室で感じ続けてきた手応えとを照応させたいのである。
だが、そうした「旧」指導要領の成果と問題点は決して示されてこなかった。

もちろん、「教育の結果」は簡単に捉えられるものではない。
しかし、単純な「学力調査」だけで判断できるほど希薄なものでもないはずだ。

けれども、根拠は示されぬままに、「新たな教育理論、教育思潮、教育的価値」が掲げられ、その「大きな声」によって「改革」が繰り返されてきた。
それは苅谷剛彦氏の言葉を用いるなら、「エセ演繹的思考」であり、ある面においては「言葉の遊び」である。
日本の教育政策は、根拠の検討に基づく帰納的思考ができていないのである(刈谷剛彦2020『コロナ後の教育へ オックスフォードからの提言』中公新書ラクレ)。

私達はその例証のひとつとして英語教育を挙げることができる。
英語の教育は、2020年度より、小学校5・6年生では「教科」となり、3・4年生でも「外国語活動」として実施されるようになった。
それに伴い、中学校・高等学校の英語のレベルは大きく引き上げられた。それまで中学校で学習していた内容の一部が小学校に移り、高等学校の学習内容の一部が中学校に下りてというように順次移動していったのだ。

江利川春雄氏のベストセラー『英語と日本人 挫折と希望の200年』(ちくま新書,2023)によれば、実は小学校での英語教育は明治期から行われていたという。
欧化政策の一環として、鹿鳴館が開館した翌年の1884(明治17)年に「小学校教則綱領」が改正され、「英語の初歩を加えるときは、読方、会話、習字、作文等を授くべし」と定められたそうである。

令和の現在も小学校の英語教育に対する反対論は多いが、当時の反対論も根強く、賛成論者と論争になったという。
そして、江利川氏によれば、現在の賛否両論のほとんどは、実は、明治期に既に出されていたとのことである。

だが、今回その過去の議論は参照されることはなかった。こうした現れは日本人の論争一般に見られることを、丸山眞男氏が『日本の思想』(1961)において以下のように指摘していることも、江利川(2023)で述べられている。
「ずっと後になって、何かのきっかけで実質的に同じテーマについて論争が始まると、前の論争の到達点から出発しないで、すべてはそのたびごとにイロハから始まる」。

小学校で英語を学んでも中学校以降への効果がないということも、同じように過去の知恵は用いられなかった。
「中学校に入ると、小学校から英語を学んだ子と中学校に入ってから英語を学んだ子との学力差は短期間でなくなってしまう」ことが、戦前から知られていたのだと、江利川氏は説く。

何よりも、明治期に行われていた小学生への英語教育がすぐに廃止された経緯さえも踏まえずに、現在再開されている始末である。

江利川氏によれば、英語教育学の知見では、「英語を母語としない学習者の場合、自分が置かれている言語社会環境によって英語を二種類に分けて考える必要がある」という。日常生活で使う必要度が高い「第二言語としての英語(ESL)」と日常生活で使う必要のほとんどない「外国語としての英語(EFL)」である。

日本の場合、明らかに英語は、「外国語としての英語(EFL)」であり、その獲得に必要な学習方法は母語の日本語を使っての文法学習や翻訳だという。
この見解にも、既に明治期にたどり着いていた英語教育関係者が何人もいたにもかかわらず、現在、文科省は真逆のコミュニケーション重視の方法を取っている。

本年7月13日の新聞記事によると、科学研究の共通言語である英語が、非言語圏の研究者にとって重い負担になっているという。オーストラリア・クイーンズランド大の天野達也氏が、駆け出しの研究者は特に深刻で、論文を読む時間は91%増し、英語の不備による論文の不採用は40%近くが経験したとう調査結果を発表している。学会に行っても質疑応答がある口頭発表は避けがちだともいう。

だから日本ではもっと英語教育を充実させるべきだと言いたいのではない。
それほど、英語は難しいということである。
天野氏も、AIによる英文校閲機能の利用促進や科学誌による校閲サービスの提供、学会での支援担当者の配置の必要性を訴えているのだ。

英語は、日本語に対して「鏡像言語」と言われるほど音声・文字・語順などの言語構造が異なると、江利川氏は言う。
それでも、児童・生徒が英語に呻吟しながら学習を進める動機のほとんどは、受験である。
生活での言語(ESL)としての習得は大変困難なはずなのにその指導方法が採られ、しかし結果としては、学習で用いる言語(EFL)の能力を求める今の学校教育・受験のあり方は、児童・生徒を苦しめるものになっているのだ。

また、教師の負担を徒に増加させているだけであることも、ここまで読まれた方は、おわかりになったと思う。

これ以上の詳しい説明は江利川(2023)をお読みいただくとしても、帰納的思考を行わない英語教育政策が、現在誤った方向へと進んでいることは、もう明白であろう。

それでも、
「今はそんなことを議論している時ではない。自分は英語の指導を担当しているのだからとにかくその責任を果たすだけだ」
と、考える「真面目」な教師がいたとしたら、再度「責任」の意味を考え直してみるとよいのかもしれない。
もちろん、英語を学ぶことそのものには、大きな意義があるのだから。

そのとき、次の江利川氏の言葉が、ヒントになるのかもしれない。

「外国語教育の目的は、言葉と文化の多様さ、面白さ、奥深さに気づき、母語の力を高めて思考力と感性を豊かにし、世界の人々と平和的に共存していける人間を育てることである。…外国語の学習は、その外国語をすぐには使えなくても、言葉と異文化への知的好奇心を刺激し、自分の成長を満たしてくれるワクワクする活動だ。そんな楽しさを自ら味わい、次世代に伝えていこう。」

(前掲書,p.284)

ところで、教育政策における帰納的思考の欠如と「働き方改革」とを関連付けてさらに考えるならば、まず英語は上記の理由から、できる限り早く小学校のかカリキュラムから削除し、中学校・高等学校の内容を精選するべきであろう。

小手先だけの「働き方改革」ではなく、根本的に労働時間を削減するためには、詰め込み過ぎた学校教育を身軽にするしかないのである。

そのためには、さらに生活科と総合的な学習の時間の廃止も視野に入れるべきではないか。
なぜなら、これらもまた、帰納的な検討が行われてこないまま実施され続けてきたからだ。
生活科は1992年に新設されてから30年以上経ち、「総合」は2002年新設から20年以上が経過した。
果たしてこれらの改革は成功だったのか。

生活科によって低学年児にどんな力が育めるのか、その後の成長でそれはどのように発展していくのか。
その力は、理科と社会科を充実させることでは育たないのか。
逆に今の生活科以上の力がつくことはないのか。
なぜなら、「子供の学びの姿に合わせた生活科」ではなく、「教科書通りの生活科」が実際の状況だからだ。

また、「総合」は本当に探究的な力を育んでいるのか。毎年、教師の頭を悩ませる指導計画は、その苦労に見合ったものになってきたのか。
実際は、前年度の踏襲による活力のない「総合」を実施している学校が少なくないのではないか。
だから、探究的な力を育むことは、他の教科でも行えるのではないか。むしろ、「総合」以上に。

生活科や「総合」を立ち上げた時に掲げた熱い理想の火は、今はもう消えかかっていないのか。
この過重労働の下で、その火を再燃させることは、可能なのか。

今こそ、こうした総括をきちんと行うべきである。