あの世の自意識
怪談を読んだり聞いたりするのが好きというヘンタイです。
なので、そういう怖い話、怪しい話がほんっっとにダメという人が持っている「基準」がわかっておりません。
嫌がる人がこのボーダー超えたら無理、というそのボーダーがどこにあるのかわからないのですよね。
わたしにはそのボーダーは見えないので配慮ができません。
申し訳ない。
ということで、今日は、そんなお話はダメ! というかた。
怖いというんじゃないけどそういう「非物質的」な話はバカだとしか思えないので付き合えない、というかたも、本日はここまで、ということでご了承ください。
また明日以降にお目にかかれたら嬉しいです。m(_ _)m
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こんな話↓↓↓を思い出しまして。
生前の姿とまったく同じ姿で現れる、「この世ならぬ人」もいらっしゃいますが、実際の肉体を持たない存在なので、長い時間が経つうちに、本人の自意識や記憶がおぼろになっていくのではないか、というのがわたしの予想しているところです。
何かの事件の目撃情報と同じで、案外、人は見ているようで見ていない。
わたしも強盗の通報の訓練に付き合ったことがありますが、まーボロボロでしたね😅
帽子をかぶっていたようなと思ったけど実際はバンダナだったし、茶色のポロシャツと思ったけど実際には黒のTシャツでしたし。
何かよほど事前に注意を引かれるようなことがあってじっくり見ていない限り、記憶には定着しないと思いました。
もちろんわたしのおつむが通常よりはよほど覚えが悪いせいもあります。
そんな具合ですから、あの世に行って時間が経つと、だんだん自分の姿を、自分でも忘れてしまうのではないかと予想しています。
だから服の色も、明るめだったか暗めだったかぐらいしか残らなくなるのでは。
なんせ「白っぽい服を着ていた」証言と同様に「黒のセーターで」みたいに、黒っぽいという報告も多いです。
意外と曖昧なところでご本人の記憶も意識もぼやけてしまうので、目撃する側からしても、曖昧な色になってしまうのでは、と。
一方でやけに具体的かつ鮮明に「見える」場合もありますね。
これは逆に、その人がこの世からあちらへ移動するとき、何かしら、強い印象が残ったものであり、その印象がそのまま刻印のように残っているケースなのではないかと予想しています。
何か死因に関係することだったり、あるいは感情的に強いインパクトがあるものだったり。
なぜそんな推測をするようになったかというと。
服装は鮮明に見えるのに、その人の顔かたちが墨で塗られたように真っ黒だったという話を聞いたからでした。
実体がなければ鏡を見ても自分の姿が映らない。
そうするうちに、自分でも自分の顔を忘れてしまったのではないか。
自分の顔って、自分では見えないですからねえ。
当たり前に毎日鏡を見て、自分でもいいとか悪いとか言っていますが、もし鏡がなければ、自分がどんな顔貌なのかなんてわからない。
記憶には残っていませんが、この世に生まれてきてしばらくたち、人生で初めて鏡で自分の顔を見たときって、衝撃だったんじゃないかなあ。
そもそも鏡に写っているのが自分だとは、最初は気づかなかったかもしれません。
さんざん、鏡の中の誰かを見て、そやつが自分と全く同じに動作をすると気づき、それからやっと「もしやこれは自分か……?」と思ったかもしれない。
私どもは自分の顔を、鏡や写真等で見ているだけであって、自分の肉眼で自分を見ることは、とうとう一生の間、一度もないわけですよ。
身体の方はまあ、全身くまなくとは言わないけど、前面くらいならなんとか見えます。
でも、顔はねえ。
そう思うと、自分の顔はこんなん、と思ってますけど、実は違うのかもしれませんよ。
――なんて考えるとちょっと楽しくなる(笑)
自分は自分の姿を正確には知らないんです。
ましてや死後となったらなおさらじゃないかなあ、と。
そんなふうに思ったんでした。
不確かな世界に生きているのは、「この世ならぬ人々」ばかりではなく。
そもそも、生きている時点ですでに、我々はけっこう、事実かどうかもわからない、騙されているのかもしれない世界の中で、これが自分だと「思い込んで」生きているだけなのかもしれません。
なんせヘンタイなので、こんなことをときどき考えては、ふーっとため息をついていたりします。
傍目には何か真顔で深刻そうに見えるかもしれませんが、脳内はこんな状態だったりします(笑)
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