見出し画像

ある日のこと(『パラサイト』について)

今日、映画『パラサイト 半地下の家族』を観た。前評判はTwitterのタイムラインで知っていて「怖い」と分かっていた。ちょうど会いたい友人もいたから誘って、一緒に鑑賞した。

福岡は中洲にある、古い映画館。女性のトイレがほとんど和式だったり、ドアがダウンみたいになんていうかこうクッションが区分けされてる感じの作りだったりして、これから観る「怖い」映画への緊張が高まる。周囲を見渡すと年齢層は比較的高めで、階段もおぼつかないような年齢の女性が椅子に行き着く前に疲れて通路階段で座ったりしてて、パルムドールをとる映画だもんな、関心を持つ層が広いな、と妙に納得したところで、周囲が暗くなった。

映画を、観た。

周囲が明るくなり、周りの人が立って身支度を始めた。わたしと友人は、お互いにあまり会話をせず、なんとなく立ち上がり、重いドアの外に出た。そこには次の『パラサイト』を観るだろう人たちが談笑し、並んで待っていた。「この人たちも、今からこの映画を観るんだね」とわたしが言うと「観るね。」と友人が言った。

階段を降りるときになって、やっと感想を話す。

「なんかもう」「もうね」から始まった会話で、全くわたしたちは核心に触れられないまま、地上に降りる。近くで買い物の用事を済ませると行くあてがなくて、若者の街である天神に向かって歩き、なんとなく所在なくて大名まで歩く。落ち着いて人が少し減った路地で、ぽつぽつと映画について話した。「座席が深くて、床に足がつかなかった」と小柄な友人が言った。確かにあの座席の背もたれは他の映画館とは違った。そういう、映画以外の要素も含めて話し、そして歩いた。

観てよかった?と、わたしは聞けなかった。わたしは、どうだろう。観て、よかったのかな。確信できないけれど、観なくてよかった映画ではないと思う。

わたしには既視感があった。それはストーリーではなく、この映画の家族の空気に。

わたしの祖父母は韓国にルーツを持つ。わたしの母は「血」だけで言えば日本生まれの韓国人で、わたしはハーフ。日系3世だ。映画で見た韓国の人たちの表情や話し方、抑揚は、わたしが母の実家で感じていたそのもので、あの家族愛や年長者への尊敬、怒号のような会話をわたしはリアルにそばで感じたことがある。やたら辛くて美味しそうな料理も、金属のお箸も、食卓の様子も、これまで年に何度か祖父母の家で経験しているものだ。映画の中の韓国を観て、日本で生まれて日本名しか持たない母やおじおばも含めて、彼らは韓国の人なんだろうなぁと、ぼんやり感じた。

そういう空気の祖父母宅の居間はうるさくて、濃くて、まさに「血」って感じで、だから子どもの頃、父とわたしといとこは法事の食事を終えると隣の部屋へ逃げるように移って行った。

あの空気は今も泥のように、母の家族の中にずっしりと堆積している。

そういえば。

わたしは一度、母に「おばあちゃんに謝りなよ」と言ったことがある。母の離婚の前後だった。母は怖い目をして「あんたにうちの家族のことをとやかく言われたくない!」と言った。

「うちの家族」。

家族ってなんだろう、と考えざるをえない機会が、人より多い家に生まれた。

映画の中身については何も書けないけれど、あれを観なかったわたしには戻れない、と思う。忘れることはできない映画だろう。

同じく貧困を描いた『万引き家族』も映画館で観たが、あれは、寂しさの話なのだと思っている。寂しくて、寄る辺ないひとが集まって家族のようになって。切なくて悲しくて腹が立って、奥歯を噛みしめるような映画だった。あの貧困は、わたしには簡単に感情移入でき、想像できてしまうものだった。

けれど『パラサイト』は違う。わたしは鑑賞後、明かりがついた劇場で、くちは半開きになり、眉根は寄っていて、肩は丸まっていた。呆然としていた。恐怖、だと思う。考えることをやめたら、こうなってしまうんだろうか、いや、違うのか。簡単に処理できない映画を観てしまった。家族、がいるから辛いのか。あの結びつきが。繋がりが辛い。

わたしは今、寄る辺なくスタバでこれを書いている。映画を観て大名をぶらつき、友人とふらふらして夕飯には焼き鳥を食べた。日本酒も飲んだ。今日の日本酒は甘くてすっきりして、好ましくって、たった一杯で顔が真っ赤になった。

それでもまだわたしと友人は、あの映画の端っこにいるような感じで所在なく、あまり楽しいことも話さずに、いつものように同じ空間の他人についてあれこれと想像して喋って、じゃあねと駅で別れた。

そのまま帰るのも躊躇われて、スタバでこれを書いている。

所在なさ。この街のどこも自分の居場所じゃない感じ。信号待ちで横断歩道の前に立っているとき、あまりにもこの街にいる自分に安心できなくて、友人に「電車乗って、遠く行かない?」と言いかけたけど、なんかそれも違うなって思ってやめた。

その代わりに「なんかさ、とても安心できる友達の、とても安心できる家で、こたつに入って、ささやかな鍋がしたいな」と言うと「あー、そうだねぇ」と返ってきた。わたしたちは積極的に今のこの感情を共有するタイプではなかったけれど、この所在なさを真ん中に置いて、お互いにその端っこを持ったまま、ふらふらと街を歩いていたんだと思う。

いつかこのことを、ふたりで話す日が、来るかなぁ。来ないかなぁ。

サポートは3匹の猫の爪とぎか本の購入費用にします。