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花山法皇ゆかりの地をゆく④〜谷汲山華厳寺編〜

今回でこの「花山法皇ゆかりの地をゆく」シリーズ、略して花山法皇シリーズは4回目となる。

本来であれば、次の花山法皇シリーズは1月の後半に宿を予約しているので、もう少し後になる予定であった。

そのような予定であったのだが、ふと思うところがあった。
note記事に限らず、ブログやYouTube動画にせよ、個人がネット上で公開しているシリーズものというのは、4回以上で作者に継続の意思ありと見え、8回以上で連続ものとして閲覧する価値が出てきて、20回以上で連続作成された作者の経験が反映されて品質が安定すると思えるのは私だけだろうか。
つまり、シリーズものを謳うのであれば、最低でも4件、できれば8件以上のコンテンツを揃えておかないと、読者の歯牙にかからないと私は思うのだ。
noteは6時間毎でダッシュボードに記事毎のビュー数やスキ数なんて出るものだから、ビュー数を稼ごうと変な欲がでてしまい、どうにもいけない。
いけないいけなくないという話や、私見の正誤についての議論はともかくとして、それでも私はこの花山法皇シリーズを早めに、できればNHK大河ドラマ「光る君へ」初回放映の1月7日までに4回目の記事公開を済ませておきたいと思うようになった。

そこで、2024年の初詣として花山法皇ゆかりの寺院へ行ってnote記事を一発かましてやろうと思い立ち、関東から比較的アクセスしやすい、と言っても名古屋駅から2時間近くもかかるのだが、岐阜県にある谷汲山華厳寺(たにくみさんかげんじ)を訪れた。

谷汲山華厳寺へ

2024年1月2日、
この日は前日に能登半島で大地震があるは、
夕方には羽田空港で航空機火災があるはで、
ろくな事件のない年明けであったが、
そんな世間の混乱はどこ吹く風、
呑気で阿呆な私は早朝の東京駅にやってきた。
今回は時間に余裕があったので、
東京駅で駅弁を買ったり、
新幹線車両の写真を撮ったりで
東京駅でしばらくの時間を潰した。
新幹線に乗り込むと、隣の客がいても厄介なので、
出発前に買っておいた駅弁を
早々に開けて食べ始めた。
出発前に平らげてしまい、
ホームのゴミ箱に駅弁の空き箱を捨てた。
6時21分、
ひかり631号は定刻通りに東京駅を出発した。
昨年の11月からかなりの頻度で
東海道新幹線に乗るようになったので、
東京駅から眺める車窓も見慣れたように思えた。
新幹線が走り始めると、
私はすぐに睡魔に襲われた。
電車内で眠るのは久しぶりだった。
目が覚めると、普通に布団に潜って眠るより
はるかに心地よい覚醒感があった。
窓から外を眺めると
新幹線は静岡駅に差し掛かるところであった。
8時08分、名古屋駅着。
新幹線改札を出て8時18分発の
特別快速に乗り換える。
JR東海の東海道本線は、
快速、新快速、特別快速と、
快速が何種類もあってよく分からない。
快速の種類が多いのであれば、
JR東日本の中央線も同じようなものだが、
旅行者には、案外こういうものが
ストレスに感じたりする。
乗り込んだ大垣行きの特別快速は、
大した混雑もなく、
クロスシートの窓際席を確保できた。
乗車時間は大して長くないが、
クロスシートは旅情感がでて良いと思う。
8時50分、大垣駅着。岐阜駅の手前あたりから、
雪化粧をした伊吹山が見えた。
大垣駅で樽見鉄道に乗り換える。
PASMOでここまで乗車してきたが、
おそらく樽見鉄道は
交通系ICに対応していないだろうから、
一度改札を出て、樽見鉄道の乗車券を
券売機で購入し、再度改札内に入った。
樽見鉄道は、元来は国鉄の樽見線であったものが、
第三セクターに転換されて
今も営業を続けいている路線だ。
旧国鉄のためだろうか、
ホームはJRと共用していた。
9時11分、樽見行きの樽見鉄道の列車は出発した。
1両編成のディーゼルカーには
20名ほどの乗客がいて、案外に賑わっていた。
乗客のほとんどはモレラ岐阜駅という、
おそらく商業施設や学校が
近隣にあるであろう駅で降りてしまった。
残ったのは私と、老夫婦と老人の4名だけであった。
その老人たち4名も全員、私の目的地である谷汲口駅で下車した。
無人になったディーゼルカーは、
何もなかったように、谷汲口駅を去っていった。
谷汲口駅は簡素な無人駅であった。
かつては、今回の目的地である谷汲山華厳寺へ
直接のびる鉄道もあったようであるから、
現在の華厳寺の最寄駅である谷汲口駅だって、
もう少し参拝客で賑わっても良さそうだが、
そんなことはなかった。
駅前にはスクールバスの表記がある
バスが止まっていた。
これが華厳寺行きのバスに違いなかった。
谷汲口駅から華厳寺に行くバスは
休日しか運行されない。
老人たち4名は皆、このバスに乗った。
それにしても、
初詣の時期ですらバスがこの閑散ぶりでは、
華厳寺はひどい閑古鳥が鳴いているかも、
と余計な心配をしていたが、
これは、本当に余計な心配であった。

谷汲山華厳寺

バスが華厳寺に近づくと、
駐車場に入る乗用車の渋滞に巻き込まれた。
きょうび、華厳寺に電車とバスを乗り継いで
やってくる人間などほとんどいない
というだけのことであった。
10時06分。谷汲山バス停着。
谷汲山バス停はメインの駐車場の手前にあったが、
華厳寺に向かう参拝者が大勢歩いている。
人混みに連れられて、私も歩く。
参道は商店や露店で賑わっていた。
関東ではあまり見かけないが、
観音像や参拝道具を売る仏具屋が
数店舗あったのには驚かされた。
ところで、谷汲山華厳寺は西国三十三所の満願寺、
要はラストナンバーなわけだが、
この西国三十三所の巡拝順序は
江戸時代に決まったものらしい。
西国三十三所の巡拝順序は
最初は紀伊勝勝浦の那智山長谷寺で、
最後がここ岐阜県の谷汲山華厳寺となり、
江戸から伊勢参りをした後に、
続いて近畿地方を漫遊して江戸に帰るには
ちょうど良い順路となっているから、
江戸時代に関東民がこのような順路で
西国三十三所をまわるのは
決まりであると同時に、効率的なまわり方でもあっただろう。
しかし、花山法皇は江戸時代より
600年以上も前の人間、
江戸など未開の地であった時代である。
しかし、花山法皇においても、
今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲
と御詠歌を残しているように、
この華厳寺を西国三十三所を
最終地としたようだ。
これは、花山法皇と西国三十三所の謎の一つと思われる。
なぜなら、花山院菩提寺を隠遁地とする以前の花山法皇は、
京都の比叡山か花山院邸が拠点であったはずで、
巡礼後の帰宅地も京都であるのならば、
美濃の華厳寺を最終目的地のとするのは、
効率の悪いまわり方になるからだ。
これについて、詳しく言及した専門家の研究はあるのだろうか。
そもそも、花山法皇は那智には訪れてすらいない
とする学説もあるようだ。
基本的に平安時代の研究の分野では、
京都の貴族たちの日記を
原典とするのを基本とするようで、
京都を離れた花山法皇の正確な足取りを
現代で追うのは難しいように思える。
それでも花山法皇が華厳寺を最終地とした理由について、
あえて推察すれば、以下の候補がある。
①意図せずたまたま華厳寺を最後に残してしまった
②花山法皇の拠点が京都ではなく那智にあった
③巡礼後に別の場所に行こうとしていた
これは正解を出しようがないので、
今回の私の貧しい推測は
ここでやめておこうと思う。
さて、私の初詣の方は、
参道の商店街を抜け、山門前までやってきた。
山門の手前から本堂まで、
初詣の参拝客で行列ができていた。
私もその行列に並ぶ。
私の前に並んでいた、中年男性の二人組は、
行列待ちを耐えかねて、
行列途中で手だけ合わせると、
脱落して引き返してしまった。
行列は思いのほか早く進んだ。
しかし、私は初詣で一体何を仏様に願うのだろう。
今世の繁栄は諦めた。
あの世は地獄だろう。
せめて、病苦に苦しみたくないと思うが、
それも今の私には贅沢なのかもしれない。
自分のことで願うものはない。
昨日起きた震災の被災者の無事を願うのは、
賢人のそれらしいが、
天災について私が何か思ったり願うのは、
私にとっては、
それすらも傲慢でおこがましい気がした。
10時45分、
そのように考えながら、華厳寺の参拝を済ませた。
結局、仏に向かっては無心。
ただ手を合わせて早々に引き上げた。
私は本堂での参拝を済ませると、
本堂の右手から裏に回って、
奥之院を目指すことにした。
奥之院は山を登る必要がある。
途中には石像を祀った祠があり、
〇〇番と番号が振られ、
和歌が添えられている。
十番目くらいで、登り坂に辟易としてしまい、
「まさか三十三番まではないよな」
と思い始めていた。
また、この道は東海自然歩道の一部でもあるらしい。
東海自然歩道は高尾山から続く道であるが、
よもや、このような場所で出くわすとは、
とも思った。
山道は続く。
本堂までの参拝客の賑わいに反して、
奥之院へ行く道には、
全く人がいない。
すれ違ったのは、二名の男性のみであった。
私が登っているところを降りてきてすれ違った。
登りの私を戸惑いなく譲ったところから、
登山について「わかっている」様子であった。
最近は登山もランニングもサボっているせいで、
普段の登山に比べれば
大したことのない山道であるが、
思いのほかきつかった。
11時15分、奥之院に到着。
Googleで事前に調べたところでは、
奥之院まで到達しないで
引き返してしまう人も多いようである。
奥之院の本堂は、山の中にしては大きいものだった。
なお、奥之院の横にあった最後の祠の番号は、
三十三番であったと思う。
これから、下山して帰りのバスに乗るのだが、
私が乗ろうとしているバスは、11時46分発。
1時間以上かけて奥之院までやってきたが、
30分でバス停まで戻らねばならないと気付く。
私は、手に持っていたカメラをザックにしまい、
駆け足でバス停まで戻った。
11時45分、
谷汲山バス停までどうにか戻ってきた。
目的のバスはまだ来ていないらしい。
5分ほど遅れて、
11時50分に谷汲山バス停を後にした。

熱田神宮へ

帰りは樽見鉄道の谷汲口駅ではなく、
養老鉄道の揖斐駅に向かう。
養老鉄道でも大垣駅まで戻れる。
せっかくであるから、色んな鉄道に乗りたかった私は、
行きは樽見鉄道、帰りは養老鉄道の計画を立てていた。
12時15分、バスは出発時の遅れを取り戻し、
時間通りに揖斐駅に到着した。
バスの乗客は終始私一人であった。
養老鉄道の車両は、
現代では地方私鉄の標準とも言える、
古い東急の電車であった。
12時25分、揖斐駅出発。
2両編成の車両には、
揖斐駅で三十名ほど乗っており、
途中で多数の乗客が乗ってきた。
ロングシートの座席は8割ほど埋っていた。
12時50分、大垣駅到着。
当初の予定通りに大垣駅に戻れたので、
ついでに熱田神宮にも行こうと思う。
熱田神宮に花山法皇の伝承はないが、
熱田神宮は皇室ともゆかりの深い神社である。
花山法皇が各地を御幸する中で、
熱田神宮を無視したとは考えづらい。
花山法皇ゆかりの地を訪ねるたびにおいて、
熱田神宮を訪れるのも、
大きく趣旨に外れたものではないだろうと思いたい。
12時56分、大垣駅発。
元きた東海道線の名古屋方面を戻る。
岐阜駅の手前で、金津園の街並みが見えた。
往時は華やかであったのだろうが、
今はどの建物も錆が目立ち、ガラスは曇っていて、
廃墟群のように見える。
実際には廃墟ではないのだろうが、
いずれ滅びる街なのだろう。
どう言い繕おうが、結局、金津園は売春街である。
治安や時代を考えれば当然なのかもしれないが、
寂しい気持ちになった。
東海道線の快速は、濃尾平野を快速で突き進む。
JRの快速というと、
JR西日本の大阪近郊の新快速が思い浮かぶが、
JR東海も負けていない。
実際、JR東海の新快速も表定速度においては
JR西日本の新快速と肩を並べるようで、
次回のダイヤ改正においては
JR東海の快速の最高速度も引き上げられるらしい。
名古屋駅で快速を降りて普通に乗り換える。
13時41分、熱田駅着。
熱田駅は参拝客で賑わっていた。
参拝客の流れに従って、熱田神宮を目指す。
JR熱田駅は熱田神宮の裏側に位置しているため、
熱田神宮の入り口までは、そこそこ歩く。
熱田神宮までの道は商店街のアーケードになっていた。
アーケードの店も、営業している店もあるが、
シャッターを閉めている店も多い。
初詣の正月は参拝客で賑わうはずだが、
それでも営業していないとなると、
潰れてしまったのだろうか。
残された営業店は、昭和を思わせる猥雑な雰囲気の店と、
平成以降にできたと思われる建物は古いけど
洒落た雰囲気を出している店が混在していた。

熱田神宮

熱田神宮は思い通りの大混雑であった。
早朝の駅弁から何も食べていなかったので、
屋台で何か食べたいど思ったが、
屋台はどれも行列待ちか、空いているところは、
いかにも店員のやる気がなさそうで、
声をかけるのすら憚れる雰囲気であった。
結局、私は参道の屋台から発せられる油の匂いに、
空腹と胃もたれの両方を刺激されながら、
行列の流れに従って、本堂に向けて歩いた。
関東の人間と違い、名古屋の人たちは、
こんな混雑にも関わらず、
皆鳥居の手前で一礼する。
西日本の人たちは信仰心が高いのだろう。
本堂は愛知県警察が櫓から監視と放送をして、
参拝客の交通を指示していた。
それほどの混雑なのである。
本堂の混雑に辟易として、
お賽銭の500円玉を参拝客の頭越しに投げて
軽く手を合わせて熱田神宮を後にした。
名古屋駅に戻ると、
駅のホームできしめんを食べた。
名古屋コーチン入り、980円。
普通のきしめんが500円であるから、
この名古屋コーチンのロースト?は480円ということになるが、
およそ、480円の価値があるようには思えなかった。

最後に

名古屋駅のJR改札を一旦出て、高島屋でお土産のういろうを買い求めた。
その後、駅前のビックカメラにも寄って、気の迷いでたまごっちを買った。
名古屋駅の新幹線ホームはJR東海の職員が多数いて、Uターンラッシュで溢れかえる乗客の誘導をしていた。
15時41分、のぞみ402号で名古屋駅をあとした。
のぞみ402号は17時21分に東京駅到着予定であったが、数分の遅延があったようであった。
羽田空港の火災のニュースを知ったのは、私が東京駅から帰路に着く途中でのことだった。

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