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26 交差点を渡りながら考えたこと(つづき)

交差点を渡りながら考えていたのは教育のことでした。前回のつづきですが、今回が本編。

僕は、教育熱心な母と放任主義の父の間で育ちました。強いる教育と、本人の意思に任せる教育の間です。

今まではどっちが良いのかを考えていましたが、どっちが良い悪いではなく、どの時期にどちらの方法を取るかが大切なんだということを最近知りました。大切なのは時期が適切であること。

義務教育はなぜ義務で、それ以降の教育はなぜ本人の意思に任せるのか。そして、変な話ですが、なぜ義務教育が先で、なぜ本人の意思で学ぶのは後なのか。

義務教育の意味、強いてでも教える意味。それは、「生まれてきた子どもたちにまず何を教えなければいけないか」という疑問に答えがあったようです。

僕は、最寄り駅までの道を歩いていました。朝のすっきりした空気の中、金木犀の香りがして、目をつむって匂いをかいでいました。

ちりんちりんと自転車のベルの音。もうすぐ交差点。カーブミラーを見て、そこに映り込んだ先ほどのベルの主が、やがて目の前を通り過ぎました。

もし赤ちゃんがここをひとりで歩いたら、ふと、僕の頭の中にそんな疑問が沸きました。赤ちゃんはこの交差点を安全に渡れるんだろうか。

渡れないかもしれない。もしかすると自転車に轢かれるかもしれない。走っていたのが車だったら命にもかかわる。そう思ったところでハッとしました。これは教育の問題だと。

信号機や交差点に引かれた白線、歩道。考えてみたら、これらは全部人間が勝手に作ったルールです。教えてもらわなければわからないことです。そして僕は、確かにいつの日かこれらを大人たちに教えてもらいました。

足し算引き算、文字、時計の読み方。これらも人間が作ったルール。沸点、戦争、道徳。人間が学んできたこと。もしこれらを何も教えてもらっていなかったら、間違いなく今のようには生きていられなかった。

義務教育というのはつまり、先人の人がする「こんな風なルール作っておいたから把握しておいてね、あとこれは知っておいた方がいいよ」という引継ぎのことなんだ。

小学6年、中学3年、計9年の引継ぎ。人類が学んできたこと、設けたルール、それらを全部引き継ぐんだから、確かにこれくらいの年数がいるのかもしれない。

どのくらいの期間にどのくらいのことを引き継ぐかという線引きはこれから変わっていくんだろうけど、義務教育とそれ以降の教育の違いがはっきりわかったような気がしました。

なんだか堅苦しい話になってしまった。無事おわりました。交差点を渡りながら考えたことでした。

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