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上じゃなくて、横をみれば生きやすい

「上を向いたらキリがない、下を向いたらあとがない」

知らず知らずのうちに、だれかと自分を比べるクセがついている。
「それはいつから?」自分に問いただしてみても、思い出せないくらい遠い昔から……

とくに、SNSが生活の一部になってからというもの、他人の情報がたやすく目に入るようになった。

嫌でも他人と自分を比べる環境がそろっている。

素敵な休日、素敵なランチにディナー、素敵な家族、素敵な暮らし、素敵な、素敵な……

素敵な人を見上げていると、自分が下にいるような錯覚に陥る。素敵な人と比べて自分が劣っているように思えて、気持ちも萎える。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみて。

「だれかが過ごしている素敵」は、あなたにとっても素敵なことなの?

「うらやましい」と思う気持ちはだれにでもある。でも、自分が本当に求めているもの、自分が心地よいと感じる暮らしや時間は「だれかが過ごしている素敵」と同じじゃなくてもいいはず。

わが家のガーデンには多種多様な植物がいる。その植物を眺めていると、教えられることがたくさんある。

植物は、生きることに必死で貪欲。周りをうらやんでいる子はいない。自分の足元に根をしっかり張り、生命に対して素直。

(いや、もしかしたら、うらやんでいたり、ケンカしたりしているかもしれないけど……)

でも、わたしからは「自分は自分」の姿勢を貫き通しているように見える。

たとえば、華のある豪華なバラ。だれが見ても美しい。
そのバラの足元で、小ぶりな花を咲かせるエリゲロン。

素朴で愛らしい花を咲かせるエリゲロンは、バラを見上げてうらやんでいるのだろうか?

こんもりと広がるように咲くエリゲロンは、上のバラではなく、周囲を見渡しているのかもしれない。

どうやって広がって生きていくべきか、どこへ子孫の種を飛ばすべきか。つぎにどこで芽吹けば、太陽があたるのか……

植物は、自分が「心地よく生きる」ための方法を模索している。

植物が根っこを大切にしながら、生存にひたむきになるように、まずは自分の足元を大切にしよう。
そこから横に広がる世界を眺めてみる。

横に広がる世界を眺めるときには「自分らしさ」や「心地よさ」を大切にするのがポイント。

自分らしさを大切にしながら見る視点は、上を見上げて、だれかと比べていたころの視点とは違うものになる。

たとえそれが「のんびり過ごしたい……」ほんの些細な願望だったとしても、そのときの自分の声は大切にしたい。

なぜなら、些細なことに「幸せを感じられる心」を持つと、幸福度がアップするから。「幸せを感じられる心」を育む時間は、豊かな人生を送るのに欠かせない。

自分の素直な声に耳を傾けたら、

周りに見える世界から、なにを掴みとる?
掴んだあとに、なにをあたえられる?

まだ何物でもない自分が、なにかをあたえられるわけがない……

そんな不安はだれにでも押し寄せる。
でも、過去を思い起こしてみると、家族、友達、大切な人。なんの肩書きもない普通の人から、かけてもらった言葉に勇気をもらった。

数十年たっても、心に残っている言葉もある。
何物でもない普通のわたしや、あなただが紡ぐ言葉だからこそ、心に響くことがある。

素直な気持ちから生まれた言葉に、肩書きや経歴なんて必要ない。大切なのは誠実さだけだと思う。

たかが植物、たかが自然と笑う人がいるかもしれない。でも、生きる上で大切なことを無言で教えてくれる、植物や自然がなによりも好きで仕方がない。

これが、わたしの心の声だ!

レイニーブルーとエリゲロン



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