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日記(2024.10.31)

おはようございます。今日で10月が終わりますね。私にとっては一瞬で過ぎ去った10月でした。皆さんはいかがお過ごしでしょか。さて、今日も書く元気がありますので、書いていきます。

休み始めて丸々2ヶ月が経った。それは前回の記事から変わらないのに、カレンダー上では10月が終わる、それだけで焦りが沸々と湧いてくる。ふと、去年の今頃は何をしていたのか、写真フォルダを巡ってみる。

なぜグローブの写真、、、思い出を掘り返す。そうだ、確か大学の映画制作実習直前で野球のシーンのために9個グローブが必要だったのだ。確か、この映画はもう完成して試写の連絡が来ていた。私も体育教師役で数シーン出ているので、試写はいけないが観るのが楽しみだ。そういえばなぜ、職員の私がメインスタッフで動いているのだとヤキモキしながら、残業が2ヶ月連続で月100時間を越えて、産業医と面談させられた月でもある。

この頃も、忙しく動いていたんだなぁと思い返す。でも何とも思わなかったのは躁状態だったからなのだろうか。その数ヶ月後、別作品の撮影期間に入り、同期のスタッフに手が出てしまったことを思い返す。あの時は、なぜか体が重くて、イライラしていたのを思い返す。あの時は今の症状に似た状態だったんだろうか。

自分の「双極性障害」という病名を知って以降と以前では、何かが決定的に違う。あの時、もし自分の状態を自覚できていたら、やり方や関わり方に制限をかけられたかもしれない。色んなことを思い返しては、今の自分ならあの時はこうできたな、とか考える。多分、直面するとそんなに上手く対応はできないんだろうけれど、知っているのといないのとでは大差がある。周りの反応も別だっただろう。

一年前の記事を読み返すと、忙しくて時間が取れない、だとか、色々書いていた。この時期は前述の映画撮影準備の前で、自分の映画の仕上げ期間だった。このタイミングから1ヶ月ほど更新が途絶えるのだが、やはり自分の状態と関係してるように思う。「スマホも全て置いて3泊4日くらい山に篭りたい」なんて書いているし、「映画からの解放に時間がかかっている」とも書いている。私は私の病状を知るまで、このうつ症状を「映画」のせいだと思っていたのだろう。そしてこの後大忙しの10,11月を経て、ハタとPodcastを始めている。完全に症状だと思う。また更新を再開しようと思っているので、しばしお待ちを。

2023年の年末を区切りに、更新が一旦途絶えている。ここから確か怒涛の1,2月を迎え(また残業時間がすごいことになっていたのを記憶している)、3月には引越し作業、4月に結婚と転職、そして5,6,7月と慌ただしい日々を過ごし、8月、爆ぜる。多分想像するに、昨年の10月前半まではうつ状態、11月は平時の状態で過ごし、12月は軽躁状態、1,2月はうつ状態、3,4月は平時の状態で過ごし、5,6,7月のどこかで軽躁状態にあったのだろう。見事に波がある。noteの更新頻度や内容も、それに即している気がする。

さて、病気の振り返りはここで終わろう。こんなもの、他人が読んだって仕方のないものだから。そういえば、今朝起きると我が布団の上では、熱烈なボーイズラブが展開されていた。ごめんね、と言いながらベッドを出る。

最近は気分がすこぶる良い。調子がいいのだが、通い始めたフィットネスジムによる猛烈な筋肉痛に悩まされている。気分の落ち込みとは違って、清々しささえ感じるのがこの筋肉痛だが、初心者の割にじっくりやりすぎたのか、肩、背中、お腹、もも、全てに筋肉痛がきている。初日に肩と背中を重点的にやり、次の日にはお腹とももを重点的に攻めた結果、見事に功を奏しているのだが、この筋肉痛が治るまではジムはひかえよう。。。恐ろしや。

ふと机を掃除していると、白兎神社の絵馬を見つける。確か、嫁のお父さんに結婚のご挨拶に伺った時に、連れて行ってもらったものだ。帰ったら、何か目標を書こうねと話して、もう一年近くが経とうとしているが、裏はまっさらなままだった。効力があるのかわからないが、無事に縁も結ばれたことだし、記念に飾るだけにすることにした。嫁は、今の自分の状況に、色々と悩みや苦労もあるだろうが毎日楽しげに接してくれるので、感謝しかない。きちんと仕事に復帰したら、新婚旅行も行けていないし、どこか一緒に行けると良いなぁと思う。

そういえば10月も終わるということで、10月に新たな趣味となった俳句について、色々と勉強する日々なのだが、最近句帳を購入し、俳句本を購入し、本格的に趣味に目覚めつつある。俳句はいい。何気ない日常を、抒情的なものにしてくれる。映画と似ていて、映画は「運動が感情をつれてくる」芸術だと思うが、俳句も同じで説明的な表現や叙述的でない方がいい。季語を信じて、季語に思いを託して、情景を活写することで、感情をつれてくる。

初めて心打たれた俳句は、『サイダーのように言葉が湧き上がる』という俳句と少年少女の出会いを題材にしたアニメ映画で詠まれた摂津幸彦の俳句。「感情や少年海より上がりけり」当時も今も、この句を明確に鑑賞できる気はしないが、私の俳句への扉はこれで開かれた。

そして今月心惹かれたのは、夏井いつきの「蝶は今もう戻れない高さまで」蝶がさっきまでいた高さのところまで、もう一度、もう一度と羽を一心に振っている様子を活写した俳句。自分の状況と相まって、初めて涙してしまった句だ。

私は10月、実に101句作ることができた。何事も100という数字は初歩の初歩で大事なもの。ここから千よ万よと、作っていくに違いない。いや、また別の趣味に明け暮れて俳句から離れる瞬間も来るかもしれない。けれど、仕事もせず、うつ症状に悩みながら、それでも何か、何かを掴もうと、自分なりに100句向き合えた。何事もここから。

11月はどんな月になるのだろうか。季節はもう冬めいているのだろうか。自分の状態は今より楽になるだろうか。そんなことを考えながら、筆を止める。

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