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「手紙」にまつわる随想日記

今日から始める「映画徒然随想日記」

これはタイトルの通り、退屈な日常の中、あれこれと心に浮かんだままのに思うことを、日記として書き留めるものです。ただし、私は辺境ではあるものの映画監督なので、「映画」に関連した出来事を書いていこうと思います。

勿論、更新は不定期。”書きたい時に書きたいことを、書きたいだけ書く。”そういう奔放な日記です。随想なので、時系列は過去の出来事である可能性もありますし、もしかするとまだ見ぬ未来を書くかもしれません。ですので、今現在私に起こっていることだ、などとは、ゆめゆめ思わぬように。

それでは、本題に移りましょう。

※ちなみに今回の記事は、2021年4月30日に前ブログ「我が逃亡と映画の記録」にて書いた記事をガッツリ加筆・修正したものです。見覚えのある方も、新たな記事になってますので、是非。

劇場デビューが終わった東京での出来事。

拙作『海底悲歌』が、紆余曲折を経て、ようやく上野オークラ劇場にて、劇場公開が済んだ頃のこと。私は確か、ずっと憧れた「映画監督」になった、という実感を徐々に徐々に味わっていた頃のことだ。

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思えば、大阪芸術大学の卒業制作として作った『海底悲歌』は、当然大学での発表会以外では、基本的に日の目を見ない筈だった。私は自分の映画の出来栄えに、満足などできるはずもなく、早く次を作らねばと思いながらも、どうにか『海底悲歌』を他者に届けられないかと、奮闘してきた。それがようやく身を結び、ピンク映画の殿堂、封切館では最大の劇場である、オークラ劇場での公開が決まった。

そうして、待ちに待った劇場デビューをこの目で見届けようと、奈良から東京へ軽四車で仲間三人と連れ立った、あの時分を思い出す。金の無かった我々は、東京での数日の滞在を、どうしようかと苦しんでいた。仲間の一人は、同級生の安アパートに転がり込み、もう一人はどうにか工面して、安ホテルに滞在した。私はというと、その直前、懇ろな関係になりつつあったある女性の好意に甘え、ホテルをおさえてもらった。彼女はホテルを押さえる交換条件に、「東京での余暇は自分と過ごすこと」を出した。二つ返事で、ありがとうと言った。我ながら、クズだなと思う。恋人でもない女性に、ホテル代を出してもらうなど、いつの時代の若者だ、と言いたくなる。しかも、当時は別の交際女性がおり、いわば私は、東京へ浮気をしに行ったも同然なのである。けれど、背に腹は変えられない。たとえ、女性に金を出してもらおうと、私は劇場で自分の作品を見たかった。利用できるものは利用する、そういう魂胆だった。

東京の、とある夜の出来事

無事に『海底悲歌』の劇場公開を見届け、スタッフや俳優部と祝杯を交わし、泥酔しながらホテルへ帰った。その夜、当然彼女と同じベッドで過ごす。私は幸せだった。夢が叶った夜に、綺麗な女性と一夜を共にする。しかも、危険な関係だ。我ながら、美しい夜だと思った。

彼女は、確かにこう言った。

あなたのことが好き。でも将来が見えないから進めない」

私は、当時交際していた別の女性のことなど、とうの昔に忘れ去り、彼女との時間を愛おしく感じ始めていた。だから、これを言われると弱った。

「私も好きだ」

とは返せなかった。愛を囁かれるたび、関西に残した恋人の顔が浮かんだ。まして、劇場デビューしたての若輩者は当然経済的にも、社会的にも不安定な状況だ。もののけ姫のように、”ともに生きよう”などとは言えないのだ。

そして黙る私に、彼女はこういった。

「困ったら黙るんだね」

ナンパ者の男に、手痛い一言だ。苦笑いを浮かべる私に彼女は、ふふッと笑いかけ、そっぽを向いた。同じベッドにいるのに、視線が交わらないのはもどかしかった。けれど、黙る私に彼女は話を続けてくれた。彼女の過去のこと、家族のこと、仕事のこと、それから将来のこと。私は、ただうんうんんと頷くばかりで、自分の話はしなかった。

「あなたも、何か教えてよ」

と彼女は言った。

「暗い話でもなんでも、あなたを知りたい」

と続けた。自分の身の上話をするのが苦手な私は、なお黙った

「怖がらなくていいのに。なんでも受け入れるのに」

と寂しそうに彼女は話した。勿論、視線は交わらなかった。彼女の寝転ぶ後ろ姿を見ながら、身の上話の一つもせず、金も出さず、まして交際女性がいることも話さない、自分の卑怯さが嫌だった。セックスさえ、ろくにしなかった。

「いつか手紙を書いて」

その日、夜が一層深くなった頃、新型コロナウイルスが蔓延する中、それでも喧騒の残る歌舞伎町のホテルで、彼女は小さくつぶやいた

「いつか手紙を書いて」 

この言葉は、この現代の忙しない時の流れの中に、一体どれだけ多くの意味を持つ言葉なんだろうか。「いつか」は、いつでもよくない訳だし、そして、「手紙」は、手紙じゃなくてもいいんだろう。そもそも手紙とは、基本的に書く者が、書きたいから書くのであって、それを「書いて」と言うからには、何か想いがこもっているのだ。

「いつか」「手紙を」「書いて」3個で区切られたこの短文には、ここから一つ、物語を作れるような、それほどの意味が含まれている気がした。歌謡曲なら、それは来たる別れの兆候になりうるし、映画ならば、幸福の到来にも、二度と交わることのない決意の兆候にもなる。送るものと、受け取るもの、常に二つの意味があって、そのあまりの美しさに、私は「書くよ」としか返せなかった

とにかく私は、その言葉を言われて以降、ずっと心に何かを残していた。美しい言葉を寂しそうに吐く彼女の後ろ姿に、私は惚れてしまったのかもしれない。東京からの帰り道。下りの高速道、ちょうど夜の静岡SAに降り立った頃くらいから、私の頭には「手紙を書こう」という想い一色だった。私は最早、車内では何を書こうか考えるばかりで、流れる音楽も交わした会話も、堂々巡りの水のなか。心ここにあらずだった。 

いつの頃だったか、「お前はセリフが下手だな」と、佐々木原保志氏が、例に漏れず嫌味を言ってきたことがある。「どうしたらいいんですかね」と返すと、

「おまえ、そりゃ勉強じゃ無理だよ。経験だから。人と本気で接して、本当の言葉をきちんと受け取ってきた経験

と返ってきた。その時は、「俺にはまだ難しいですね」なんて返したけれども、彼はきっと年齢のことを言ってはいないことを理解していたし、「本当の言葉をきちんと受け取る」という言葉には、また多くの意味があることを知っていた。 

 朝方の自室、書き始める手紙

 夜に東京を出発した我々が、故郷奈良の地に帰る頃には、もう朝だった。心地の良い疲労感と共に迎えた朝方、帰宅した私はすぐに自室にこもり、筆を執った。さぁ、手紙を書こうとするのだけれども、書き始めたのは、懐かしいあの人への手紙だった。

拝啓、トメさん」なんて書き始めて、自分が一番驚いた。東京へ向かう時も、オークラで自分の映画が流れた時も、一度も思い出さなかったトメさんの事を、私の指は覚えていたのだ。

それから一度も止まることのない筆は、「本当にありがとう。早く会いたいです」という文字をなぞって、ようやく止まった。書き終えてから気づいた、この手紙はどこにも届くことはないのだ。届くどころか、送ることさえ叶わない。私はその事実に苦しんだ。彼女が亡くなってから、もう4年が経とうとしているのに、私は初めて喪失感を感じた。

奈良県と岩手県、何通も送り合った、その往復書簡は私の心を思いのほか、埋めてくれていたのだ。会えずとも想っている。むしろ、手紙を書いているとき、私はトメさんと会っている気がしていたのだろう。だから改めて、書いた手紙をトメさんは返せないことを、ここにきてようやく本当に実感してしまった。葬儀に参加できなかった私にとって、本当にトメさんとお別れできたのは、あの瞬間だったのかもしれない。4年越しに、きちんと悲しんだ。手紙を書いて、どうしようもなく涙がこみあげてきて、疲れているくせに、私は眠れなかった。

「頑張り。全力で頑張りなさいよ」

思えば、トメさんも驚くほど多くの意味をその言葉に内包させる人だった。きっとそれは、佐々木原保志氏が話してくれた「経験」なんだろう。もう少し、もう少し真剣に、他者と接しよう、そう思った。


それから少し経って

奈良に帰ってすぐ書き始めたあの手紙は、どうして彼女に宛てた手紙ではなかったのだろう。書く直前まで、彼女のことしか頭になかったのに、不思議だった。とにかく、あの瞬間に彼女に手紙を書かなかったことで、「いつか手紙を書いて」という言葉は、宙ぶらりんのまま、完遂されなかった。

けれど、奈良に帰ってすぐ、私は交際していた別の女性とお別れした。それから、冷静になって再び彼女のことを自問自答した。そして、「好きだ」と伝えた。彼女はすぐに電話をかけてきた。ホテルで話したどんな言葉よりも説得力を伴って、私は彼女の言葉に応えた。

そして、少しして、彼女に手紙を書いた。都合3度、私は手紙を書き直した。1度目は、書き終わった後、そのキザな文面に恥ずかしくなって、くしゃくしゃに丸めた。2度目は、彼女が教えて欲しいと話していた私の身の上話を書いた。けれども、手紙を出す前に、同じ話を電話でしてしまって、だから捨てた。3度目の正直、と書き連ねた手紙には、一体何を書いたのか、今となってはあまり覚えていない。

けれど、手紙とはそういうものなのだと思う。何を書いたかというよりも、その人を思いながら書くあの時間が私は好きだ。誰かに向けて、手紙を書くとき、思いもよらぬ自分の感情に出会ったりする。当時のことを思い馳せながら、こんなことを思っていたのか、と初めて気づいたりする。あの瞬間が、私はどうも心地がいい。

彼女からもすぐに返信が来た。綺麗な封筒に可愛い絵柄が施されていて、女性らしい丁寧な文字と、私的な文章が綴られていた。きっと彼女も、私と同様に、手紙を書いて、初めて触れた感情があるのかもしれない。

”手紙を書くことで、初めて自分の感情に触れる”

皆さんもそういう経験はあるだろうか。私の家の近所にTegami Cafeという喫茶店がある。

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昔の郵便館の跡地に出来たカフェで、『海底悲歌』のロケハンで見つけたカフェなのだが、そこではコーヒーと共に手紙が渡される。一杯飲んで、誰かに手紙を書いて帰る。いい店だと思う。

手紙を書く習慣のない方は、是非そういう時間を、とってみてほしい。想像以上に、文化的で、静かに自分を知れる、不思議な体験が出来るだろう。


ということで、今回の映画徒然随想日記、終わる。


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