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心の旅 これまでの振り返り

 おはようございます。こんにちは、こんばんは。堂ノ本敬太です。また、飽きもせず病状を記事にしていこうと思います。

中学生時代を振り返る記事について

 前回の記事で、次回は中学生時代を振り返って書いてみる、と結んだのですが、記事にしてみた結果、色々と問題のある中学時代だったからこそ、これは倫理的に大丈夫なのか、という部分が多々出てきたので、一旦公開することを保留することにしました。

 とはいえ、いざ中学時代のことを書いてみると、8000字を超える大長編記事になってしまい、元々誰が読んでるのかもよく分からないこのシリーズの中で、より「これ誰が読むねん」な記事になりそうだったので、保留にして正解かもしれません。気が向けば、しれっと公開します。

病気の源泉を辿ってみて

 さて、結局前回からの続きで、「病気の源泉はどこにあるのか」という謎ですが、中学時代を自分なりに振り返ってみて、少しわかったことが出てきました。

 まず、自分が自覚する最も古い鬱状態は、中学3年生の夏頃のこと。憎くて、怖くてたまらなかった父を力で打ちのめした日の翌日からのことでした。思い返して、文字にしてみて、やっと「あ、あの時俺おかしかった」とわかったのですが。とにかく、それが最も古い記憶です。

 それから最も古い躁状態の記憶。これも分かりました。ただ、ここが問題で、非行少年が躁状態にやること、皆さんの想像を絶する倫理的な逸脱があったので、公開しないでおこうとなったわけです。とにかく、最も古い躁状態の記憶は、中学3年生の夏終わりの頃。周りが高校受験に向かっていく中、非行がより進んでいた時期で、でも受験やら就職やらで仲間が離れていったり、一方で行き過ぎた享楽主義の結果、身近な女の子が妊娠したり、堕胎をしたり、そういう時期でした。上記の、うつ状態がおさまってからすぐの記憶でした。

 記憶を呼び覚ましていく中で、源泉は辿れましたが、原因はやはり分かりません。この時に鬱になった、この時は躁状態だった、というのは、振り返るとようやく分かるのですが、その当時はなんの自覚もなく、ましてや、この時に病気になった!みたいな瞬間は思い当たりませんでした。

中学時代から今まで

 では、その中学3年生当時に、この双極性障害を発症していたとして、これまで何度、鬱と躁の波を繰り返してきたのでしょうか。これが次なる心の旅かもしれません。

 思い当たる限り、私の高校時代は、鬱との日々だったように思います。何も手につかない中、半年に一度程度、躁状態が訪れて、たとえばその当時は朝から晩までTed Talksを聴き続けてみたり、学校を休んで映画館で6本も7本も映画を見続けたり、そんな記憶があります。大学見学と称して、突然、東京に一人旅をしてみたり、留学なんてのも、今思い返すと躁状態だったかもしれません。

 一方で大学に入ってからは、私は軽躁状態の日々だったように思います。しかし、時折たとえば長期休暇になったりすると、何週間も風呂に入れなかったり、家に引き篭り続けた記憶があります。作品制作が終わりに近づくと、いつも酒に溺れる生活だったようにも思い返されます。家賃を半年以上滞納するという出来事もありました。これはうつ状態だったのでしょう。思い返す限り、1回生の夏、2回生の冬、3回生の冬、4回生の秋と、おおよそ1年周期でうつ状態が訪れています。

 一方の躁状態は、大きなものだと、1回生の夏終わり、2回生の春休み、3回生の春休み、4回生の冬の4回思い当たります。1回生の夏終わりは、家に引きこもり続けるなか、映画をひたすら観て、10日で100本の映画を見ました。その10日間は、レンタルショップに行く以外、飯もろくに食わず、風呂も入らずに、そして眠らずに映画を見ていました。そして、何かが掴めたような気(病気でいう全能感)に溢れていました。我ながら、狂っていました。2回生の春休みは、『濡れたカナリヤたち』の準備に奔走していたように思います。新たな仲間が増えて、セット作りが始まった時期です。3回生の春休みは、とにかくお金がなくてどうしようもなかった。だから全財産を競馬に注ぎ込むという狂気を犯しました。これは確実に躁状態です。それから4年生の冬、私は後輩も引き込んで、突如ルームシェアを始めたわけです。スタジオカナリヤの始まりは、躁状態の私の強引な引越し勧誘だったのです。内見から引越しまで、ほんの数日の出来事だったように思います。

 他にも小さな躁状態、いわゆる軽躁状態や、軽度の鬱状態もチラホラ思いつきますが、大きなところはそんなところです。つまり私は、年に一度は、大きな鬱状態に陥り、その後すぐ躁状態に陥っていたことがわかります。おそらく、これは大学卒業してからも、同じような周期に感じます。

現在について

 執筆現在、かなり鬱状態は収まってきていて、という自覚はあるのですが、これまでの周期を考えても、この後、おそらく躁状態がきて、突然何かを始めたり、破滅的な買い物をしてしまったり、そういうことがあるかもしれないので、不安です。

 その証拠に、最近は家にいるのが退屈に感じられて、外に出たくて仕方がない衝動があります。誰かに会ったり、何かをしたい衝動に駆られます。自制するように、人との予定を作らずに過ごしていますが、この衝動は、経験則で言うと、抑えられず最終的には爆発するような気がしています。今までの経験上。自分がこうしたい、ああしたいと思ったことは、無理にでもしてしまいます。これが躁状態なのでしょう。今までは名前のない怪物でしたが、これからはその対処法が薬なり、色んな方法で制御できます。どうにか、この怪物と共存していこうと思います。

 そういえば、最近気づいたことがあります。私は鬱状態に陥ると、決まって見る動画があること。それはMOROHAやサンボマスターのような、熱いアーティストのライブ映像であったり、海外のオーディション番組の一夜にしてスターになる動画や、軍隊から帰ってきた家族の再会動画や、色盲の人が初めて色を認識できるメガネをかける動画など。私は決まって、そう言う動画を垂れ流して、滂沱し、眠るのです。

 何か力をもらおうとしているのでしょうか。理由はよくわかりませんが、周期的にそう言う映像を見ている節があります。『夜明け告げるルーのうた』『グッド・ウィル・ハンティング』『パッチギ!』これらの映画も同様に周期的に見ています。知らず知らずのうちに、こういう動画や映像を見ることで、自分の気分を高めようとしていたんだなと思うと、健気な自分に涙が出てきます。

 ふと、そんなことを思った夜でした。

【最後にお願い】

 こちらの「躁うつ闘病記」は、鬱に陥って以来の記録として記事にしているものです。もし、興味を持ってくださった方、私の本業は映画監督です。ぜひ映画を見てみてください。またいろんな記事を書いています。興味のままに、読んでみてください。
 また、スキを押してくださいますと、単純に見てもらえているんだなと嬉しくなります。よろしくお願いします。

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堂ノ本 敬太
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