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文学フリマ東京35 E-38に出展する社長が思い返すこと(制作裏話とか)

『ずっと夢の中で遊んでいたい』を社訓とする、夢遊社社長のイサキと申します。

これは一人の人間が11月20日東京の文学フリマで一本の長編『Azure Naught』を出すに際し、思うところを綴った文章であります。
【サムネの画像は作中主要人物かつ表紙に居る、白崎という名の理系で人たらしのクズである。なおかつ人間ではなくて機械だし殺人犯である。ロボット三原則ガン無視。優しそうなのは見た目だけかもしれないし、そうじゃないかもしれない】

そもそも文学フリマ自体なんじゃらほいという方はこちら↓

込み入ったあらすじ

ノナに一途な恋愛感情を向けてくる白崎。しかしそれはどこか病的である。同意無しに一方的なことをしてくる白崎に対し、ノナはついに反撃に出る。

そしてその外側にもルールがあり、二人の関係もそのルールの上でしかないと知る。――だからって彼の思う幸せを構成する1ピースなんかになりたくはない。彼の好きにはさせない!

多面性のある物語なので、どの切り口から書くか悩んだが、最重要なテーマはここである。別の切り口から書いたあらすじは以下。

好きな人と結ばれたい物語が多い中、一人の人間として抵抗する話は少ない。平気で個人の境界を侵犯する者には鉄槌が必要ではないだろうか。

作者の世界はいつも対決と破壊でできている。どんなに身近な人でも、分かり合えないし分かり合わなくていいしどうしたって譲れない部分がある。だから、作者がこの世界に納得するための物語を書いた。妥協と反骨と破壊。「世界ってこんなもんか、でも私はこうする。あなたは?」……そんな話。

正しくあることがアイデンティティだった自分が正しくなくなってしまったら、一体何が自分を自分たらしめてくれる?安心できるはずの場所がおびやかされたらどこへいけばいい?取り返しのつかないことをしてしまったら?全部明け渡したりなんかしない。一つになんかなりたくない!私は私なのだから!!
そう思っている人に、届いてほしい。

また、作者はノンバイナリーなので、性別が曖昧な人間から世界がどう見えているのか知りたい人や同じ境遇の人は読んだらいいと思う。

その他掲げているテーマ↓
・悪とは何か、暴力とは何か
・個人の非絶対性
・人間の多面性
・外国には絶対に分からない、日本の抱える概念
・女性に対する「神話」への反発(女性は繊細、母性がある、云々)

制作背景(忙しい人はこの章飛ばしてください)


この長編はずっと前から書き溜めてはいた。それこそプロトタイプは小学生の頃に作ったもの。しかしインターネットにつながっていなかったので発表の場など全く知らなかったのである。
まして現実と地続きにしたくないような作品であるから尚更。


加えて人間の感情がよく分からなかった。宇宙人並に。
小学生〜高校生の辺りまで、ドラマや映画を観ては「なんでこの人はこう言われて泣いてるんだ?」「どうしてこの人は喜んでいるのに周りが白けてるの?」というように根本的な人間理解が圧倒的に不足しており、小学生当時書いていた小噺の登場人物達は見返せば支離滅裂な行動ばかりしていた。
人生経験も無く、共感力も低かった。
人と何を話せば盛り上がるのか分からない。何が人を怒らせたのか分からない。分かって当たり前のように人々が要求してくる中、人からの信用を失った。
ロールプレイもチュートリアルもお手本も無しに何故周りの人間達は人間との付き合い方が分かるのか。長年理解できなかった。

上の世代は青春が人生の頂点だなんだと言うけど、自分としては青春時代と呼ばれるはずの年代なんてものは真っ黒にぐちゃぐちゃに塗りつぶされている。私が他人の思う「私」から逸脱するとある者は狼狽し、ある者は嘲笑する。自分の好きなもの、本当に表現したかったことを内側にひたすら押し隠し続け、発狂した。反駁すら未熟者と笑われ、自分の根底を破壊され蹂躙され尽くし、何が本当に好きだったのか分からなくなってしまった。残酷だ。自分の一挙手一投足が、発言が思想が全てねじ伏せられ身動きも息もできないなんて。
人間は年々経験を積み上げていって人間性を培っていくものだと思うのだが、自分の場合思春期の時点で更地になっていて、その分人間としての発達が遥かに遅れている。勉強や部活や人間関係で苦しんで心が折れることはあるだろうが更地までになる人間はいるんだろうか。

『ずっと夢の中で遊んでいたい』という社訓(というか願望)を掲げては居るが、あの頃は夢の中ですら「見つけたら殺せ、徹底的に探せ!」などと執拗にクラスメイトに追い回され、夢にも現にも安住の地などなかった。目をつぶってもシーンという沈黙の音がずっと聞こえて、それがどんどん大きくなって、朝が来るんじゃないかと怯えたことはあるか?朝起きられなかったら内申点に響くのに、這ってでも学校に行かなきゃいけないのに。明け方の寒さに震えて、薄ら青白い光がカーテンの隙間から漏れていることに絶望して、自律神経がイカれたのか片方の耳で心音がバクバク鳴っているあの独特の焦燥感を知っているか?

内面が育つ前に外からの辛辣な評価ばかり受けて内面が死んだ。当たり障りのなく人を傷つけない血の通わない存在たることを強いられた。正しく、秩序立って、無害なものになるように。


だがそれで満足いくものか?ありえねぇよな?
今現在の私とはそういった無機的な要求に対する反骨精神が辛うじてヒトの形をしている存在である。誰かを支配しようとする者、一方的に思い通りにしようとする者とも戦った。
だがそこまで自分が清いヒーローでないことをも知ってしまう。自分だってふんだんに間違っていることを知ってしまう。
それでも他に還元されていくのを防ぎ自我を保つためだけに激情を文章に起こし絵に描く。白髪一雄のフットペインティングのような迸る生命力みたいなものを信じているし、岡本太郎の「うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」という言葉を噛み締めて生きている。

大学入学を期にインターネットに接続して8年が経ち、なにかの間違いで人と話す職業に従事することになった結果人間の感情も少しずつ理解できるようになり、創作物の方もようやく登場人物の行動の整合性が取れるようになってきた。
今やっと自分がヒトの形になった気がしている。何者でもなかった学生時代にもう戻りたくはない。そういう人間が書いている。
この作品は絶叫である。腹の底から、喉が壊れるのも構わず轟音として発せられ、あなたの閉じられない耳の鼓膜に荒れた波形の音波として激突する生きた叫びである。

Q. 私小説ですか?
A. 違います。作中の細々した出来事の一部は作者の経験が参考にはなっていますが全てではありません。銃はゲームでは持ったことある(Call of Dutyなど)けど現実では持ったことないし、人殺したこともないもん。。作者や周りの人々その他を細分化してカルス化(作者は植物ではないが)し、それぞれを成体に育てたものが動き回っているような作品です。

作品詳細(作品名由来、注意事項、参考文献)

文フリ東京35に出る。無名なのは100も承知。生きてたら一度はやってみたいよね、人前で自分の創った物売るの。文化祭では学校の手前作ることもできなかった、あの煮え滾る苦しみから解放され生まれた作品。こういうのが作りたかった!

改めて作品名は『Azure Naught』と言う。このタイトルを決めたのは中学生の時だった。電子辞書が友達だった私は、色の名前を散々調べ、azureという色があることを知る。当時は先の未来でMicrosoftがこの名前を使うとか、この名を冠した美少女戦艦ゲームが出るなどとは微塵も知らない。なんの辞書だったか忘れたが、「希望の象徴とされる」とそこには書かれていた。発音は「エイジャー」。アジャーでもアズールでもない。確かにそう発音していた。そして私は図録も好きだったので世界史の時間にそれをぱらぱらめくっていたら「超弩級戦艦ドレッドノート」というハチャメチャにカッコいい名称が飛び込んでくるではないか。希望のない話だから『Azure Naught』にしよう。そこで決まった。ちなみにeとNの間は空けても空けなくてもいい。本当に、アズールレーンとは何の関係もない……。


軽く熱力学と量子力学が出てくるがSFなので割りきって読んでいただきたい。よく分からないで読んでもいいって『バーナード嬢曰く。』で神林しおりが言ってた。と言ってもエントロピーについてクソほどに悩んだから本当は分かってほしいけど、作者が悩んだ時間と同じだけの時間を使えとは言わないので無理しないでくださいね。
スピリチュアルではないのでその辺安心してください。霊とか知らんがな。

あとすっごく大事なことを言い忘れたのだが、残酷描写が多い。主要人物が人間でないことと、作者がBloodborneやバイオハザードの類をこよなく愛しているせいであまり気が付かないのだが冷静になって読み返して「うん、アカン★」と思うくらいにはグロい。でもこれは必要なグロなのです。最後まで読めばわかる。


設定を詰めるのに使った参考文献を載せておく。
【参考文献】
『エントロピーのおはなし』青柳 忠克  日本規格協会
『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ  NHK出版
『パリティブックス いまさら流体力学?』木田 重雄  丸善出版
『現代基礎数学15 数理論理学』鹿島 亮  朝倉書店
『単位が取れる物理化学ノート』吉田 隆弘  講談社(←この本無しでは絶対に書けませんでした。この場を借りて御礼申し上げます)
『暴力の人類史 上・下』スティーブン・ピンカー  青土社
『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』久保 明教  講談社選書メチエ
etc...



シン・ゴジラの牧教授の台詞が不気味に心に残っている。
「私は好きにした。君らも好きにしろ」

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