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海外大学進学とコスパ

海外大学に学部課程から進学するときによく話題となるのはコスパの話である。色々思うことがあるので、ここで少しその思いを消化したいと思う。


海外大学進学とコスパの定義

海外大学進学を学部課程から学士号の取得を目的として、学士号取得に必要な年数すべてを進学先の海外大学で過ごすことと定義する。
コスパを、海外大学に進学した際にかかった費用全額に対する大学卒業後5年以内の収入の割合と定義する。

そもそもコスパの概念はあるのか

私にコスパの概念はない。なぜならば、人生の幸福度は個人の年収で決まらないからだ。面白い調査結果がある。内閣府による「満足度・生活の質に関する調査」によると、世帯年収(一人暮らしの人も含む)と総合主観満足度は、年収2,000万円以上3,000万円未満のグループを境に下降していく。ここから、年収と幸福度は比例しないことがわかる。よって、人生の幸福度を年収だけで考えるのはナンセンスである。

海外大学進学で得るもの、失うもの

そもそも論、海外大学進学は意味があるのかという話である。得るもの、失うものなどと偉そうに書いているが、私は海外で学んだことがない身なので、伝え聞いた話である。
<得るもの>
①今までとは異なった視野
②人脈
③学部課程で養うことができる知識、思考力
④学位
<失うもの>
①お金
②日本国内での人脈

こんなものである。学部課程において、海外大学に進学したとしても、学問的な面で得るものは、海外の大学にしかない学問(例:KCLの戦争学)を除いて、日本の大学で学ぶことと大差はないと考えている。院に進学するとしても、日本の大学を卒業していようが、海外の大学を卒業していようが、あまり違いはない。海外だろうが、日本だろうが、自分が何をやってきたのかと大学の成績が関わるだけである。

なのになぜ、海外大学に学部課程から進学するのだろうか。この問いに一言で答えると、「日本では経験することができないことを経験したいから」である。この想いのもと、海外に進学していく人がいる。

海外で得た、日本では得ることができない経験は、お金に換算できるものではない。自分が経験したいことが経験できたこと、それだけで留学した本人の幸福度は高まるのである。

コスパを考える

海外大学進学とコスパと銘打ったのに、コスパの概念はないとしか書かないのであれば、それはあまりにも本文と題名がずれているので、お金の話をしようと思う。
まず、前提として、以下の画像からもわかるように、各場所での生活費を1としたとき、現地の大学の卒業生の平均月収は生活費のおよそ1.8倍と、卒業大学と生活地域との間に差はあまりない。たしかにUCLだけ1.15倍と他よりも低いが、これは他大学が卒業後5年以内の平均月収なのに比べて、UCLだけは卒業後半年以内の平均月収だからである。なぜUCLだけ違うかというと、私がこの画像を作成した際に、UCLの卒業して5年以内の卒業生の平均月収を確かなソースで得ることができなかったからである。

筆者作成/生活費はhttps://www.numbeo.com/cost-of-living/による

額面だけを見たら、海外大学を卒業したほうが高い収入を得ることができるが、生活費と対比してみると、どこの大学を卒業しようが、居住地を変えない限り生活費と月収の比率はあまり変わらないのである。

この4つの大学を比べたときに、学部課程4年間(イギリスは3年間)の費用が最も安いのは東京大学である。4年間ないしは3年間で2000万円以上の費用(アメリカの大学は4000万円近く)がかかる英米の大学に比べて、東京大学は4年間で1000万円程度しかかからない。だから、コスパ、コスパとお金と学歴の話しかしない日本に住む本人(もしくは出資者)は、東大に進学して、総合商社に入社すればいいのである。それが最もコスパが良い方法である。

まとめにかえて:他人にコスパという人へ

私はロンドンの大学に進学するが、昨今、隆盛を極める情報系の学部ではなく、社会科学系の学部に進学する予定である。だから、コスパを追求する人にとっては、コスパが悪い選択なのだと思う。事実、面と向かって、「それコスパ悪くね」と言われたこともある。別に、本人や出資者がコスパを追求するのは勝手にどうぞの問題なので、どうでもよい。だがしかし、人に自分のコスパ論を擦り付けてくるのはどうにかしたほうがいいと思う。

多くの海外大学進学者の留学は、出資者が、当人の海外大学進学という選択には出資する価値があるという判断のもとで実行されている。保護者であったら、保護者が納得し、財団であったら、財団がお金をかける価値がある学生だと判断し、jassoであれば、将来の国益に貢献する人間であろうという判断して出資しているのである。一銭も出さない人はコスパを考えても、黙って、がんばれと励ます程度にしておいてほしい。それが私の願いである。

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