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人類の永久課題Joker

溜まれば淀む。淀めば弾ける。

ジョーカーを見た。美しい絵作りと誰にでも理解できる解り易い構成、上質の演技と演出。お手頃R15指定で(中学生は見るべきでないとかいうイチャモンはありつつも)安心の良作。そしてこれをトランプ時代に合わせてくる確信犯。あるある的リアリティと、誰もが「あれは自分だ」と乗っかれる味付けも絶妙。これは売れそう。

とはいえだ。新しさはない。というか自分にはシェイクスピア的古典のような古臭さすら感じられた。同僚に「ちょっと児童書っぽい」と感想を述べたらドン引きされた。「こんなにも深い社会テーマを描いているのに」と。まあそれはそうだけど、数百年繰り返し作られ続けてるテンプレ悲劇だし。

社会格差は社会の性とも言えるもので、時代や社会体制に依存しない。封建、民主、共産、はては町内会、職場や学校に至るまで、どんなシステムにおいても、個が多様である以上、それが集まれば格差は生じるし、その間で循環が滞れば腐敗する。そして腐敗が進めば内圧が高まって、何かのきっかけで瓦解する。その繰り返し。それはまるで溜まれば淀む水の流れのような自然原理で、社会性生物人類にとって、未だかつて一度も解決された事のないまさに永久課題なのである。

大衆娯楽が世相を反映するものだとして、今大衆が共感するヒーローがバットマンからジョーカーに移った経緯は興味深い。時代がそういうステージにシフトしている。瓦解前夜…なのか…?とはいえゴッサムの時代設定は、インターネット出現前の70〜80年代ニューヨークだ。今の個人発信の時代を代弁するにはいささか短絡的過ぎる。感情的共感はできたとしても、現代社会は新しいロジックで動いている。

バットマンというコンテンツも、既に普遍的古典になりつつあるのかもしれない。


追想、今年のハロウィンはブレグジットとのコンボなので、ロンドンとかベルファストにもジョーカー暴動きたりして。

いつの世も、アーティストという職業はファンやパトロンのサポートがなければ食っていけない茨道〜✨