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私も楽しく歌ってみたい

カラオケがとにかく苦手だ。
カラオケほど恐ろしい場所はない、と思っているし、だからカラオケの「カ」の字が聞こえてくるなり、いつもその場からすすすっと逃げ出してきた。


カラオケデビューは、中1になる春休み。
友人に誘われてノコノコついって行ったら、みんな流行りの曲をバンバン歌うのでびっくりした。
私の世代なので、SPEEDやらモー娘。やらSMAPやらB'zやら…だったと思う。多分。
多分、というのは、私はNHKしか見ない家庭に育ったので、流行りの曲が全くわからなかったのだ。

カラオケというのは、どうやら1曲は歌わずに帰してもらえないらしい。
恐怖のマイクからついに逃れられず、13歳の私は、たまたま前日に歌謡番組で流れていた曲を入れた。

「昭和枯れすすき」

ええ、ええ。凍りつきましたよ。部屋全体が。

だって、曲のタイトルがこれしか本当にわからなかったのだ。
今思えば、サザエさんとかドラえもんとかトトロとか、せめて何かあるだろうと思うけど、もうマイクが怖くて滝汗で動転してフリーズして、そうすると曲名が昨晩テレビで見たばかりの「昭和枯れすすき」しか出てこなかった。

「貧しさに〜負けた〜
 いいえ〜世間に〜負けた〜・・」

歌の1番が終わって、間奏のときに友人がそっと曲を終わらせて、隣に座っていた男の子が苦し紛れに、「懐メロとか、好きなん」と、なんとかしようとしてくれた。

はぁぁ…。思い出すだけで動悸がします。

兎にも角にも、それがトラウマすぎてそこからは断固、カラオケに行かない主義を貫いてきた。

高校の文化祭の打ち上げで無理やり連れて行かれたのが1回と、
「私は音痴だ」という断り文句を信じてくれなかった友人に強引に連れて行かれて「本当に音痴だったんだ…」と盛り下がった回で、合計3回。これが私のカラオケ体験のすべて。


そう、私は音痴だ。

小学3年の頃、音楽の教科書に載っていた「茶つみ」を何人かずつ歌ったときに、「ちゃーつみじゃないか」の「ちゃー」の部分を思い切り外して、教室が笑いに包まれた。

自分では何が起きたのかよくわからなかったけれど、
その日、帰り道で違うクラスの男子に、「ねえねえ、茶つみ歌って」と言われて歌うと、その男子が爆笑しながら走って行って、あ、これはなんかまずいのだ、と思った覚えがある。

そのあと、いやな担任の教師に「リコーダーが音痴だ」と言われたり、
習っていたピアノの先生に「なんでかなー?」と不思議がられたり、
吹奏楽部で楽器の音程をとるのに苦労したり、
とにかくいろいろなものが積み重なって、
「私は絶対に人前で歌ってはいけない」という強固な自覚が形成された。



で、30歳もすぎ、この後に及んで、私を歌わせようとする人が現れた。
夫と息子である。

夫は歌うのが好きだ。
一度聴いた曲は大抵歌うことができるし、酔っ払いながらCMソングの替え歌をつくるのが得意で、とにかく毎日何かしら歌っている。

とにかく毎日歌う人が隣にいると、どうなるか。
知っている曲や好きな曲を夫が歌い出した時、私も思わず、ちっちゃ〜い声で、つられて歌ってしまうことがある。

結婚して早4年。「カラオケ行こうよ」という誘いを何度となく断ってきたのにまだ諦めていない夫は、私が歌っても、何も言わない。
「今、音外れた」というのはもちろん禁句として、「歌えるじゃん」と褒めるのも逆効果だと、学習している。

そうして歌っていると、どうなるか。
少し楽しい、と思うことが、少しだけ、ある。
もう少し大きい声で歌ってみたい、という気持ちも、無くは、ない。


そして、そんな夫が隣で歌いだすと胎動が激しくなる、という胎児期を過ごしてきた息子も、すでに音楽好きの気配がある。
(「赤ちゃんはみんな音楽好き」という説もあるけれど。)

在宅勤務の夫が、隙を見ては歌いかけ、息子はそれにニコニコと応える。
最近は特に「出前館」のCMがお気に入りで、夫がたまに出勤した日、息子の笑顔見たさに、私は全力で「出前館」のCMを歌う。

で、で、で〜まえか〜ん〜 でまえがスイスイスイ〜 ♪
アツアツ アツアツとどくよ でまえがスイスイスイ〜 ♪

私の歌をきかせて音痴がうつったらどうしよう、という心配もあるけど、息子は習得したばかりのぎこちない声を出して「へへへっ」と笑う。
私の出前館で笑ってくれるのだ。この子は。上手い下手じゃない。息子が笑ってくれるなら、もはやこれは正である。


きわめつけに、夫が言う。
「君がカラオケに行かないなら、俺は息子くんと二人で行くよ
だって息子くん、絶対カラオケ好きだと思うから」

それはいやだ。私も行きたい。息子と、夫と、…カラオケに。

それから私は、カラオケのアプリをダウンロードした。
携帯に向かって歌うと、音程バーが合っているかどうか教えてくれる。カラオケ番組でよく見るやつだ。
恐る恐る歌うと、得点がでた。

あれ? 78点…?

せいぜい30点とか40点とかだと思っていた私は、生まれて初めて見たその点数に勇気付けられた。
(のちに、最低点が68点程度、という事実を知るのだけど…。)

それから日中、歌えそうな曲を入れては歌っている。
ネットで、「音痴 克服」などと調べ、コツを探す。
まずはきちんと、曲を覚えて歌うこと。そして、立って、すこし上を向いて歌うのが良いというので、そうしている。
曲にも、歌いやすい曲というものがあるそうで、そういう曲を探しては歌う。

息子は私のジャイアンリサイタルを、不思議そうに隣で見ている。
ニコニコしながら聞いてくれている時もある。

ちなみに最近、息子の反応が良かったのは「ハッピーサマーウェディング」。これまでの私だと絶対歌わないようなノリノリの曲が、息子にはなんだか楽しいらしい。

先日、ついにアプリで90点が出た。
その曲は「地上の星」。ありがとうプロジェクトX。ありがとうNHK。ありがとうカラオケアプリ。

夫に話すと、「じゃあもう、カラオケにいけるね」と嬉しそうに笑った。
春になったら、感染対策を万全にして、初めて三人で行ってみたいと思う。
人生4度目のカラオケに。



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