さみしい気持ち

バスに乗ったら、なんか寂しい気持ちになった。
図書館に行ってもさみしかった。
区役所からの帰り道もさみしかった。
がんばったから、帰りたかった。
帰りたいのに、かえりたくなかった。
帰りたいのは、ねこのいる家だった。
猫が待っててくれた家だった。
いつも待っててくれてたんだと、
今になって気づいた。
待っててくれるお家が好きだったんだと
いまになって気づいた。

ずっと家にいるのが好きだったのは、
ねこのいる家が好きだったのかもしれない。

ねこがくるまえから、家にいるのが好きだったけど。
ねこがきてからは、ねこのいる家になったのかもしれない。
14年間は、長い。
子どもから大人になった14年間は長い。
大人になった自覚はない。
ねこにとってわたしはずっと子どもであった気もする。
でも、後半は、わたしが大きくなってきた後半は、頼ってくれることも多くなってきた気がする。
ねこがそばで見てくれていた14年間は長い。
ねこのそばにいられた14年間は長い。

心が癒えるまでの時間がかかって当然だ。この先ずっとさみしいし、ずっとかなしいんだろうか。
どうやって、みんな生きているんだろうと思う。

それでも、その日よりは、いくらか心の置き場を見つけようと、すすんではいる。
すでにものすごいスピードでなにかが進んでいて、それはいいことである気がする。
アタマがさみしいというほど、からだのお腹とかのほうは、あったまってくるからふしぎだ。


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