足跡が愛おしい

ちょうど9ヶ月前に始めた
このnote。

ねことはなれてから
またねこと出会うまで。


ゼロになったあのとき
どこへ向かって、なんのためにすすんだらいいのかわからなくなったあのとき

ぽつりぽつりと歩いてきたら。


いま、わたしのそばには ねこがいる。


この部屋の机の上で
ねこがねている。

同じ部屋とは思えない
同じ自分とも思えないくらい
気づいたら世界が変わっている。

こうやって進むために
あとおし、

みちびいてくれたのかもしれないな

21さいになっても
今見たらおばあちゃんだったかわいいこは、
朝起きろー!と言いにきて、
こどもたちの寝顔を見て
だんらんの中心でどっしりと座り、
わたしたちの話を聞き、
最後まで自分の足で立ち、自分でご飯をたべていた。ご飯がだいすきだった。

今そこでねているおとこのこは、
うまれたばかりのいたずらっこで、
目に見えないほどのはやさで馬のように走り抜け、
なんでもまず、かじってしまうからまだまだ目がはなせない。

全然ちがうのに、
朝起きろー!と言いにくる勢いと
ごはんのときだけ大きな声をだしつづける
食いしんぼうっぷりが似ている。
そして、同じ毛布を気に入っているから
不思議だ。

それからとっても綺麗なかおだちをしている。

ふたりとも
かわいくてだいすきだ。

9ヶ月後にこんな未来があるなんて、
あの日の自分には想像もつかない。
暮らしもしごともがらりと変わった。
でも、振り返っても、とことこ歩いてきた足跡があるだけで、
頑張りや苦しみのような重たいものはない。
どの足跡も愛おしく感じられるというのは、
どういうことなんだろう。

あのとき、ぽつぽつと
足を前へだして、
歩いてきた自分を褒めよう。

「これからは、わたしがわたしを褒めよう!」


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