見出し画像

しおたんの陰影

塩谷舞さんの本『ここじゃない世界に行きたかった』、買って届いたはいいけど「ちょっと眩しいし、読むのどうしよっかな」と一日積んでいましたが、開いてみたらそれは《鈍色の輝き》で、すとんと読めたので、おすすめするnoteを書きます。

インフルエンサーでバズライターの人気者しおたんは見るからに「陽」の人で、おしゃれやし何から何まで小綺麗でちやほやされて羨ましいなとは多少思うのです。

そんなわだかまりを、合気道の投げ技をするんと決めるかのように、文章に落とし込んでいたのが、冒頭の書き下ろし『SNS時代の求愛方法』でした。

「最初にお会いした時は、とても明るい人だと感じたから。でも現実世界でちゃんと満たされている人であれば、ああいった陰のある文章を書かないじゃないですか」(p.23)

エッセイとして整えられたしおたんの文章は、どれも落ち着いた常体で、穏やかに読めます。紙媒体だとなおのこと。友人を紹介するくだりとかはインフルエンサーみが残るんだけど、内省的な言葉や、社会を見据える記述には、たしかに「陰」を感じます。

私がしおたんに会ったのはCINRA時代の終盤なのですが、たぶんその頃はインターネットに彼女が刻む「陰」の色も少し違ったと思うんですよね。若さでゴリ押しできた頃は、「本音」も、ぱきっと白黒だったかもしれない。その後適応障害の診断を受けたり、入院したり、渡米してすごい揉まれたりする日々を経ての、直近2年ちょいのテキストの集成は、鈍色です。本の表紙はやわらかくクリアな白と水色だけど、本文の空気は濃いグレー。

「もっとシンプルにして、誰でも使える仕組みをちゃんと考えていきたい。そうして無駄を省いた先で、心や身体を大切にできるのであれば、それはとってもヘルシーなことだ。」(『ミニマルに働く』p138)

たとえばこの「ミニマルな働き方」という話自体は、とてもモダンで今風で新世代な話題なんだけれども、この『ヘルシー』という言葉には、なかなか切実な重量感が乗っていると感じました。


「私も」と書くとおこがましいけれど、私も去年はnoteにぽろっと書いた弱音みたいなテキストが予想外にポジティブに受け止められたりして、noteとtwitterを通じてたくさんの共鳴する友だちができました。己を鼓舞して「陽」を演じる仕事に少し疲れてきた30代にたぶん共通する「陰」の静けさ。インターネットに助けられたことへの感謝と実感。

都市に生きることや、ニュータウンが故郷であること、美大で鼻息荒く過ごしたこと。どれもシニカルに相対化されていて。多重人格的だなと思います。いろんな眼で見ている。それが「多様性」ということなのか?

Amazonの販促画像とかを見るとやばいくらい光が強いんですけど、

画像1

「そうだけど、そうじゃないっしょ!w」と胸中で叫びながら読み進めていきます。もちろん「新世代エッセイ集」「注目インフルエンサーのデビュー作」として、うちらの世代らしい視点が流布していくのはなんだか嬉しいですが、「消費的」に読んじゃうのはあまりにももったいないと思う。

こうやってある種「世代の象徴」を演じることすら、きっちり相対化して綴っているように思いました。深読みしすぎ?


そして、本のタイトルに『ここじゃない世界に行きたかった』を持ってきたのは秀逸だなと思っていまして、これは「ここじゃない世界に行きたかった(から来れました♪)」ではなく、最後の書き下ろしにある通り

世界のどこに行ったって、自分のために用意された理想郷は存在しない。だったら自分でやるしかない。(『大都市から離れて』p266)

っていう主題に呼応してるんですよね。

少しの達観と諦念と、それでも前を向き続ける確信と。いま、しおたんが綴る文章と、美意識と、視点とを、私は信頼したいなと感じた次第です。


この記事が参加している募集

読書感想文

🍻