高みをめざす表現者へ。村山由佳『ダブル・ファンタジー』レビュー
プロの #クズエモ が読みたい。
そう思って手に取った村山由佳さんの『ダブル・ファンタジー』が、期待を完全に覆す良さだったので、長いレビューを書く。
完全にネタバレっていうか読んでる前提で書きます
🌃
35歳脚本家・高遠奈津の、奔放な性の彷徨。ダブル不倫を重ね続ける、淫らな主人公。
小説『ダブル・ファンタジー』についての既存のレビューはどれも、「エンタメとして面白いか」「主人公・奈津に共感できるか、嫌悪するか」という視点が多い。とすれば確かに、賛否両論・毀誉褒貶も頷ける。
ただ、この作品が作家・村山由佳の「自伝」的側面を持つことを踏まえ、noteクリエイターというひとりの「表現者」の立場で読むならば、どうだろう。
僕は、たくさんの登場人物に深く共感した。
志澤。岩井。杏子。省吾。だれもが、自分自身の一部だった。そして、脚本家=表現者として、苦しみながらも自らを受け入れていく奈津自身さえも自分の一部であり、登場人物の誰もが「必要な存在」として描かれることに、納得する。
村山由佳さん自身も、かつてのインタビューで『自分が体験したこと、体験した感情という意味で、男も含めて登場人物全員が私である』と話している。
「表現者」の大先輩である村山由佳さんが、『ダブル・ファンタジー』に織り込んだメッセージは何なのか。核となるキャラクターの造形をたどりながら、読みといてみたい。
村山由佳といえば、中学か高校の図書館で『青のフェルマータ』『すべての雲は銀の…』を読み、「こんなドキドキする恋愛小説はとても読めない」と、以降十数年封印してきた作家だ。それがいま、フルスイングのレビューを書くほどにのめりこんでいるのは、ここ1年のnoteライフの影響としか考えられない……(いろいろ免疫がついた?)。
照れるので本編は有料だよ!
(1) 解き放つ人、志澤一狼太
〈たとえこの先、おまえがどんなに孤立しても、おれはおまえの味方だからな。〉
僕は、志澤のような50代になりたいと思った。(いや、クズい漁色家にという意味ではないのでそこんとこよろしく。。)
50代蓬髪の演出家、志澤一狼太は、年齢・実績ともに第一線の表現者である。独自性とエネルギーにあふれる作品をつくり、メディア露出も多く、人柄もワイルド。35歳脚本家である奈津にとって「仰ぎ見る存在」だ。その志澤とのやりとりが、徐々に奈津を夫・省吾から剥がし、勇気づけ、鎖を引きちぎるような力で奈津を「自由」へと導いていく。
〈おれは、おまえに自己肯定を教え込みたい。〉
ダブル・ファンタジーは、表現者としての奈津が、「自己肯定感」を取り戻していく物語ともいえる。
物語は、奈津と志澤のメールのやりとりから始まる。まあ冗長な面もあるけど、これほど「文字だけで、愛していることを伝えられる」ということに驚く。べらんめえ調の志澤の綴るテキストは、照れも入りながらも、ストレートで、真摯だ。
奈津にとっては志澤との逢瀬は性愛的に大きな出来事だが、志澤の視点は常に「書き手」としての奈津に向いている。
頑張って、ちゃんと書けよ。そうして早くおれのところまでのぼって来い。
だから、奈津の「脱出後」はあっさり離れていくし、後半の「再会」では見向きもしない。そして最後には、哀しい別れ方だが、奈津自身が志澤を「超える」ことを示唆するような場面描写を経て、奈津は志澤の存在を消化していく。
「クズ」と描かれる志澤だけれども、終盤の語りで「たしかに愛おしいと思ったこともあった」とあるように、志澤は本当に、奈津を愛していたのだと思う。
志澤は、奈津の味方であり続けた。奈津の才能を見出し、信じ、認め、自信を持てと励ます。志澤がいるから、奈津は高みを目指せた。変わることに執着できた。
そんな「厳しく、優しいプロ」に、いずれなれるだろうか。
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(2) 受け容れる人、岩井良介
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