ノルウェーの地図を眺めながら読む『ナチスの北欧幻想』
デスピナ・ストラティガコス『ナチスの北欧幻想: 知られざるもう一つの第三帝国都市』が面白かったので、補足情報とともに紹介します。歴史ノンフィクションものは「空間把握」と「人物把握」が視覚的にできると理解がぐっと深まると思います。土木・建築・都市工学系が好きな方と、現代史・戦争史が好きな方はぜひお付き合いください。
ドイツとノルウェーの位置関係
まずはドイツとノルウェーの位置関係を確認しましょう。ベルリンから、現在陸路ではデンマークまたはスウェーデンを経由してオスロに入るルートが提案されます。ドイツからは真北にある、スカンジナビア西端の国ですね。
ドイツ第三帝国は1940年4月、「ヴェーザー演習作戦」をもってデンマークとノルウェーに侵攻し、当地を占領します。連合国はノルウェーの奪還作戦を行わなかったため、ノルウェーでは終戦までナチスドイツの支配が継続しました。
5年間、ノルウェーの統治を指揮したのが、国家弁務官ヨーゼフ・テアボーフェン (Josef Terboven)です。テアボーフェンの名前は実権者として、本書で繰り返し登場します。
ノルウェーは、『ザ・アーリア人の国』として、ナチスドイツの優生思想における特別な立ち位置を占めていました。
優生思想はアーリア人以外を排除するというイメージが強く、「逆」の考え方があることを本書で知りました。この考え方こそ、ノルウェーにおけるインフラ建設を異常な優先度の高さで推進し続けたり、都市の復興にあたってナチスドイツ風を取り込んだりといった、エネルギーの原動力の一つです。
ノルウェー人女性とドイツ人男性との「交配」を促進する社会制度としての『レーベンスボルン計画』や、象徴としてのアウトバーン建設、そして後述する「ニュー・トロンハイム」構想など、ノルウェーに対するヒトラーの偏執的な政策が次々と展開されていきます。
トロンハイムからキルケネスへ
本書序盤で「キルケネス」という地名が出てきます。これはノルウェーの北東端、フィンランドより東、なんとロシアと接する部分にある沿岸都市です(GoogleMapsはメルカトル図法のため北の方がかなり縦方向に引き延ばされている点には留意)。キルケネスはドイツ海軍・空軍の北極圏における拠点でした。
上記マップではスウェーデン・フィンランドを経由するルートが提示されていますが、沿岸沿いにノルウェー国内のみで南北を貫く幹線道路の建設が計画されていました。これは指導者層肝煎りの施策でしたが、めちゃくちゃ複雑なフィヨルド地形に道路を通すのは当然莫大なコスト(費用、資源、労働力、時間)を要するわけで……。
ほぼ同じルートで「北極圏鉄道」を建設することにも、ヒトラーが異様にこだわったそうです。それだけ、土木インフラは実用性以上に「象徴」としての役割が大きいことが、本書を読むとよくわかります。
さて、こうしたインフラ建設において重要な役割を果たしたのが、軍需大臣を務めた土木技術者のフリッツ・トート (Fritz Todt)と、彼が率いた『トート機関』です。
トート機関は、ポーランドやソ連、ユーゴスラビアなど、各地から捕虜を労働力として連行し、インフラ建設の労働力として使役しました。
トートはドイツ全土のアウトバーンの建設総指揮を担い、ノルウェーの首都オスロからスウェーデンを経てドイツ国内のアウトバーンに接続する部分も構想しています。しかしながら、トート自身はヒトラーとの戦争観の対立もあり、1942年に航空機事故で死亡。トート機関と軍需大臣のポジションは、後述のアルベルト・シュペーアに引き継がれていきます。
西岸諸都市の再設計
ノルウェー侵攻で荒廃したノルウェー中西部、フィヨルド沿いの諸都市を再建するにあたって、いかに「ナチス的都市」のエッセンスが注入されようとしたかという4章は、最も面白いパートだと感じました。モルデ、ボードー、ナムソス、クリスティアンスンといった都市名が登場します。
都市設計全般に関して、ナチスドイツお抱えの筆頭建築士として権勢を振るったのが、アルベルト・シュペーア (Albert Speer)です。『ニュルンベルクの党大会会場』や『光の大聖堂』が作品として有名。31歳でGBI=帝国首都建設総監に就任し、終戦後も生き残りました。
ノルウェーでのプロジェクトは、シュペーア自身ではなく、主に副官ハンス・シュテファンが主導しました。残念ながら、シュテファンという人物についての詳細情報は、インターネット上ではストラティガコスによる下記記事以外見当たりませんでした。
🔗 Nazi Architecture Bros: The Young Men in Albert Speer’s Office
GBIにおいてシュペーアは、自身と近しい30代の若手男性建築家で幹部を固めたとされ、その「シュペーア・ボーイズ」の一人がシュテファンです。シュテファンは、シュペーア宛とされる視察報告書『ノルウェーへの旅 (Reise nach Norwegen)』を書くなど、忠実な仕事ぶりが見て取れます。
一方、現地ノルウェーの建築家筆頭として実務に当たったのは、ノルウェー工科大学教授のスヴェレ・ペデルセン (Sverre Pedersen) です。
合理性を追求する「機能主義」を基盤に、バロックなどの古典的様式や、エベネザー・ハワードの「田園都市」(都市と自然の融合)の影響も濃いペデルセンのスタイルは、必ずしもナチス流と一致しなかったようです。ただペデルセンは、占領以前からノルウェー国内で複数の都市計画を担ってきていた実力者。ドイツ側の人材で代替することはできず、結局シュテファンとペデルセンが細かいすり合わせをしながら、各都市の設計を進めていった経過が語られます。
上述したレーベンスボルン計画による「出生」の増加や、ドイツ本国からの移住促進を念頭に、《人口増を織り込んだ、スケールする都市計画》が当初から要請されたというのも、夢が壮大だなあと感じます。
ニュー・トロンハイム
ナチスドイツが「理想都市」の建設先に選んだのが、トロンハイム近郊です。拡大地図を見ると、西側の海から少し内陸に入り込んだ沿岸にあり、都市の北には非常に入り組んだフィヨルド地形が広がっていることがわかります(Trondheimのカタカナの当て方はWikipediaでも大激論になっていますが、本書ではトロンハイムで統一されています)。
元々、ノルウェー侵攻前からイギリス海軍に対抗する大規模な海軍基地の拠点として目されていたトロンハイム。そこに、ヒトラーの描く「最も美しいゲルマン都市」をこの地に築くという構想が重なります。壮大な計画を実現するため、デアボーフェン、シュペーア、シュテファンなど数々のお偉方が調査に奔走します。オールド・トロンハイムとは別個の、全く新しく構想された都市、ニュー・トロンハイム。日本語副題にもある「もう一つの第三帝国都市」についての詳しい経緯が、5章に記述されています。
※原書副題は "Building the New Order in Occupied Norway" (占領下のノルウェーで新たな秩序を築く) なのでより包括的な題ですね。
さらに、「ドイツ人のルーツを示す大きな文化事業である戦没者墓地と戦争記念施設」の大規模な造成も検討されました。この事業の担当は、建築家のヴィルヘルム・クライス (Wilhelm Kreis) です。
本書表紙や下記記事のサムネイルにもあるペン画のスケッチは、クライス自身の手によるもの。
このスケッチの場所は「ビマルカに聳え立つ標高230メートルの山、ヘヴリングベルク」とありますが、たぶんトロンハイム市街の西側にある大きな半島、トロンハイムフィヨルドを一望する場所が、クライスが設計した戦没者墓地と記念碑の建設予定地です。また、左下、Øysandという文字が見える、ガウラ川河口の半島が「オイサン半島」で、ここには乾ドックをはじめとする大規模な海軍基地施設が計画されました。
ただ結局、構想に基づく地質調査をしていたのが1941年頃で、そこから間もない1943年2月には、スターリングラードでドイツ軍が大敗。そのまま当地での建設プロジェクトは劣後が続き、理想は理想のまま、終戦を迎えることになります。
ここまで挙げたような、さまざまな「計画/幻想」の全容を、多数の資料から明らかにし、ストーリーとして束ねていったところが、本書『ナチスの北欧幻想』の稀有なところだと思います。インターネット上では、上記のエピソードのほとんどは断片的にしか語られていません。
著者について
デスピナ・ストラティガコスは1963年カナダ生まれの60歳、ニューヨーク州立大学バッファロー校教授。専門は "Diversity in Architecture (建築におけるダイバーシティ)"。公式プロフィールはこちら(連絡先も書いてある)
2020年に刊行された本書は、彼女の研究の集大成の一つだと思います。緻密な学術書でもありながら、ダイナミックな歴史ノンフィクションとして楽しく読めます。機会あれば、ぜひ北欧現地にも訪れてみたいです。
※記事サムネイルクレジット:UnsplashのJay Mantriが撮影した写真
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