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SFじゃなきゃ託せないこと #本棚をさらし合おう

「これからもずっと、何回も読んでいくだろうな」と思える本は、どれだろう。

わたしの場合、538冊を収録するKindleのバーチャル本棚を見渡してみても、そんな作品は多くない。そして、大事にしたい本は、国産SF小説に固まっていた。


「SF」と呼ばれるジャンルの境目はかなり曖昧ではあるけれど、現実と少し(またはかなり)違う世界設定を踏まえた近未来の物語を、かりにSFと呼ぼう。

なぜSFをわたしは選ぶのか。SF作品を繰り返し読む時、その物語から何を学ぶのか。

このnoteでは、わたしの激推しするゼロ年代以降の国産SF作品4本を紹介しながら、これらの作品に共通する魅力を言語化していきたい。

本noteは #本棚をさらし合おう 参加作品 兼
#教養のエチュード賞 応募作品です。

①『マルドゥック・ヴェロシティ』/冲方丁

我々は、あなたから、その悲しみを消したいだけなんだ。

1冊目は、身体改造により超能力強化された主人公のチームが、これまた超能力強化された悪の軍団と戦う、バトル系サイバーパンクSFをご紹介。マンガになってたらジャンプで読みたい、疾走感あり恍惚感あり、込み入った伏線ありの楽しい作品だ。

『マルドゥック・ヴェロシティ』は、チームワークの物語である。

ボイルドを筆頭とする「チーム09(オーナイン)」と、敵対する様々な勢力。ある局面では、チーム09の強みが遺憾なく発揮され、補い合って華やかな勝利を収める。またある局面では、てごわい相手——カトルカールに対して、やられそうになりながら、さまざまな工夫と連携で立ち向かう。しかし、最後にはチームの崩壊とともに、ボイルドはその圧倒的な力を抱えたまま、「虚無」へ向かっていく……(ちなみに拷問系の描写けっこうきついので苦手な方は要注意です)


特異な能力=「力」を持つ設定は、その力をなんのために用いるのか、という問いを常につきつける。ひとが元来持つ暴力性、破壊衝動。倫理。秩序。そして愛するものを守るという行動。

ボイルドたちが属するチーム09は「ローフル」=法のなかでの「有用性」を基盤とする存在。正義と秩序を背景とした存在意義を常にチームで確認しあいながら、それでも都度、悩み続ける。さまざまな人間の暗黒面をのぞき込むたび、徐々に虚無へと近づいていく。

クリストファーはいつも俺たちに、犠牲者ではなく別のものになって欲しがっていた。自分だけでなく他者をも救済する力を持った存在に。

たとえば権力や、資金力(お金)や、ある種の影響力を持った人が、その力をどのように行使するかは、重要な問題になる。この作品で描かれる特殊能力ドンパチの応酬を通じて、読み手は力を持つ者のあり方に、目を向けていくだろう。

"冲方丁(うぶかたとう)"さんは、
本作の姉妹編『マルドゥック・スクランブル』で
第 24 回 (2003) 日本SF大賞。
続編『マルドゥック・アノニマス』がドキドキ刊行中。


②『グラン・ヴァカンス 廃園の天使』/飛浩隆

物語の登場人物は一ページめが捲られたその瞬間に、記憶を持つ。過去を所有する。

爽やかな表紙に惑わされて気軽に手に取ったら、わりと残虐描写多いSFホラーだった……という経緯でありながら(苦手な方、要注意です)、描写されるシーンが美しすぎてついつい何度も読んでしまう。痛いのは人間じゃなくてAI(人工知能)だからいいんです。え、いいの?

『グラン・ヴァカンス』に登場するキャラクターはすべてがAI。舞台は、放棄された仮想リゾート〈数値海岸〉の一区画〈夏の区界〉で、千年間放置されていたこの区界に、崩壊の手が忍び寄り、異形の群「蜘蛛」に対してAI同士が死闘を繰り広げる……というストーリーだ。その上に、個々のキャラクターに封印されていた「過去」の物語、おどろおどろしい設定が解き明かされていく。


まず、そもそも実態のある人間とAIの境界とは、という点でモヤモヤ迷いながら読んでいくわけだけど、これらAIが「ゲスト」=人間の倒錯した残虐な嗜好を満たすために用意されたソフトウェア……という点がまた、暗い。

一方で、単なるAIであるキャラクターが、千年間の不変の時間から抜け出して、新たな「分岐」を選び取っていく、というシーンが多いことから、AIというメタファーを通じて、人間である私たちがどのように現実のループを認識し、道を選んでいくのかという問いを突きつけてくるのではないか。

主人公の少年AI・ジュールと対置する存在、「老ジュール」の言葉。

決めろ。『しかたがない』ことなど、なにひとつない。選べばいい。選びとればいい。だれもがそうしているんだ。ひとりの例外もなく。いつも、ただ自分ひとりで、決めている。分岐を選んでいる。他の可能性を切り捨てている。泣きべそを書きながらな。

道を選ぶこと。

プログラムされた人工知能さえも「分岐を選ぶ」可能性があり得るように、私たちの目の前にはいつも、たくさんの分岐が待ち構えている。どろどろした過去を抱えながら、前に進んでいくことができる。

"飛浩隆(とびひろたか)"さんは、『象られた力』で
第 26 回 (2005) 日本SF大賞。
大作『零號琴』は完全なるスゴ本なので気合で読むべし。


③『虐殺器官』/伊藤計劃

ぼくの母親を殺したのはぼくのことばだ。

読書メーターで感想が1万件以上つくような、有名作品にして人気作品だけれど、ことばを核として生きる自分にとって、この作品は絶対に外せない。

世界各地に紛争と暴力を撒き散らす男、ジョン・ポール。彼を追って紛争地帯を転々とし、最新の装備で武装勢力をなぎ倒していく米軍特殊部隊の主人公クラヴィス・シェパード。ジョン・ポールの恋人ルツィアとの対話を通じて掘り下げられる、「ことば」の役割と「認識」の境界

PR会社が紛争を煽る……という構図は、ボスニア内戦で話題になった『ドキュメント 戦争広告代理店』などでおなじみの方もいるだろう(本作でも核で吹っ飛ぶのがサラエボだったり、けっこうストレートに影響を受けている風だ)。虐殺には文法がある、といった本作の設定は、概念的でこそあれ、荒唐無稽ではない。ことばは時にコントロールされ、時に大きな力を持つ。その「力」を何のために、誰のために行使するか、というテーマは、先述した『マルドゥック・ヴェロシティ』とも通底する。


そして、「ことば」がメインテーマの本作に、もう一つの大きなモチーフがある。高度な情報管理社会におけるトレーサビリティだ。すべての情報がICタグで蓄積され、あらゆる物歴(メタヒストリー)が記録され、すべての個人がIDで識別され、多種多様な情報がVR/ARで展開される。来たるべき近未来。そんな「情報」の海の中で、「自己」の境界はどのように規定されていくのか。

ぼくがぼくを認識すること。ぼくが「他人」と話すためにことばを用いること。それは進化の過程で必然的にもたらされた器官にすぎない。ぼくの肉体の一部である、自我という器官、言語という器官に。

本作を通じて、読者は主人公クラヴィスの目線で多くの死と向き合い、また、生と、罪と向き合う。大量の死も、身近な死も。そのたびに、いまを生きる自己をどのように認識し、形容するのかを、熟考することになる。

"伊藤計劃(いとうけいかく)"さんは、
アニメ映画化もされた次作『ハーモニー』で
第 30 回 (2009) 日本SF大賞。
本当に早逝が悔やまれる。


④『華竜の宮』/上田早夕里

彼の最大の強みは、他人に対して、必ず利益を与えようとすることです。

最後は、いつも「お勧めの本」を訊かれたとき一番に思い浮かぶ、この作品を。5年前に、SF好きの同僚に勧められた一冊だ。

マグマの活動がもたらした海面上昇により、住める陸地が極端に少なくなった未来の地球で、地上に残る陸上民と、進化した居住生物「魚舟」に暮らす海上民との共生&軋轢を描く、「オーシャンズ・クロニクル」。生存のための資源も限られ、新しい病気も蔓延し、海で野生化した「獣舟(けものぶね)」が陸海双方の暮らしを脅かす。

摩擦がどんどん膨らむ世界の中を駆け巡る「交渉人」「トラブルシューター」。それこそが主人公の青澄誠司だ。そう、『華竜の宮』は交渉の物語なのである。


海上民の長のひとり、ツキソメ。陸上民の政治家、ツェン・MM・リー。陸上側の警備隊としてバランスを取ろうとする、タイフォン。登場人物の誰もが、それぞれの思想を掲げ、少なくない仲間の命を背負い、生きる道を模索する。

どろどろした国際政治の枠組みの中、「アシスタント知性体」の力を借りて、青澄はさまざまな生活圏の境界に赴き、双方の話を聞き、着地点を探し続ける。利害の衝突あり、抵抗や嫌がらせあり、裏切りや暴走ありの、一筋縄ではいかない世界だ。それでも青澄は一歩ずつ、前に進んでいく。

青澄の師、間宮・MM・ユウイチの教え。

知恵を絞り、言葉を絞り、体力を振り絞って、両者が進むべき道を模索しなさい。その行為は、人間が最も知的である瞬間なんだよ。

この作品がおすすめの一番に挙がる理由は、青澄こそがわたしのロールモデルであり、憧れの存在として描かれているからだと思う。いまの自分の仕事は、生命に直結するようなシビアさは全然ないけれど、だからこそ、「いざというとき」に、いまの自分がどこまで通用するだろうか、という思考実験が、青澄の向き合うひりひりした現場にオーバーライドする。

"上田早夕里(うえださゆり)"さんは、
本作『華竜の宮』で
第 32 回(2011年)日本SF大賞。
充実した本作の続編・関連作品はもちろん、
第一次世界大戦を描いた『リラと戦渦の風』など
歴史モノも強い。


さいごに

4冊に共通する、「SFじゃなきゃ託せないこと」の答案は、制約条件のリアリティだ。

魔法の世界/ファンタジーは遠すぎるし、世界設定が現実と変わらない話は近すぎる。テクノロジーの進化による「ありそうな近未来」を見据えたとき、制約条件の変わった世界で、ひとはどのように思考し、どのように行動するのか。


最終的に、判断を左右するのは、想像力(imagination)だと思う。

その力の向かう先に/そのことばの向かう先に、存在するものを想像する。その行動が引き起こす波が打ち寄せる先を、想像する。

SF作品を読み込むことで、わたしたち読者は想像力を磨く。文字が描き出す、リアリティのある虚構世界にどっぷり没入して、くりかえし想像し、くりかえし思考しながら、来たるべき未来を迎えるのだ。


この文章をまとめる過程で、あらためて何度も4作品を読み直した。本を開くたびに、あらたな発見があった。ひとりひとりのキャラクターの個性、織り込まれたメッセージ。

SFの世界は本当に広大だ。海外古典SFの名作も数限りなく、最近は中華SFの隆盛もある。

繰り返し読む深みと、新たに読む広がり。読書は、まだまだやめられない。


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