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オオゼキの元バイトが見ていた風景

まつしまようこさんのオオゼキ礼賛エントリーが、フード界隈の人たちの間で広く共感を呼んでいる。元バイトとして、なんだかとても嬉しい。バイトしていた15年前から、オオゼキはとてもユニークで、魅力的で、エネルギッシュな職場だった。

大学進学とともに東京に移り住んで、最初にお金をもらった仕事が、スーパーオオゼキのチェッカー(レジ)のアルバイトだった。「住んでいた部屋と最寄り駅の間にある」という理由だけで履歴書を持っていって、1年の夏から2年の冬まで一年半ぐらい勤めた。

今でこそスーパーのレジはほとんど全自動だけど、当時(15年前?)は値札の付いていない青果は「ルック」という2桁の番号(にんじんは20、とか)を手打ちする方式だったし、お金は手で数えて、シフトの終了時には金庫を事務所に持って上がって、グローリー(お金数え機)で差額チェックする、というのが流れだった。差額があると、色々探したり大変だったし、落ち込んだりしていた。

チェッカーのチーフのKさんは、文字通り「目にもとまらぬ」速さと正確さでレジを捌いていた。Kさんが他店に移ってからチームを仕切っていたAさんは、8レーンぐらいあるレジをよく見て、あれこれ人を動かす采配を振るっていた。ベテランのパートのNさんは、どしどしスキャナーを通しながらも、軽やかにお客さんと話したりしていた。自分はといえば、数量を打ち間違えて怒られたり、よけておいた卵をがしゃんと落として、無表情の日配担当さんに代えを持ってきてもらうのを俯いて待っていたりした。休憩室は、たばこの煙とまったりした空気がいつも漂っていた。

S店長の朝礼は、いつも朗らかで、熱すぎず暗くなく、近所の競合店の様子も横目に、しっかり数字を掲げてフロア全体を鼓舞していた。チェッカーのバイトはけっこう品出しで他部門の応援に行ったり、値段が分からなくて呼び出したりしたので、青果や食品やお酒の社員さんとも交流があった。フロアが有機的につながっていた感じがする。

15年前当時から「個店主義」はオオゼキの戦略の柱で、お店によって雰囲気が全然違って面白かった。東高円寺を覗いてみたり、池尻に寄ったり、聞き覚えのある店名をたよりに普段乗らない電車を乗り継いでみたり(杉並区民だったので上町・戸越・雪が谷大塚とかは全然イメージがなかった。いまは店舗数も大分増えたみたいだ)。

今久しぶりにその頃の日記を読み返したら、何日も、楽しそうにバイトの日常を書いていた。恵まれた職場に出会えたことは幸運だ。きっとあの頃見えていた光景は、いまの仕事のあり方に強く影響していると思う。

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