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それはわかっているから

仕事の場面で、たまに出現してくる言葉で、なんとなくモヤっと引っ掛かることが多いので、「何故かな?」ということを自分なりに考えるため、ここで書くことにしました。さて私は、何に引っかかっていたのかな?


で、わかっているの?

ほんとうに「わかっているのだろうか?」ということで、少し自分なりに整理してみることにしました。インターネットで検索をしたり、ChatGPTに聞けば、ある程度自分の知りたいことは、なんでも拾い上げることのできる時代になりました。

「あー、アレについて知りたいなぁ。」

と思って自転車を走らせて書店を巡る。
もう、そんな時代ではないですね。でも、書店をはしごしている途中で、見かけない店に出会ったりする体験は、インターネットではあまりなくて、オフラインで自分が動くからこその「街」という仕組みの面白さだ感じてます。

ということで以前は、本を購入しないと得られなかったようなことも、手に入りやすくなりましたね。そのためか、より多くのことを「知っている風」になる危険も多くなったのを感じます。また、情報に触れようと考えていなくても、関心事に近い情報はレコメンドされ、情報からこちらへ寄ってくるようにもなりました。
正直、情報過多です。

情報の断片に触れているだけだったり

そのようなことで、実は「わかった気になっていること」が多いのではないか?
と、自分なりにも推測することにしました。情報の断片を見ただけで、物事全体を理解している気になってはいないだろうか?流行りなどで飛び込んできた部分断片の情報にあてられ、全てを知った気になっていることはないだろうか?というところです。

実はこれ、結構あるあるで、その道の人と話すと化けの皮が剥がれるので、結果的に自分の首を絞めることになります。
「あー、あれね!***でしょ。」と、わかっているように振る舞ってしまうと、「わかってるから大丈夫だよね、任せたよろしく!」ということになり、蓋を開けてみたら、素人の所作だった。なんてことよくあります。自分はそうならないように、自戒の意味も込めて。わかった気は一番危険!です。

知っているの?

とはいえ断片であっても、
「知っているということには変わりはない」
ということで、わかってはいないかもしれないけれども、知っているというのは間違っていないという状態の物事はたくさんある。ただ、どの程度知っているの?と、知っていることの深度を求められると答えに困る。という場面はあります。なので、知っている場合でも「軽く」など添えておくと、こういった場合は良いかもしれないですね。

私の場合は、軽く知っている程度のことは「見たことがある・聞いたことがある」という感じで答えるようにしています。そうすると、軽くだね。という感じで認識してもらえることが多いので、それについて高い解像度の情報が必要になった場合、誰かに助けてもらえることが多い。でも、少しでも知っていることで会話の中に入ることはできるので、知らないのと知っているとでは、雲泥の差だとは感じています。

特にプロジェクトマネージャーとして、プロジェクト単位で様々な企業にアサインするような仕事の仕方をしていると、雑学的なことや、そのプロジェクトに関係ないことでも知っているだけで、参加メンバーとの意思疎通がしやすくなったり、相手のわかりやすいものに例えての話もしやすかったりします。そのため、知っていないよりは知っていることが多いに越したことは無いと思っています。

わかっているからやらないとは

わかっているから、大丈夫。
本に載っているようなことだから自分でもできる。
関連する情報にもよく触れ、事例や効果・納得できるような説明資料を見ると、自分でやってみなくても、大丈夫。と、油断してしまうこともよくあります。

それって、ほんとうにわかってるのだろうか?
そんな時は一度立ち止まって、
「固定値」の部分
「変数値」の部分
を確認することを大切にしてます。

たとえば、
広告配信というのは知っていても、設定やビジネスカテゴリ・ジャンルによって成果・単価は全く変わるため「どんなサービスを使い、設定をしたら、どのような効果が出るか」まで、わかっているのか?というところなどです。オンライン広告を配信するといって同じ商材を使っても、配信設定・季節・商戦タイミングなどで大いに数字は変わるし、他方からの影響でも随分変わります。
結果的に情報として大切になるのは「変数値」の変化によるリスクや、効果・反応であることが大多数を占めるため「固定値」を理解しただけで、わかったと感じていたら危ない!と考えてます。

ただ残念ながら、「変数値」に対して理解を深めるためには、実際に実行してみないとわからないことが多いです。そういったところから「わかっているけど、あえてやってみる」くらいの方が、何事も深度を得るには大事だと感じています。

わかっているのにやってみるという遠回り。
それが、先々でのリスク回避などに繋がり、最短の道筋を作るに良い経験だったりもします。そこから「急がば回れ」という、ことわざはあるのかもしれないな、と思うこともあります。つまりは、わかっているからやらなくても大丈夫は危険!ということです。

よく考えると、実行することの重要性

「固定値」の部分は、世の中へ公開もしやすいため、多くの人も言及しやすいです。そのためか自然と多くの情報元に触れることもできます。また、レコメンドされる時代なので、そういった情報に自然と触れ、わかったような状態になることも多いです。

けれども、「変数値」となる部分は実際に実行してみないとわからないことが多いし、これはユニーク性の高い情報なため、探してもなかなか見つけられない。内容によっては機密性が高く公開もできないということもある。(つまり、個人の実体験って価値が高いんですよね)

また、
「実行しない人は多い」です。
言われたらするけど、言われなければしない。

そのため何事も、とりあえずやってみることで、少しずつ経験や知識の深度の積み重ねが変わり、やらない人より、とりあえずやった回数の多い人の方が、情報深度の高い解を導き出しやすいのではないかと感じています。
つまり、何事も見る・聞くで止めずに、やってみろということが、大切ってことですね。ただ闇雲になんでもすぐやってみろということではなく、年齢を重ねたなら、考えてやってみるというのは大事ですね。

ちなみに、子供が小さい時は、自分で手・身体を動かして学んでいきます。全ての物事に対して体当たりで体験していくので、何を体験させるかは、親の環境づくりの影響を受けます。ですが、環境が100%ではありません。遺伝的な要素もありますので、もちろんそれにも個人差があり、好き嫌いもあります。
でも大人になると、自分で環境を変えたり作ることができるようになるので、何を学ぶかも変えていくことが可能です。
そのため自身の行動力によって、他人との差も生まれやすいということですね。
つまりは見て聞いてるだけより「やってみる(実行してみる)という行動力は、子供の頃から手放してはいけないこと」な気がします。

まとめ

「わかっている」という言葉は、仕事の場面で使い方を誤るととても危険です。
仕事を任せる方は、大丈夫と思い任せますし、ある程度の想定外の問題があったとしても、対応できるだろうことも折り込み付きで任せたりもします。
つまり「わかっている」というからには、ある程度「理解している」ということを他人は期待するということですね。日本語難しいです。

ちなみに「理解している状態」とは、
「自分で再現できる状態」を指しているとわたしは考えています。

状況に合わせて臨機応変に「変数値」となる箇所も理解しつつ、ゴールへ導く道筋を作ることができるという状態。そのためには、最低限の場数としての「数の経験」も必要で、インターネットやAIが進歩しても一人一人ユニークとなるそこは変わらないんじゃないかと思っています。
つまりは「わたくしの実体験に高い価値がある」ということです。

ということで今回は、
「それはわかっているから」が、ほんとうにわかっているのか?
を自分なりに整理するものとなりました。
来週は、プロジェクトマネージャーでも求められる「人に伝える」ということについて書いていこうかなと思います。〆

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