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【連載小説】第四部 #14「あっとほーむ ~幸せに続く道~」親と子


前回のお話(#13)はこちら

前回のお話:

まなの件が一段落しためぐは安心して眠りについた。ところが夢の中に祖母と亡き祖父が現れて今生の別れを告げられる。目覚めと同時に自宅から祖母の死を告げる連絡が入り、悲しみに暮れるめぐ。その背中を優しく撫でてくれたのは、言葉を取り戻した娘のまなだった。
自分たちが悲しいのは、祖母と過ごした時間が長かった証だと知る翼。沖縄から飛んで帰り葬儀に参列した翼たちは、母を亡くして落ち込む路教みちたかの姿を見て言葉を失う。しかし、やはりまなだけは普段と変わらぬ笑顔を振りまき路教を励ます。翼は夢で祖母に頼まれたとおり、別れの席で歌を歌った。祖母が喜ぶように、出来るだけ明るく振る舞って。

26.<孝太郎>

 野上クンから「すぐに会いたい」と連絡が入ったのは、彼が母親を亡くした一週間後のことだった。落ち着いてからで構わないと何度も念を押すも、彼は「じっとしているのは性に合わないんで」の一点張りだった。昔からそうだが、彼は一度こうと決めたらとことん貫く性格だ。

 彼の強い意志に応えるべく、僕は連絡を受けた日の晩に会う約束を交わした。彼の希望により、落ち合った場所は鈴宮&野上家だ。

「なんで、よりによってうちなのさ……?」

 訪問するなり不満を口にしたのは翼クンだった。幼児の生活リズムに合わせて動いている彼らの家に突然、中年の男二人が乗り込んできたのだから無理もない。僕は参加したことがないから分からないが、子どもに早寝早起きの習慣を身につけさせるのは非常に大変なのだと聞いたことがある。

 しかし野上クンはそんなことはお構いなしと言った様子で淡々と理由を述べる。

「ユウユウにも話し合いに参加してもらうために決まってんだろ。おれは家の用事が済んだし、ユウユウも体調が良くなった。だったら体操クラブの本格始動に向けた話し合いもどんどん進めていくべきだと思ってな。……ああ、ユウユウ。そういうわけだからこのあとの話し合いに参加してくれ」

「えっ、今から……?」
 玄関に顔を出した悠斗クンは驚きを隠せない様子だったが「ニイニイがここに来たのはおれに逃げ場を作らせないため、か」と言って渋々ながら承諾したのだった。

 僕らはすっきりと片付いている居間に通された。ここは長らく野上クンの母親の居場所だったが、亡き後は所持品も整理され、現在はテーブルと座布団だけが置かれている。

「それで……。先日言っていた話ですが、具体的な案は出てるんですよね? 早く聞かせてください。すぐにでも動けますから」

 彼は座る間もなく僕に言い迫った。その様子から、やはり母親の死を引きずっていると感じた。こういうときこそ何かに集中して気を紛らわせたいというのが本音なのだろう。しかし僕には僕のペースがある。

「まぁ、待ちたまえ」
 座布団に腰を下ろし、悠斗クンが運んできてくれた水を一口飲む。それから呼吸を整え、庸平と詰めていた計画を伝える。

「いくつか案がある。一つ目は僕がプロ選手時代の、庸平は社会人野球チームに所属していた時代ころのユニフォームを着て例の親水公園グラウンド――先日君が庸平を三振に打ち取ったあの場所――に行き、野球をしている子どもたちに声をかけて簡単な指導をする。その中で僕らが何者であるかを明かして勧誘するというもの。二つ目は、そのグラウンドで先日のようにミニ野球を行うというもの。庸平が派手にかっ飛ばす姿をあえて見せつけることで注目を集め、集まった子や親にチラシを配布する」

「うわっ、かっ飛ばしちゃうんですか」

「そのくらいのパフォーマンスをしないと人の注目は集められない、というのが庸平の主張だ」

水沢みずさわ先輩らしいな。確かに、せっかくやるならとことんデカいことをしたいですね」

「三つ目の案はもっとすごいぞ。本郷クンの知名度を利用して大々的に人を集める方法だ。体操クラブに入会したいという人をどれだけ拾えるかは未知数だが、間違いなく多くの人に知ってもらえるだろう」

「祐輔を巻き込む……」

 最後の提案では案の定、微妙な反応が返ってきた。野上クンが本郷クンのことを今でもライバル視していることはこちらも承知している。

「三つ目は、僕も庸平も君が素直に受け容れられる案だとは思っていない。あくまでも案の一つだと考えて欲しい」

「うーん……」

「やはり不満かな?」

「野球人育成機関の方は祐輔もメンバーだし、三つ目の案でやればいいと思います。だけどおれとしては、体操クラブはもっと自力じりきって言うか、過去の偉業抜きでどれだけやれるか試してみたいんですよね。水沢みずさわ先輩に提案された、いきなり野球を始めて注目を集める方がおれ的にはヒットって言うか……」

「では、野上クンは二つ目の案が好みだと?」

「三案の中からって言うなら」

「その言い方は引っかかるな。……もし、君にも案があるなら聞かせてはくれまいか?」

 発言を促すと、彼は「それじゃあお言葉に甘えて」と言い添えてから口を開く。

「おれ、今回母親と最後の時間を過ごす中で気づいたことがあるんです。……親ってのはいくつになっても子どものことを心配するんだなって。もう孫がいるような年齢になったって言うのにですよ? もちろん、おれにも子どもがいるから親の気持ちは分かります。不器用な親であればあるほど、あれこれ手や口を出すことでしか愛情を表現出来ないんだってね。けど本当に子どものことを思うなら、子どもの可能性を信じて見守るのが正解。母親の死に目に遭ってようやくその解にたどり着いたんです。……これまで、体操クラブに携わる動機は親目線……いや、おれ目線でした。だけど今は、子どもに寄り添った目線で考えなければ意味がないと思い始めてます。せっかく永江先輩が立ち上げようとしてる体操クラブなんだから前例のないものにしたいっていうのもあります」

「その考えには同意します」
 ここで悠斗クンがようやく口を開いた。

「まさにおれも、ニイニイと時を同じくして沖縄で同じような境地に至りました。親が子どもの歩く道を決めるのではなく、子どもに選ばせる。だってその道を実際に歩くのは子どもなんだから。……おれはなにも、体操クラブの主旨を否定しているわけではありません。ただ、人集めをする段階から、ニイニイの言うように子供目線で親子の触れ合いが出来るようなやり方をした方がいいんじゃないかと思うわけです」

「なるほど。子育て経験のある人間の意見は実に参考になるな。しかし、それなら具体的にどう行動する? きれい事を並べたり、派手なパフォーマンスをしたりして親の興味を引こうとするこれまでの案を否定するなら、代案を示してもらえないか?」

 代案を出せと言った途端、二人は黙り込んでしまった。

「ああ、もう……。黙って聞いてらんね」

 そのとき、呆れ顔の翼クンが部屋にやってきた。「勝手に入ってくるなよ」と言った野上クンの言葉を無視して翼クンは持論を展開する。

「あんたたちは子どもと関わる仕事をするって言いながら、子供のことがちっとも分かってない。夏休みが終われば、運動会、遠足、秋祭りやハロウィンといった行事が目白押しなんだぜ? どうしてそれらを利用しようって発想にならないわけ?」

『あっ……』
 僕らは同時に声を発した。盲目的な僕らを見た翼クンが笑う。

「俺が体操クラブの創設メンバーならこう提案するね。運動会の前に『かけっこが速くなりたい子、集まれ!』的なイベントを開くのはどうか、ってな。悠斗はどうか知らないけど、コータローさんは元プロ野球選手だから走り方を心得てるだろうし、父さんだって暇さえあれば走ってんだから教えられるだろ? それなら体操クラブでやろうとしていることからもズレてないし、小さい子でも無理なく出来る」

「くっそぉ。翼の提案が一番ありだと思ってるおれがいるぞ……」

「翼なぁ、こう見えておれだってそれなりに走れるぜ?」

 野上クンと悠斗クンはそれぞれ苦言を呈しながらも、翼クンの提案を受け容れている様子だ。かくいう僕もそうだ。

「翼クンの提案は完璧だ。こんなことならもっと早く意見を聞くべきだったよ」

「いつだったか、言っただろう? 直接手を貸すことは出来ないけど、アドバイスくらいはするよって。……俺だって、純粋無垢な子どもたちにはまっすぐ育って欲しいと思ってるし、あんたたちがやろうとしてる活動自体には賛同してるからな。どうせやるなら、これまでの教育機関にはないぶっ飛んだ内容の体操クラブにして欲しいもんだ。これでも期待してるんだぜ」

「言われるまでもなく、奇人変人の僕らが寄って集まってるんだ、自然とそうなっていくさ。……だろう?」
 目配せすると、二人は少し困ったような顔をして互いを見合った。

「ええと、例えば仮に運動会を見据えて動き出すとして……。具体的にはどうしましょうか?」

「僕の頭の中にはいま、一つのアイディアが浮かんでいる」
 じっとしていられなくなった僕は立ち上がって言う。
「とにかく、走る。それも、『みんながまんなか体操クラブ』の名を掲げて」

『えっ!』

「どうだろう? みんなでやればなんとかなりそうじゃないか?」

『えぇっ!?』

 二人は僕の提案があまりにも意外だったのか、驚きの声を上げることしかできない。面白がっているのは翼クンだけだ。

「いいじゃん、いいじゃん。あー、コータローさんの友だちの水沢って人にはバットを持って走ってもらうのはどう? そしたらどっちのニーズにも応えられそうじゃん?」

「なるほど。それも面白そうだな……」
 この場に庸平がいたら反論されそうだが、やはり野球しか知らない人間の頭で思いつくことには限界があると思い知らされる。そこへ野上クンが新たな案を出してくる。

「だけど、水沢みずさわ先輩の案をボツにするのはやっぱりもったいないな……。第一弾は『走る』。第二弾で『野球体験会』をするっていうのはどうでしょうか?」

「庸平案にこだわるとは。やはり君も野球がしたいようだね」

「いやぁ。あんなふうに口説かれたらやりたくなりますよね。それに、何度も宣伝すれば認知度も上がるし、口コミで広がることも期待できます」

「なら、俺も園にチラシくらいは置いてもらえるよう働きかけてみるよ」

 翼クンが眠そうに目をこすりながら言った。僕が「ぜひ、そうしてもらえないか」と頼むと、彼は「オーケー」と返事をし、直後に大あくびをした。

「……さて。言いたいことはいったし、俺は寝るよ」

「えっ、もう?」
 時計の針はまだ九時を回ったばかりだ。

「何言ってんの。子どもが寝たら寝るっしょ。っていうか、夜中に何度か起きるまなに付き合わなきゃなんないから、早めに寝とかないと保たないんだよな」
 そう言って彼は寝る支度を始めた。

「……やれやれ、翼もいっちょ前になったもんだ。ちょっと前までめぐちゃんが好きだの、結婚したいだのって騒いでたのに、今じゃすっかり落ち着いちまってる」
 野上クンの言葉に悠斗クンが頷く。

「自分を超えてほしいようなほしくないような、って感じですか……? やっぱりまだ翼との距離感が掴みきれてないって感じがしますね。ニイニイを見てると」

「おれだけじゃないさ。みんな何かしら、子育てで悩み、苦労する。だけど学ぶこともたくさんある。おれは後者の喜びを今の若い人たちにも知ってほしい。体操クラブではそういう想いも伝えていきたいんだ」

「ですね」

「……なぁ、ユウユウ。親子の話題になったところで一つ、聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな?」

「はい、なんでしょう?」

「まなちゃんのことだ」
 彼女の名前が飛び出した途端、悠斗クンの表情が硬くなった。野上クンはそのまま続ける。

「沖縄に行く前後であの子、まるで別人みたいに変わったよな? そりゃあ話せるようになったからってのもあるだろう。だけどそれだけじゃない気がして。……沖縄で何があった? まなちゃんの祖父としてはどうしても知っておきたいんだよ」

「…………」

「おれには言えないか? 彰博あきひろには言えるのに? それは不公平ってもんじゃねえのか?」

 悠斗クンはしばらくの間考え込んでいたが、観念したのか、やがて言葉を選ぶようにゆっくりと語り始める。

「……実はまなには前世の記憶がありました。魂の記憶ってやつです。……そのことを教えてくれたのは、めぐと翼の結婚式を取り仕切ってくれた宮司ぐうじさんなのですが、彼女曰く、まなが話せないのはその魂が過去の記憶を手放さないからだ、と。それを知ったおれたちは前の魂のゆかりの地である沖縄を訪れ、沖縄の……霊能力者の力を借りて前世の記憶を解き放ってきた。それが真相です」

「その宮司って、鈴宮家ここに神を降臨させたあの……?」

「そうです」

「なるほど。にわかには信じられないけど、そうか……」
 野上クンは納得したのか、深くうなずいた。

 僕も、彼女に感じていた違和感の正体が分かり得心する。親近感を抱いたのはおそらくその、死者の国から舞い戻った魂と、死を求めていた頃の僕の記憶とが共振したからだろう。悠斗クンは続ける。

「除霊とか、そう言うんじゃないですよ。おれたちから魂に、『前の人生の記憶を手放してくれないか』と交渉したんです。前の人生の記憶を持つ魂は、最終的には自らの意志で野上まなとして生き直す決断をし、過去を手放しました。見方によってはおれたちが説き伏せたと言えなくもないけど、少なくともこちらの主張に納得した上での決断だったとおれは信じています。お陰様でまなは以前よりずっと穏やかになった気がするし、日毎ひごとおしゃべりが上手になってもいます。そんな自然体のまなが好きだから、おれたち親、、、、、は、あれこれ口を出さないと決めています。それが一番子どもの能力を伸ばせる方法だと思ってるんで」

 彼はそこまで一気に言うと、水を口に含んで一呼吸置いた。

 彼がなぜ、実の娘ではないまなちゃんに入れ込んでいるのか。その理由がなんとなく見えてきた。彼はぼかしていたけれど、僕の勘が正しければその「前の記憶を持つ魂」と彼とは何らかの繋がりがある。あえて聞くつもりはないが、そう思った方が腑に落ちる。

 野上クンも何かを察したのだろう。「『おれたち親』か……。彰博とユウユウとは長年の友人。昔のこともよく知る仲だもんな」と呟いた。

「なあ、ユウユウ。今の子育て、楽しんでるか?」

「もちろん。子育てだけじゃないです。おれはこれまでの人生で今が一番楽しいし、幸せです」

「そうだよな……。悪い、しょうもないことを聞いちまった」

「いえ。それもこれも、野上家の人たちが受け入れてくれたおかげ。本当に感謝してます。……ですよね、孝太郎さん?」

「そうだな……」
 彼の身に起きたことは実際、僕にも当てはまる。

「彼ら、そして君がいなければ今の僕は存在していない。体操クラブを考案することもなければ、庸平とルームシェアをすることもなかっただろう。……そうだ。もしこのあと時間があるならどこかで軽く一杯引っかけないか? もう少しおしゃべりがしたくなった」

「おれは構いませんが、そういうことなら水沢みずさわ先輩にも声をかけた方が。部屋で待ってるんでしょう?」

 庸平の名を聞いて、主人の帰りを待つ犬のような顔が浮かぶ。
「あいつが僕の帰宅を律儀に待っているとは思わないが、もし一人で部屋にいるなら誘ってやるか。ああ見えて寂しがり屋だからな……」

「なら、連絡をお願いします。ユウユウはいける?」

「大丈夫です。場所はどうしますか?」

「ワライバはどうだろう。あそこなら融通が利くし、僕も気楽に飲める」
 二人はうなずくと、すぐに出かける支度を始めた。


27.<庸平>

 本郷夫妻と、野球人育成機関および永江孝太郎ファンクラブの打ち合わせを終えたのが八時半。メチャクチャ腹が減っていたが、そろそろ孝太郎が帰宅する頃かもしれないと思い、夕食の誘いを断った。ところが、部屋に戻ってもあいつの姿はなかった。

「なんだよ……。まだ野上とくっちゃべってんのか?」

 帰宅を待ってもよかったが、あいつの部屋で暮らす条件は、それぞれが自由な生活リズムで暮らすこと。タイミングが合えば一緒に食事をする程度の、ゆるい繋がりをあいつは求めている。

「ま、いっか……」

 一人で飯を食いに行くのは慣れている。ただ、本郷夫妻と一緒だったら普段行かない店に行き、普段食べないものを食べただろうと思うだけのこと。それ以上の感情はない。

 駅前には気に入りの店がいくつかある。しかしさっきまで野球の話で盛り上がっていたせいもあり、足は自然とワライバに向いた。あそこは年がら年中、野球中継を流している。試合の流れ次第では、店主の大津と野球の話で盛り上がれるに違いない。

 店に着くと、大津が親しげに挨拶をしてくる。
「いらっしゃい。今日はお一人ですか?」

 そうだ、と返事をしようとしたまさにそのとき、孝太郎から電話がかかってきた。このあとワライバで一緒に飲まないか、という内容だった。たった今ワライバに着いたところだと伝えると、先に飲み食いしていてくれと言われ、電話は切れた。

「……あとから三人来る。酒はあるか? 一杯引っかけたいらしい」

「ビールならいつでも置いてあります。後から来る人って、永江センパイと野上センパイですかね? ビール掛けは外でお願いしますよ」

「いくら夏だからって、んな馬鹿なこと……」
 言いかけて数ヶ月前、ここの店員のめぐさんから聞いた『ビール事件』を思いだした。ビール掛け、とはおそらくそのことだろう。どうやら大津にとっても記憶に残る出来事だったようだ。

「大丈夫だろ。今の孝太郎ならビールを掛けられても、大口おおぐちを開けて飲み干してしまうだろうさ」
 そう言ってカウンターテーブルにつく。

 夜の定食を注文し、食べ始める頃に孝太郎たちがやってきた。孝太郎は何か言いたげな様子で俺をじっと見つめている。

「……な、なんだよぉ? ここで飯食っちゃ悪いか?」

「いや……。考えることは同じだな、と思っただけだ。それより……」
 孝太郎はカウンター席に座る俺の隣に腰掛けるなり「とりあえず瓶ビールを二本」と告げた。

「今日は地元のクラフトビールがありますよ。安く手に入ったので。試してみます?」

「なら、今日はそれをもらおうか」

「毎度、ありがとうございます」

「それで? 話はまとまったのか?」
 俺は食べる手を進めながら孝太郎に話しかけた。

「もちろん。結果を報告するために誘ったようなものだ」
 孝太郎はニコニコしながら言う。
「走ることになった」

「……はい?」

「先輩、それじゃあ全然伝わらないですって」

 野上が苦笑しながら言い、ことの詳細を丁寧に教えてくれる。孝太郎はその様子を、ビール片手に聞いている。

「なるほど。幼稚園の先生ならではの提案だな。お前らはそれに乗っかろうと、そういう話か」

「悪くないと思ってるんだが、庸平はどう思う?」

「確かに悪くはない。体操クラブは対象年齢が低いし、それでいいだろうよ。だけど、こっちは野球に興味のある小学生を対象にしてるからな。走ってる姿を見せるだけでどれだけ人集めが出来るか……。そうでなくても、本郷夫妻とは、先日から野球の体験会をするって方向で話を進めちゃっててな」

 この場ではあえて言わないが、本郷たちは本気で優秀な野球人を育成しようとしている。興味本位でやってみたいという人間は最初からお断り。心の底から野球を愛し、寝ても覚めても野球をしているような人間を、彼らは求めているのだ。

「祐輔ならそう言うでしょうね……」
 野上は音を立ててビールを飲んでから反論する。

「だけど先輩。前にも言ったとおり、野球という枠の外に目を向けた方がいいとおれは思いますよ。祐輔はまだ野球界にいるから視野が狭い。でも先輩はもう、外にいる。だったら外から見て何が出来るか、あいつらにも提案しなきゃ」

「…………」

「おれからもひと言、いいですか?」
 脇から話に入ってきたのは体操クラブ創設メンバーの一人である鈴宮さんだった。酒が入っているせいか、彼は熱心に持論を語り始める。

「この、野球人ばかりの組織になぜおれが関わろうとしたか。それはおれ自身、親と一緒にいられる喜びや応援される喜びを知っているからです。まぁ、親は子どもが夢中になってやっている姿を陰から応援することでしか繋がれないのかもしれないけど、おれはそれが純粋に嬉しかった。だから親になった今は、自分が子どもの才能を伸ばす手伝いをしたいんです。……最初から野球に限定しちゃったら伸びない能力もあるんじゃないでしょうか。翼がいい例です。あいつには音楽の才能があるのに、ニイニイから野球をするよう強いられて苦しんだ時期があったと聞きます」

「まぁ、そう言うなって。……翼から『ピアノを習いたい』って聞いたときには、さすがにおれも『ああ、やっぱりな』って思ったよ。義妹えりさんが弾く脇でよく真似事をしてたし、耳がいいなと思ってたからな。あのときは苦渋の決断だったけど、嫁さんが『やらせてみたらいいんじゃない?』っていうもんだから試しにピアノ教室に通わせてみたらあっという間に上達して……。ギターも独学で弾けるようになったし、高校で入った演劇部では一読しただけで台詞が覚えられたらしい。結果、今ではその才能を生かして仕事してるわけで、野球を無理強いしなくて本当によかったと胸をなで下ろしているよ。……そういうわけで、おれの過去の経験からしても、親の強い想いを押しつけるんじゃなくて、子どもの才能を見極められるような場を提供したい、ってのはあるよな」

「分かります」
 二人は意気投合した証と言わんばかりにグラスを交わした。

「先輩、言ったじゃないですか。野球のその先、、、を目指すおれの精神と熱情に心動かされたって。だったら、走りましょうよ」

「だけど野上。忘れてるかもしれないが、一週間前には野球の体験会をやるって提案に同意して、その方向で計画進めとけって言ったのはお前だぜ?」

「ああ……。すんません。母親を看取ったら考えが変わっちゃったもんで」

「マジかよ……」
 人の死は人生を大きく変えるほどの出来事だ、とはよく言ったものだが、野上もその一人とは……。

「庸平。もし僕らの考えに着いてこられなくなったというならいつでも離脱してくれて構わない。そもそも僕らは別の組織を作ろうとしているんだからね。だけど、君が野上クンの力を借りて何かを成そうというのなら考えを軟化させる必要がある。……飲みが足りないんじゃないか? 大津クン、庸平の空いたグラスに注いでやってくれ」

「はいはーい」

「おい、こら! 勝手なことを……!」
 蓋をしようと慌ててグラスに手を伸ばすも時すでに遅し。大津が素早くビールを注いだ後だった。仕方なく、注がれたビールを一気飲みする。そんな俺を穏やかな表情で見つめる孝太郎を見て観念する。

「あー、もう……! 分かったよ! 俺の負けだ。走る。走るよ、俺も。ただし、俺は野球少年・少女を集めたいからユニフォーム着て走るぞ! それでいいな?」

「ああ、好きにすればいい」

「くっそぉ。本郷夫妻あいつらになんて説明すりゃいいんだ……」

 俺の酔った頭は大混乱していた。だけど、かろうじて冷静な部分が「この提案は絶対に受け容れておけ」と主張していてどうしても拒めなかった。それもこれも、間違いなく孝太郎のせいだ。

「両方やったらいいじゃないですか。おれは、先輩の推してる野球体験会もありだと思ってますよ」
 野上が混乱するおれを助けるように言う。
「一緒にやりましょう。お互いに手を取り合えばなんとなりますって。とにかく、何でもやってみる。それが一番です」

「野上クンらしいな」
「ですね」
 孝太郎と鈴宮さんはそう言って微笑み合った。

「お前ら、なんでそんなにポジティブなんだよ……」

「庸平には分からないか?」
 呆れた俺を孝太郎が説き伏せる。

「僕たち三人に共通しているのは、すでに両親を亡くしているということだ。人は親を失うと、次は自分の番だと覚悟し、生き方を改める。起こる事を出来るだけ前向きに捉え、やれることは何でもやって後悔しない生き方をしようと思うようになる。……僕が言っても庸平にはピンとこないだろうが、僕らが前向きに見えるとしたら、おそらくはそういうことじゃないかな?」

「先輩の言葉に補足するなら、おれたちはまなちゃんを通じて、子供のみならず自分自身も幸せになる人生を創造したいと思ってる。だから、この先にあるのは明るい未来のはずだ! って信じて行動できるんです。そんなおれらが前向きじゃなかったら変でしょ?」

「愛する我が子わ このためならなんだって出来る。そういうものじゃありませんか?」

 孝太郎に続き、野上、鈴宮さんが順に思いを語った。それを聞いて、俺は「我が子」にどれだけ関わっただろうか、と思い巡らす。

 確かに娘は俺に懐いていてかわいかった。だけど結局野球はしなかったし、妻と離婚後、十年世界を巡っていた間に連絡も取れなくなってしまったから、今どこで何をしているのかも分からない。これまでは元気でいてくれれば充分だと思っていたが、彼らの熱い言葉を聞いたら娘に会いたくなってる俺がいた。なのに口からは真反対の言葉しか出てこない。

「……俺にも娘がいるけど、娘とはキャッチボールをしたことすらない。野上が、野球をしてくれなかった息子とどう向き合ってきたかは知らないけど、俺は今更、そんな娘とは話すこともないよ」

「話すことから逃げちゃダメですよ、先輩。……って言いながら、おれの場合はあいつの方から歩み寄ってくれたわけなんですが、おれが息子の知る言語で話そうとしなかったから、あいつが無理をして『キャッチボールしよう』って。それがきっかけで和解することが出来たんです。とはいえ、長年の癖であいつには今でもキツく当たってしまうことは多々あります。ですが、あいつも負けてないですよ。今じゃ、お互いに言いたいことが言える。それが本当に健全な関係なんだと今では思ってます。だから先輩も、もし娘さんに会うことがあればお互いに納得がいくまで話し合ってみてください。絶対に変わりますから」

 それを聞いて孝太郎とつい最近までやり合っていたことを思い出す。孝太郎は、俺がどんなに酷い言葉を浴びせてもそれを受け止め、その上で自身の考えを貫き続けた。野上もそうだった。最終的に、俺はあいつらの熱量に押されて考えを変えたが、不思議と敗北感がないのはこっちもこっちで言い尽くしたからだろう。だが本来、対話とはそういうものなのかもしれない。

 鈴宮さんも、何かに思いを馳せるように遠くを見つめて言う。
「本当に伝えたい思いがあるなら、照れくさくても面と向かって伝えるべきです。二度と会えなくなって後悔しても、時間は巻き戻せませんからね……」

「……元気出せよな、ユウユウ。そんな顔してたんじゃ……。あー……おれの母さんも浮かばれねえ」
 遠くを見遣る彼から何かを察したのか、野上は自らの手で鈴宮さんの空いたグラスにビールを注いだ。

「……ニイニイこそ空元気じゃないですか。心から笑えるようにならないとオバアの幽霊が現れますよ? 息子思いでしたからね」

「えっ、あっちの世界にいってまで心配されるのは嫌だな……。ちゃんと成仏するよう頼んでくれよ。霊が見えるんだろう?」

「現れた霊の姿は見えるけど、おれからはコンタクトが取れないんで……」

「えー、そうなの……? って言うか、今は見えてないよな?」
 その後、野上たちは故人を偲ぶように亡くなった母親の話で盛り上がり始めた。

 俺は大切な人を亡くした経験がまだない。いい年になっても近親者が健在だというのはありがたいことであると同時に、「死」というものが遠くに感じられる俺は精神的に未熟で、まだまだ視野が狭いと痛感させられる。

「……なぁ、孝太郎にとって『死』は特別なものじゃないんだよな? なぜだ? なぜずっと追い求めていたんだ?」
 長年の疑問を口にするも、浅はかな問いだったのか鼻で笑われる。

「それは父の死後、この肉体を捨てれば再会できると、割と本気で信じてたからだよ。僕にとって『死』は、別の国へ旅立つくらいの感覚でしかない。『異国への憧れ』と言い換えることも出来ようか。無論、一度旅に出てしまえば二度と同じ場所には帰れないわけだが、僕はもともとこの世界への帰属意識が薄いらしい。庸平を前にして言うことではないのかもしれないが、少し前までの僕はやはりいつ消えてもいいと思いながら生きていたよ」

「だけど、今は違うんだろう?」

「ああ。今は死後の世界に赴いた人の力で生かされていると実感している。そういう意味で死は特別なものではないし、今は追い求める対象でもない」

「そうか……」

「使命と言うと仰々しいが、今の僕は野上クンたちのお陰で生きる目的を見いだし、それに向かって日々歩んでいる。僕が生きてここにいるだけで価値があると言ってくれる人たちがいるうちは、死者の国への旅立ちは先延ばしにしようと思ってるよ。……とはいえ、いつ死者の国から迎えが来るかは分からないからな。庸平も、もう一度娘さんに会いたいと思っているなら早めに会った方がいい。後悔しないためにも」

「……気が向いたらな」

 そう言ってから、自分はやはりこの先もまだまだ生き続けるつもりで人生設計をしているんだなと思い知らされる。俺と、ここに集った三人とでは生きる姿勢が明らかに違う、って……。

「……人生ってそんなに短いもんかよ? 俺はそうは思いたくないな……」

「先輩。後悔先に立たず、ですよ。今やらなかったらたぶん、一生やらない。人間ってそういう生き物ですから、行動するなら絶対に早いほうがいいです」

 野上が俺の呟きに応じた。

「……俺、こういう人生論って苦手なんだよなぁ。もっとこう、楽しい話しようぜ」
 グラスを手に取りあおったが、ビールは一滴も残っていなかった。

水沢みずさわセンパイは、もうちょっと大人にならないとダメみたいっすね……」
 大津が俺をたしなめながら、空のグラスにビールを注いでくれた。


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※見出し画像は、生成AIで作成したものを使用しています。

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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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