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「今、ここを生きる」を改めて考える

「嫌われる勇気」の著者である岸見一郎氏。
 2020年の著作、「今ここを生きる勇気」で語られた内容をなぞりながら私なりの「今ここを生きる」について考えていきたい。

アドラー心理学を真に理解するには、そこまでの人生の半分(20歳なら10年、30歳なら15年)はかかると言われているだけあって、実践すればするほど「嫌われる勇気」の「青年」のようにどんどん疑問や疑いがわいてくる。

・「今ここを生きる」とはいうけれど、実際「人生百年時代」と言われる世の中にあって、将来の不安や過去の苦い記憶やとらわれを感じずに生きるのは難しいのではないか?

・「今ここを生きる」とはいうけれど、それってつまり「先のことなど考えず、好きなことを好きなだけしていればいい」ってことなの?

など。

岸見氏の著作はほとんど読んでいるが、これらの疑問を解消してくれたのが「今ここを生きる勇気」だった。(本作は岸見氏の全六回にわたる哲学講座の内容をまとめたもので、受講者の素朴な疑問が理解を助けてくれたのだと思っている)


「過去」も「未来」も手放す

結論を言えば、「今、目の前のことに集中」すればいいと言うことである。

未来は文字通り「未だ来」ていない時間。
想像したとおりのことが必ず起きるはずもなく、それは多くの場合杞憂に終わる。
つまり、先々まで考えて不安になる必要はない

それが、今すぐ解決できそうなことなら行動に移せばいいし、「明日は雨が降るかしら?」と言ったことなら、天気は自分ではコントロールできないのでそのときになってから考えればいいのである。

また過去のことは実際に経験したことなので未来より手放すことは難しいが、思い出しているのは「今」なので、「今」どう受け止めるかで過去は変わる

不安になるのは「今、目の前のやるべきこと」に集中していないと言うことでもある。
読書に熱中していて気づけば数時間が経っていた……。
これこそが「今ここを生きているとき」だと岸見氏は言う。

この、「今」=「点」が続いていくことが「人生」であるが、それは極論を言えばいつ途切れてもおかしくないものだともいえる。

多くの人が、明日は今日の延長だと疑わずに生きている。
今日できることを明日すればいいや、と先延ばしにし、それが突然出来なくなったとしたらどれだけ後悔するだろう。

今日を精一杯生きる、とは、今生きていることに感謝し、今できること、やれることを、悔いのないように行うことだと思う。

もちろん、便利な世の中だし娯楽も多いから、ゲームもやらず、インターネットで情報も集めず、テレビも見ずに過ごすのは不可能だし、また無駄な時間は一切過ごさず効率的に生きるのがいいというわけでもない。

振り返ったとき、今日も一日充実していた。
そう思えればいいと私は考える。

たとえば上記のメディアに触れたとしても、

・きょうは子供と一緒にテレビゲームで遊んだ。
・家族全員そろってテレビを楽しんだ。
・インターネットで欲しいものが安く手に入れられた。

など、それに満足し、幸福感が得られたなら使えばいい。

ただし、「幸福感」と「幸福である」ことは違う
「幸福感」とはお酒に酔ったときのふわりとした感覚など、一時的に「酔った」感覚のことだと岸見氏は言う。
かわって「幸福」とは「存在」のこと。
つまり「今ここを生きている」だけで実は「幸福である」と言うことだ。

また三木清が言うには、「本当」に幸福で「ある」とは「各人においてオリジナルなもの」なので、あなたの幸福を他人が理解できないことはある。
しかしあなたが幸福だとおもえばそれでいい
誰かの幸福論ではなく、あなたの思う幸福を追い求めよう。

「今ここを生きる」は「刹那主義」ではない

個人的にずっと疑問だったことがある。
明日が今日の延長ではなく、また明日が来ない可能性もあるのだとしたら、好き勝手に今やりたいことをしてもいいのか、と言うことだ。

「今」=「点」だったとしても、健康な人には大体明日がやってくる。
多くの人が「明日はくる」と疑わない理由もそこにある。

「アリとキリギリス」のように、今楽しければ先のことは何も考えなくていい、備えなど必要ない。 そう解釈することも出来るのでは? 

と思っていたが実はそうではなくて、「善く生きる」ことを目標にしなさいという意味だったと本作で学んだ。


「善く生きる」とは?

「善く生きる」とは「他者貢献」をすると言うことだ。
究極的には「生きている」だけで他者貢献できる。
病気などで動けず何も出来なくても、家族が「生きているあなたがそこにいる」ことで安堵し、喜びを感じるなら貢献していると言えるのだ。

何も出来ないことを「悪」と思わないことである。
非生産的な時間を過ごすことがいけないことであるかのようにすり込まれてきたが、それは現代社会が「対費用効果」や経済成長を重視しているからだ。

別の本になるが、「ドイツ人はなぜ、年収290万円でも生活が『豊か』なのか」の一文が印象的だったので再度紹介する。

例えば、詩を書くだけではなかなか生活を支えることは出来ないが、詩を読んだ人々が共感を持ったり安らぎを感じたりすれば、その詩人は社会に貢献している。
国内総生産(GDP)を増やすだけが社会貢献ではない。


ちなみに、本当の贅沢とは「何も生み出さないことをすること」だそうだ。
自然の中を散策したり、ひなたぼっこをしたり……。
そういう贅沢な時間を、「幸福」な時間を多くの人が味わえる社会になってほしいと願うばかりである。

📝まとめ

・「過去」も「未来」も手放す
・「今ここを生きる」とは「刹那主義」ではない
・「善く生きる」とは「他社貢献」=「生きていること」


普段は小説書きですが、哲学的なことを話せる人が身近にいないので、最後まで読んでくださった方は是非コメントくださればうれしいです💖


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