思い込みボランティア
ごみ拾いの実際…とある団体が毎週末に地域のごみ拾いをしており、仲間を募集する記事が出ていました。事前連絡不要で現地に集合と呼びかけていたので、実際に行ってみました。
しかし、時間を過ぎても誰も来ません。少し遠くにいた青年に『ごみ拾いをなさっている方ですか?』と尋ねてみましたが『ち、違います!』とのこと。目的が達成されずに帰る気がしなかった為、1人ごみ拾いをしながら帰宅。こうして始まった私の週末ごみ拾い。自粛になったことと、ごみが減ったことが重なったので、ここ1ヶ月程はお休みをしています。
ごみを見ていると人間が見えてくる点が面白いです。ポイ捨てしないでいただきたいのですが、一定数仕方がないのでしょう。
私が通りすがりにごみ拾いをせず、週末に行う理由はごみ拾いには装備が必要だからです。何かの用事のついでに拾えれば効率も良く見て見ぬふりにもならなそうですが、そう容易ではないのですけど。
スープに浸ったラーメンが倒れた自転車に絡まりながら存在している… これは拾うのにハードルが高い。麺を回収しても小さいネギ達までは拾えない。汚れた誰かの自転車もキレイにするには時間もかかる上に怪しまれる。
麺 パート2。焼きそばの麺がぽつり ぽつりと800m位にわたって道路に落ちているのである。最後と思われる場所にはカップ焼きそばの器と折れた割り箸。なぜ割り箸を折る必要があったのか。落ちている麺の量を見るとほぼ食べられていない。ふと悔しくなって折ったのだろうか。酔っ払いということで想像を止るのは惜しいです(笑)
麺グループは拾う手間がかかりますが、持ち運びに困るグループもある。タイヤのホイールカバー、段ボール、空き瓶ビール、中身の入った飲み物。重い、大きい物を拾い始めに見付けると一度帰えらないと拾い続けることが困難に。
雨の後はごみが更に汚れている(笑) 桜が散る時期はごみとの見分けがつきにくくなる。ごみを捨てる人は見えにくい所を選ぶ。草木、物陰、裏道、側溝…悪いと思っているということなのだろうか?これが、犬猫の排泄スポットと重なるので拾う時も注意が必要(笑) ラーメン屋さん、駅近くはタバコの吸殻が多いです。
そして、落とし物とごみとの判断に迷う物。『片手袋愛好家』という方の記事を読ませていただいたことがあります。確かに手袋の片方だけ落ちていたことが複数回。誰かが置き直してくれて、持ち主が来るのを待っている手袋…道路脇に追いやられ汚れている手袋…感情的に見てしまいます。春先がピークです(笑)
続いて野外イベント前ごみ拾い活動について。イベントへの期待から参加するも悪天候により中止。イベントとごみ拾いは切り離して参加しようと思うのであります。最初はごみの取り合いになりますが、時間が経つにつれ口数が減り疲れていく皆様…。最後は皆満足げな笑顔なります(笑)
ごみから相談ボランティア募集の話に移ります。自殺防止ホットラインのようなものは全国にありますね。有料で傾聴訓練を受けた後に深夜にも対応したり。数年前、説明会に参加しました。「相談者に同調してはいけない。自分まで負の感情に流されてはいけない。淡々と対応し、自分を責めてはいけない。」と説明が。これで寄り添いが出来るのかと疑問が出てきました。最後の頼りに電話を掛けた方が対応者によって命を絶つことを選択してしまうかもしれない。その事実を知ることなく"人の役に立っている"と言い続けるのだろうか。傾聴の基本を忘れずにいたいものです。
身体障害への補助ボランティアという企画で車椅子体験、全盲体験とその補助訓練を受けたことがあります。自分がそうなるかもしれないという心構えにも繋がり、補助の僅かな知識も知っておくには良いです。知識が自他を助ける基になりますように。
1つの行い対して視点が複数あり、何に対して何がどうあるのかという仮説ができます。その中のどれを優先するのか。善いこととされてきたことが悪だったという話はよくあります。何をするにも責任を持って行いたい。慈善活動・社会奉仕と表現するのは本人の思い込みによるのだと思います。
人生をかけて行うことは変化することもあります。誉められた人生ではないですがズルい生き方はしません。繋がりから幸せを☆