見出し画像

我が子よ、君はゆくのか、そんなに転んでまで



我が子の事を園の先生に相談した
3歳半になったけどまだ喃語だけだよ、年少になったらやっていけるかな大丈夫だろうか、と

結論からいうと
こてんぱんにやられた
とっても良い意味で

その先生はとにかく
“この子は今何を見てるのか”
それしかない、と何回も何回も私に説いた

相談の冒頭、わたしは
まだ発語がない、話せるようになると思いますか?今後話せないなら、今のうちに、今後話すことはないよ、と医師から言われた方が気が楽だ
と泣きついた

だけど先生はそんな事には動じない
もちろん同情もしない

話す話さないじゃないのよ
みるべきポイントは
コミュニケーションをとろうとしてるかどうかよ、と

出来る出来ないじゃないのよ、と

とにかくどんな相談や質問をしても
たどりつく答えは一貫していた

今何を見てるか、何を感じてるか
それをあなたが観察して、想像しなさいね、と

そして我が子が楽しさを感じているその遊びを、あなたも一緒に楽しんでみなさいね、と


わたしは
親だから子どもに何かしてあげるべきだ
与えるべきだ、
ましてやとにかく話せない我が子に、何かをしなければいけない、話せるようになる方法があるはずだ!それが取り組むべき最優先事項だ!と無意識に思い込み、鼻息荒くふがふがしていたんだ

定型においついてほしい期待がそうさせていたのかもしれないし、悪しくも教育に興味があるからそうなっていたのかもしれないし、ここはまだ深掘りしてないけど、今は一旦おいておく


わたしはこの日から、自分でも可笑しいくらいに、子どもが見てる世界が気になるようになった

“何を見ているか”が大切
これは前にも言われていたんだけど、全然納得できていなかった
この日を境に、ようやくこの言葉が私の一部になってくれた

今、我が子を見る目が、見えるものが、今までと全く違う
そこには心配なんて微塵もなくて、ただただ子どもの表情を覗きこむ笑っている私がいるだけ
目線の先を見つめ、何を見て何を面白がっているか想像する私がいるだけ

そして、一緒に遊びたくなっている私がいるだけ


話せないと不便なことがあるかもしれない
だけど、今、本人はそれを悩んでいない
だって先生の言う通り、我が子は嬉しいことにめちゃくちゃコミュニケーションとってくれるんだよぅぅぅ涙

園でどんな事があったのかは、本人から聞けないけど、毎日楽しそうなことだけは充分伝わってくる

話をややこしくして見る目を濁らせて心を痛めていたのは、紛れもない私自身
もはや自作自演、笑

もうね、ほんと笑える!!!!!!
というか恥ずかしい!!!


我が子よ
よく転ぶから、脚も顔も傷が絶えないけど
そんなことはへでもない
あなたの見てる世界はキラッキラなんだろうな


だからゆくんだよね
どんなに転んでまでも

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?