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梅の花に想いを馳せる。私が生まれ与えられた課題、そしてご先祖たちの願い。

先々週の3月6日(己巳つちのとみの日つまり弁財天の縁日)に、先祖代々から地縁のある新潟総鎮守白山神社へ参拝に行ってきました。その神社境内には末社として祀られている松尾神社、黄龍神社、蛇松神社があって、この日メインはその3つの神社にお参りすることでした。

本殿正面脇に植えられている見事なほど満開に咲く紅梅と白梅を見かけまして、思うところがあり、その紅梅・白梅をこの上なくく愛でておりました。

新潟総鎮守白山神社に植樹された紅梅「蘇芳梅(すおうばい)」
紅梅「蘇芳梅(すおうばい)」
福岡太宰府天満宮より平成27年2月に、
菅原道真公ゆかりの「合格祈願の梅」として植樹。
新潟総鎮守白山神社に植樹された白梅「大和牡丹(やまとぼたん)」
白梅「大和牡丹(やまとぼたん)」
福岡太宰府天満宮より平成27年2月に、
菅原道真公ゆかりの「合格祈願の梅」として植樹。

紅梅と白梅にまつわるウチの本家において累々と語り継がれてきたご先祖のエピソードに、私は想いを馳せていたのです。


それは私の父方である山田の家系の始祖に遡る話なのですけれど、菩提寺である隣陀山勝楽寺(真宗大谷)に残っていた古文献に記されていたものでした。
残念ながら、昭和30年の新潟大火によって古文献の一部が焼失し、以来、本家当主が次の当主に口伝で語り継いで来ました。
実際、昭和30年以降に口伝で語り継いだのは祖父から父へ、父から私への二代だけなんですけれどね。

浄土真宗大谷派にみる法名軸
この写真は、わが家の始祖(初代)から始まる
先祖代々の法名が記された法名軸(浄土真宗)です。


始祖の俗名は玄三郎(安政三年没。享年かぞえ年72歳。法名・釋玅蘭)といって、天明五年(1785年)に秦氏系橘の末裔である草摩分家(家紋・丸に橘)の三男として生まれ、蘭方医になるために武士の身分を捨てて草摩の籍から抜けて山田姓(家紋・丸に剣片喰)を名乗ったのが始まりでした。
五代目当主である私の父がアルツハイマーで財産管理ができなくなった時、父と私は不仲だったために、私の知らないうちに《丸に橘》の家紋の付いた家宝の長槍を弟である叔父が勝手に処分してしまいました。

玄三郎が草摩の籍から抜けるとき、兄弟姉妹の中でも一番仲の良かった七歳年下の妹・スズ(慶應四年没。享年かぞえ年77歳。法名・釋尼妙誠)も一緒に籍から抜けたのだそうです。
そのスズを蔭から支え、兄妹に何かと手を貸してくれたのがスズと同い年の幼馴染みであるトヲル(万延元年没。享年かぞえ年69歳。法名・釋尼妙空)でした。
のちに透は玄三郎と恋仲になり結婚しました。

その同い年の幼馴染みであるスズと透の二人の関係を紅梅と白梅に見立てて仲睦まじいエピソードがあったのです。
そのエピソードによって、玄三郎は草摩のしがらみからようやく解放される筈だったのですけれど……


草摩家の玄三郎の祖父にあたる人(草摩家五代目当主。昭和の新潟大火によって記録が焼失したため名前不詳)が、「草摩の血を決して絶やしてはならぬ!」とばかりに、玄三郎と透とのあいだに生まれた長男・祐吉(高祖父。明治29年没。享年かぞえ年83歳。法名・釋最相)の嫁にと決めて、外戚にあたる草摩チイ(明治36年没。享年かぞえ年73歳。法名・釋尼慧生)と強制的に結婚させたのです。

で、祐吉とチイとのあいだには四男二女の六人の子が授かり、その四男がのちに東京で弁護士となった末吉(曾祖父。昭和27年没。享年かぞえ年83歳。法名・釋教道)というわけです。

その末吉に関する記事はコチラ


父方の山田家の始祖にして初代当主である玄三郎は、山田姓を名乗る、つまり新たな家を成すに当たって『草摩家家法十二訓』の中から、古い体質・仕来りに縛られることなく、これからの時勢を生きてゆく新しい山田家にとって本当に大切にしたい六訓だけを選んで『山田家家法六訓』なるものを作ったのでした。

私は双子の兄を出生時に亡くしているので長男一人っ子として育てられ、私の一人娘である長女も既に外に出している(私の家系とは無縁となる)ので、六代目当主ではあるものの本家最後の当主ということで、語り受け継ぐべき次の当主はもはやいません。
分家は残っていても本家の家督継承はないので事実上は「家系の断絶」ということになります。

また不思議なことに、草摩家家法十二訓から山田家家法六訓の「12」と「6」という数字になぞらえているかのように、私は山田の代から数えれば六代目なのですけれど、草摩の代から数えれば傍系でちょうど十二代目になります。
……これは偶然なのか?いわくがあるのか?(笑)


まあいづれにしても、初代当主・玄三郎が草摩から抜け出した文化五年(1808年)からずっと今の令和の時代までの216年ものあいだ、歴史の亡霊のように草摩の柵から全然解放されていないんだなあと、つくづく感じているのです。
でもそんな呪いのような柵の中で、紅梅・白梅は一服の清涼を与えてくれる光景のように思えて、その紅・白梅の木の下でスズ(紅梅の精霊)と透(白梅の精霊)が楽しく戯れて末裔達を慈しみいたわってくれているようにも感じるのです。

そして私は思うのです……
最後の当主である私が姓を草摩へと戻すことが216年続いてきた家系の呪縛を解き放つことになるのではないかと。
累々と続いてきたご先祖たちの《業》を私が生かされているうちに解消し祓うことこそ、私が生まれ与えられた魂の課題なのではないかと。


#エッセイ

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