石階段、思い出の足あと拾う町。
◆マガジン "Sha-Gaku手帖" の記事です。
私のこれまでに撮ってきた写真たちをメインテーマにした記事・写楽Sha-Gaku。色と光と影を私の好みで捉えたものたち。写すことを楽しむ私の手帖です。
石階段、思い出の足あと拾う町。
雨模様の続く日。
何日目かしら、昨日(1月20日)は気まぐれのように青い空を覗かせてくれたので、この数日思っていたことを行動に起こした。
実はこの記事の前に投稿した記事の内容と関係していること。(つまり関連記事ということです)
かつて、6歳年下の美樹と過ごした愛しい時間が流れていた町を思い出とともに歩くこと。
スタートはやはりここ。
帰りの遅い美樹を見つけたナンキンハゼの並木道。
ちょうどそのときに私が立っていた場所と同じ位置に立って狙って撮影。左奥に写る黄色い壁の建物が、美樹の通っていた旭保育園である。
ここから手を繋いで、夕暮れに色づいた街~西堀通り~を下町に向かって歩いていった。
私の父方の菩提寺である隣陀山勝楽寺(真宗大谷派)から左に曲がって新潟市美術館へ向かってまっすぐ歩いていく。美術館の向かいにある西大畑公園の前を通り過ぎる。
すると日本海の海岸線に沿うように新潟砂丘(日本最大級の海岸砂丘)で形成された高台の住宅地となっている田中町に突き当たる。
まわり道をすればコンクリート地の坂道もあるけれど、美樹の家へ行くにはまっすぐ石階段を登ったほうが近かった。
田中町からこの階段を登りきると、美樹の家のある二葉町にたどり着く。
懐かしすぎて、しばらく石階段の上から新潟のまちを見下ろして佇んでいた。
10分くらいだろうか、思い出に浸っていたら近所の子供たちが通りかかって階段を降りていった。
ちょうど思い出の中の美樹と同じ年くらいかな、小学6年生っぽかった。
きっと美樹と同じ二葉中学校へ通うのだろうか?……と思ったと同時に、そういえば閉校したんだったな、と思い直した。舟栄中学校と合併して新潟柳都中学校として移転したのだった。
思い立って、歩いてすぐ近くの二葉中学校の旧校舎へ向かった。
不思議な縁というか、美樹がここの二葉中学校に通っていたとき、私の母親も同じ二葉中で家庭科及び国語の教師をして、書道部の顧問もしていた。
美樹と私の母は、生徒と教師という関係で、私の知らないところでどんな会話をしていたのだろう?……
とかって思いを馳せたりした。
美樹のことだから、きっと、いや間違いなく母のお気に入りの生徒だったに違いない。
そろそろ肌寒くなってきたので、たどってきた思い出の多い道を引き返した。
新潟市美術館向かいの西大畑公園まで戻ってきたとき、子供たちの楽しく遊んでいるワイワイと弾む声、笑い声が、冬の夕暮れの中で響いてきた。
ほんと、楽しそう。
〝かえりたいな〟……ふいにそんな想いが湧き上がってきた。懐かしい場所。懐かしい時間。急に胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
「せーんせい♬. おかえりなさい」
空耳だって分かっているけど。
小学6年の頃の美樹の声が聞こえた。
美樹、ありがとう。ただいま。
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