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SS【空へ】

男は過去に色々なものから逃げて生きてきた。

仕事や面倒な人付き合い。


若い頃、職場の人間関係で心を病み、片腕を失う大怪我もした。

一時は今後の生活に不安を抱き落ち込んだが、障害者になったことで貰えるようになった手当と、生活保護があれば生活には困らなかった。


しかしそのことが、かえって男の人生に暗雲をもたらした。


何か新しいことに挑戦することもなく、守りの人生に入ってしまったのだ。



男は追っ手を退けながら決められた任務をこなすゲームが好きで、すっかりはまっている。


最近は夢にまで出てくる。



追っ手から逃れた男は、偶然立ち寄った屋敷の探索を終え、裏口から外へ出た。


十数メートル先は断崖絶壁で、遥か下には流れの速い川が見える。


崖の反対側へ渡る吊り橋は、人一人が満足にすれ違う幅も無く、お世辞にも丈夫そうとは言えない。

その吊り橋が風にあおられギシギシと嫌な音を立て揺れていた。


現実なら石橋を叩いて渡るほど臆病な男も、夢の中では勇敢な挑戦者になる。


長さ二十メートルほどの揺れる吊り橋の上を慎重に進む男。


真ん中近くまで差し掛かった時、突如腐った踏み板が折れ、男はその開口部に片足を落とした。


折れて落下した踏み板が水面を叩く音が聞こえる。


なんとか足を持ち上げ、気を取り直して進もうとする男。


残っている折れた踏み板の一部には「アキラメルナ!」と彫られている。


男は「フン」と鼻で笑って、今度は踏み板を吟味しながら渡りきった。


吊り橋の先にはうっそうとした暗い山道が伸びている。


狭くクネクネと曲がる急な山道を登ると開けた場所に出た。


いつの間にか辺りにうっすらと靄(もや)がかかり、しだいに濃厚な霧になって数メートル先の視界さえも奪った。


男は危険を感じたのか、その場で座り込みジッとしている。



霧が晴れ、辺りが見渡せるようになると男は驚いた。


先ほどの山道には違いないが、目の前にはものすごい人の数の行列ができている。


気がつくと男は、先の見えないほど長い行列の最後尾にいた。


行列は少しずつ前に進んでいる。


しばらくすると後方から一人の若い女がやってきた。


女は男に「流されるままに生きる道はここで合ってますよね?」と聞いてきた。


男は返事に困った様子で「いや、俺には分からない」と答えた。


すると女は男の前に並んでいたお爺さんにも同じことを聞いた。


お爺さんは「もちろん、この道が正解さ。主体的に生きたって疲れるだけさ」と答えた。


女はさらにお爺さんの前に並んでいた小さな男の子にも同じように声をかけた。


すると男の子はこう返した。


「たいした能力も無いのに何かに挑戦したって時間の無駄だし疲れるだけだよね。それなら最初から流されて生きていた方が楽だよ」


女は軽くため息をついてから男の後ろに並んだ。


行列は少しずつ前へと進んでいく。


男は何か考えているようだった。


足音が聞こえ後ろをふり返ると、女が来た道を引き返している。


男はとっさに「待って!」と引き止めた。


「な、並ばないの?」


戸惑いを隠しきれない様子で聞く男に女は返した。


「あなたはこの道を選ぶの? 私は人生の最後で後悔したくない! もっとこうしとけばよかったとか。あの時もうちょっと勇気があったらとか!」


男はその言葉を聞いて思わず下を向いた。


少しして顔を上げると女の姿は消えていて、ふたたび辺りに靄(もや)が立ち込めはじめた。


徐々に視界が悪くなり、濃い霧へと変わり始める。


男はもと来た道を風を切るように走って戻りはじめた。


まるでこれがラストチャンスかのように!


山道を駆け抜け、揺れる吊り橋を渡り、屋敷の中を通り抜けた。


屋敷の正面には木の看板が立てられ、そこには(後悔の館)と書かれていた。



看板を睨みつけていた男に、砂を含んだ強風が吹きつける。


両目に勢いよく砂の入った男はたまらずしゃがみこんだ。


視界を失った男に、屋敷の方から足音が近づいてくる。


「大丈夫ですか? こちらへどうぞ」


上品そうな若い男の声が聞こえ、目の見えない男の手を引いて屋敷の方へ連れて行こうとしている。


男は暗闇のなか手を振りほどき、勘だけで屋敷と反対方向へ走った。


走って走って気がつくと、少し前まで居た世界は砂の城のように儚く(はかなく)消えていった。



男は夢から目覚めた。



起き上がると、ずっと閉じていたカーテンを開き、窓を大きく開いた。


外はスッキリとしたいい天気で、青い空にはアルファベットのVの形で飛ぶ鳥の群れが見える。


窓から吹き込む風は男の髪をなびかせ、机の上に放置してあった書類の山をパタパタと舞い上がらせた。


男は自身の失くした腕を見つめてから空を見た。


風に乗って走る白い雲たち、それから小さくなっていく渡り鳥の群れを見た。



男は女の言葉を思い出していた。


「私は人生の最後で後悔したくない!」と言った言葉を。



それからボソッと一言つぶやいた。


「俺も・・・・・・飛べるかな」
















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