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ショートショート【かくれんぼ】

三月もそろそろ終わりを迎えようしていたある日、秋子(あきこ)は病院の清掃作業を終え、帰る前に一息ついていた。

四十代で離婚してからは子供たちと離れ、独りで細々と清掃の仕事でなんとか生計を立てている。

ホテル、旅館、病院、公園といろいろ経験してきた。

タチの悪い人間が、トイレの便器にトイレットペーパーを丸ごと突っ込んで詰まらせていったりすることもあった。

しかし還暦を過ぎていると働ける場所も限られてきて、弱音ばかりも吐いていられない。


夕方四時を少し過ぎた頃、病院をあとにし、いつものバス停へ向かう秋子。

市内の中心部を百円で移動できるコミュニティバスが走っている。


秋子はいつも公園の中を通ってバス停へ向かう。

ちょっとした近道になるし、今の時期は桜の花見もできる。

腕時計を見ると、まだ少し余裕がある。


もうちょっとで公園を抜けようかという時、不意に後ろから誰かに呼ばれた気がした。

振り返ると学校の制服を着た小学校低学年くらいの女の子がこちらをジッと見つめている。

女の子は近づいてきて公園の中央に生える大きなタブノキの方を指さした。

女の子の指差す方向を辿っていくと、地上から三メートルは離れたタブノキの枝に、黒色のリュックサックが微妙なバランスで引っかかっている。

「あれ私のリュックなの。おばちゃん取って」

秋子はどうしてあんな高い場所に引っかかったのか聞こうとしたが、今さっきまで泣いていたような顔を見て、寸前の所で思いとどまり言葉を変えた。

「なんか投げてみるね!」

秋子はそう言ってから周囲を見渡したが、適当なものが見当たらない。

秋子は自分のショルダーポーチの中から仕事仲間にもらった缶コーヒーを取り出し女の子のリュックサックに狙いを定めた。

何度も外れたが八回目でなんとかヒットし、リュックサックはバランスを崩して落ちてきた。

落下してきたリュックサックを、女の子はまるで忍びのような俊敏さでキャッチしたので秋子は驚いた。

キャッチするまでの動きが早すぎてよく分からなかったくらいだ。


「おばちゃんごめんね! 缶コーヒー汚れちゃったね」

女の子は土のついた缶コーヒーをジッと見つめながら言った。 


「大丈夫よ! 洗えば問題ないわ」

秋子は缶コーヒーを公園にある水道で洗ってからハンカチで拭いて女の子に見せた。

「ほら! 綺麗でしょ!」

缶は片側がベコっと大きくへこんでいたが、へこんでいる方を女の子からは見えないように見せた。それからサッとポーチにしまった。

「ねえ、おばちゃん。 かくれんぼしよ!」

戸惑う秋子に対し、一回だけだからと言って女の子は譲らない。

時計を見るとバスの時間まで五分しかない。

バス停は公園から出てすぐのところにある。

それでもかくれんぼをするほど時間は無い。

バスに乗り遅れるからごめんねと言っても、今度は必死に腕をつかんで離そうとしない。

秋子は女の子のあまりの押しの強さに心折れて付き合うことにした。


「もーーいーーかい!」

秋子は五十数えてから声を上げたが返事がない。

辺りを見渡しても女の子の姿はどこにも見えず、探し始めた秋子の耳に、突然、爆弾でも落ちたのではないかと思うほどの凄まじい轟音が聞こえた。

音は近い。公園のすぐ近くから聞こえた。

「交通事故?」


秋子はもう一度辺りを見渡した。

あれだけの音で女の子が出てこないのもおかしい。

まさか!!

秋子は嫌な予感がして音のした方へ走り出した。


かくれんぼなんてするんじゃなかったという後悔と、なんとか無事でいてという気持ちが交錯する。


秋子の視界に入ってきたのは、崩れ落ちた家の壁と前面が大きく潰れたトラックだった。


トラックのいる場所は秋子が向かっていたバス停。

いつも、秋子はあの崩れ落ちた塀の前に立ってバスを待っていた。

秋子は腕時計を確認した。

バスの来る時間だ。

そう思ったらバスの姿が見えた。

バスは崩れ落ちたブロック塀と、道を塞ぐように止まるトラックの十数メートル手前で止まった。 

周囲に人影は無い。

あの子が事故に巻き込まれたわけではなさそうだ。

秋子はホッとしたのと同時に、誰よりも自分が命拾いしたと思った。

「私は・・・・・・助けられた?」

すでに誰かが通報したようで、サイレンの音が近づいてくる。

そのサイレンの音に混じって、微かにあの子の声が聞こえたような気がした。


「もーーいーーよ!」













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