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フォロワー増やしとまちづくりの共通点

一見全く関係なさそうなこの「フォロワー増やし」「まちづくり」。みんな興味を持って取り組むけれど、みんな必ず間違った方向を歩んでいってしまうという共通点があります。

noteの中でも「フォロワーの増やし方」的な内容の記事は人気があります。でも実はその記事のおかげで大成功しました!という話しは聞いたことがありません。一時的には効果があるけれど、長続きしない…というケースが多いようです。

なぜそうなってしまうのか?結局のところ、記事の根本的な部分は変わっておらず、「タグの付け方」「タイトルの付け方」「サムネイルの作り方」など、細かなテクニックの部分だけを教えているからなんです。もちろん、これらのポイントのテクニックを身に付ければ、目につきやすくなるし検索されやすくもなるので、一時的には改善したかのように思えます。

しかし実際には、記事の精度が向上しているわけでもないので、付け焼き刃であり、剥がれやすいメッキです。

一方、「まちづくり」や「まちおこし」でも同じ現象が起きています。どこの町のどこの村でも、上手に宣伝さえすれば認知度が向上し、地元にお金が落ちて、税収も上がると考えています。

はっきり言って、とんだ勘違いです。

そういう場所には必ず怪しいコンサルや、地域振興のために国から町や村に配られたお金を少しでもかすめ取ろうとする広告代理店や制作会社がいらっしゃいます。

現場は楽しくて、つい「まちづくり」や「まちおこし」の活動ができている様に感じてしまいますので、町民村民には充実感だけ残り、翌年以降にその反響が無かったとしても、役所の担当者もすでに人事異動で変わってしまっていますから、意味のないお金が右から左へと動いただけという状態になります。子供や孫のことを考えたら、本当はこんな状態ではダメですよね。

「まちづくり」や「まちおこし」の活動でまずやらなければいけないのは、「宣伝」するに値するその町や村の新しい「何か」を作り出さなければいけません。これを無くして、これまでうんともすんとも言わなかったモノを「宣伝」さえすれば認知度が向上するなんて、正直正気の沙汰ではありません。そんなに簡単な事ならとっくにその町や村は潤っています。やたらとアニメ作品作ったら?みたいな意見をする方もいらっしゃいますが、そんなところに数億円使うくらいなら、その町や村の施設に段差のないスロープでも作った方が断然良いですし、バスの巡回サービスなんかもできてしまうでしょうに、なぜそういう方向に目を向けないのか?

話しが反れてしまいましたが、結局のところ、「フォロワー増やし」と「まちづくり」のどちらも、どうでも良いようなテクニックばかりを覚えたがるのが失敗の原因です。そしてタチが悪いのはそれを失敗だと気づきにくいこと。

本気で望むなら、まずは本質を見極めることが大事ですね。

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