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科学的でも合理的でもない哲学の重要性

本記事では、思想や哲学の重要性を問うてみる。私を含め日本人の多くは哲学にそこはかとなく忌避感があり、“思想”というとなにか宗教的な生々しさを感じて避けてしまうことも少なくない。これには、「哲学なんて科学的でも合理的でもない」みたいな考えが根底にあるからで、本来は役に立つ生活技術である思考法が無視され、それを学ぶ機会が失われているのだ。
 
そこで今回は、諸君同志が有用な哲学を学び、思想の重要性を再認識することを目指して、論を進めていく。
 
まず、合理とは、規格化された機械工業での大量生産のために編み出された概念である。そもそも近代社会とは、工業の生産リズムに合わせるため社会と人間生活を合理化させたことによって生まれた。つまり、合理的な考えとは、予測不可能性のない機械の動作のための方法であり、生物である私達人間とは相容れないといってもよい。現代のビジネス書などは「無駄のない〜」「効率の良い〜」なんて言葉がよく使われており、なんでもかんでも合理化すれば良いような風潮があるが、それは間違いなのだ。合理化とは、生産性の向上のために冗長性を排除することだ。冗長性のなくなった社会や人間は少しのアクシデントで簡単に崩れてしまう。いわゆる、"レジリエンス"というものが皆無なのだ。
 
このようなレジリエンスを考慮しない時間の使い方は、我々の余暇を無限に奪っていく。あるべき“あそび“を無駄ととらえ、空いた時間を効率良く埋めることに囚われている人は多いのではなかろうか。しかしながら、諸君がどれだけ努力して心血を注いだところで、我々の時間は際限なく圧縮され、効率化の名のもとに忙しない人生が達成されるだけなのだ。機械は摩耗すれば取り替えられるが、人間の心は一度壊れると決して元には戻らない。
 
もちろん、ビジネスマンの理想像としては合理的な人間を目指すべきなのかもしれないが、それは理想であって現実ではないことに留意すべきだ。合理とは幻想やフィクションであり、調子の良い日曜の朝に、暇つぶしがてらに思い出す程度のプロパガンダにすぎないのだ。
 
次に、科学について。

近年は、なんでもかんでも科学的な根拠を求めるエビデンスベースマンが大量発生している。しかし、そのような人は真に科学的なのではなく、ただ科学を盲信しているにすぎない。世の中で科学的に解明されていることなど、ほんのごくわずかだ。どんな問題にも科学的根拠があり、それに基づいた決断が誰にとっても最適解であるという考えは実に傲慢であり、ただ信じたいものを信じる非科学的な態度と言ってもよい。それに、実際の生活では、研究されないほど些細な問題や人間関係などで悩むことのほうが圧倒的に多い。そんなときに必要なのは、どこの誰がどんな条件で証明したかもわからない科学ではなく、自分の頭で考え、そこから生じる行動を自覚し、他人への説明責任を果たす毅然とした勇気である。手持ちカードが科学しかない人間は、自らの行動の責任を科学になすりつける。本当に重要なのは、科学で解決しうる問題には科学を、そうでない問題には論理的な思考に基づき「私はこう考えたから、このような行動をとった」と言える能力なのだ。科学への責任転嫁でなく、あくまで"自分の論理的な思考の結果行ったことである"という覚悟ある主張の方が、より柔軟な対応だといえるのではないか。
 
これをもって、合理的・科学的を崇拝する現代人への批判とする。しかし、ここで一つ断っておきたいのが、私は懐古主義者ではないということだ。合理的でも科学的でもない考えがまかり通っていた中世よりも、現代のほうが良いのは間違いない。生活は向上し、暴力は減少し、皆が幸福になった。ではなぜ、いま現代に哲学が必要なのか。
 
ようやっと本題に入る。まず、これまで紹介してきた合理も科学も一種の思想であり、ツールにすぎない。ここで重要なのは、ツール自体に善悪はないが、使う人間によってそれが及ぼす効果は如何ようにも変わるということだ。例えば、包丁自体はただの金属でも、使う人間によっては料理を生み出すことも、生命を奪うこともできる。あたりまえのようだが、とても重要なことだ。このツールを使うには母体が必要であり、その母体の性格を決定するのが哲学なのである。悪しき哲学に染まればツールは凶器にもなりうるが、善き母体は明るく未来を照らす。この哲学と思想の概念の境界は極めて曖昧だが、多くの思想に出会うことで、存在するに足る哲学が自分のなかに徐々に根付く。ここで重要なのは、哲学を学ぼうとする意欲だ。この意欲こそが、哲学の輪郭を形成し、それを存在しうる概念に昇華させる。少しわかりにくいが、自由意志のようなものだ。自由意志とは存在すると信じることによって存在するものであり、自己の意志を疑った瞬間に自由は霧散する。この自己矛盾のフローこそが、思想を学ぶ最大の理由になるだろう。
 
そして、確固たる意欲を持った同志諸君のために思想や哲学を吐き出し続けるプラットフォームこそが、この「鉄の家計簿」である。私は、ぜひとも君たちとともに成長したいと思う。言うべきことを発信し、聞くべきことに耳を傾ける、そんなメディアを創っていきたいのだ。今回の第一報は、はじまりにすぎない。
 
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