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自分ってなんなんだろう?の答えが欲しかったのかも

自信が欲しいとか
自尊心を大事にしたいとか
自己実現したいとか
自分の価値を試したいとか

その時期その時期によって、難しい言葉で表現してきた。
でも、一番しっくりきたのは、

「結局、自分ってなんなんだろう」

の答えだったのかもしれない。

「芯のある人になりたい」
と思って、

女性であること
父と母の間に生まれたこと
バスケ部だったこと
勉強も頑張ってきたこと
理系で論理的なことが得意なこと
音楽が好きなこと
料理が好きなこと
愛情深いこと
子供が好きなこと
人を好きになるのが得意なこと

これが”私”なんだってことを、
その都度見つけて、
自分の「芯」としてきたつもりだった。

でも、子宮を取るという可能性に触れた時、
初めて「女性である自分」というアイデンティティーを失うような気持ちになった。
根本から、何かが崩れるような感覚。

本能なのか、なんなのか、
子宮なんて実際は見たことないけど、
確実に、自分の体内に存在を感じていたんだと思った。

「もし子供ができなくてもいい、いなくならないで。ずっと一緒にいてよ」

自分の子宮に対して、そう願った。

子供が大好きで、
小学2年のとき、8つ下の妹の世話をしながら、
いつか自分の子供を抱く日が来るって思ってた。
結婚したとき、子供が大好きなお母さんに孫の顔を見せる日を楽しみにしてた。

子供が作れなくなるショックは、そんな私にとってとても大きい。

だけど、それ以上だった。


だって、全部取ってしまったら、私は何になるの?
生まれた時からあった自己概念。
”女性”でなくなるような気がして、
ぽっかりと空いてしまった体内の空間を想像して、
私はその体をどう感じるんだろう。

見たこともない臓器の存在が、こんなに大きいとは。
自分のアイデンティティーを崩してしまうようなことだったとは。


産婦人科に行って、何かしらの診断を受けた時、
ショックが大きい女性は多い。
友人からも泣きながら相談されたこともある。
命を脅かすような病気じゃないのに、
きっと女性に対して本能的にショックを与える場所なのかもしれない。

検査結果はまだだけど、
できるだけ、残したいという気持ちは間違いない。


でも、もし、万が一取ることになってしまったら・・・

その時は生きていけるのかな・・・

産婦人科から帰宅してそんなことを考えていた時、
母からLINEが来た。

母の兄である叔父が、いよいよ衰弱してきたというメッセージ。
叔父はすい臓がんの末期で、もってあと3ヶ月と言われている。

布団で眠っている叔父の写真も送られてきた。
4人兄妹の長男で、
大工で工務店を経営し、
2人の息子の父であり、
4人の孫の祖父である、
姪の私から見ても力強く大きな存在だった叔父の顔色は血色が感じられず、
布団の中に小さく収まってしまっていた。


メッセージを見て、ふと、

ああ、もし子宮を失ったとしても、
何としても生きよう


と、思った。

なるべく残す努力はする。
ずっと私の中にいてほしい。


でも、私は”女性"である前に”私”なんだ。
性別や、子供の存在に頼らず、
私であるアイデンティティーを見つけなければいけない。

子供に恵まれない夫婦はたくさんいる。
一生懸命妊活して疲れてしまって、
自分の存在意義を否定してしまう女性もいる。
石女なんていうひどい言葉があるくらい、
(この単語を知った高校生の時、かなり憤慨したのを覚えている)
子供を産む=女性としての存在意義
という文化は強く刷り込まれてきたんだろう。


子供は欲しい。
でも、そこに依存せず、自分の人生を全うするんだ。

このタイミングで、叔父が見せてくれた生き様。
抗がん剤を使わず、余命4ヶ月を受け入れて人生を全うすると選択した強さ。


ありがとう。


私は私であることに、どんな価値をつけられるのか、
そんなことを考えながら、目の前の仕事にまず取り組み始めた。

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