自作詩をいくつか、そのじゅう。『思ってもない一面』
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
『思ってもない一面』
自分が想像以上に嫌になる。
我の思ってもない一面に気付く、なんて人と接するどこかであると思うのだけど。
ポジティブな場合とは限らないのだ。
自分は思ったよりも浅ましいし、思ったよりも身勝手だし、思ったよりも不器用だと。
そんなことに気付いた日は結構つらい。ああ、そんなときは寝るに限る。しかし、寝れないこともあるのがよりつらい。
距離を置かれたこともある。
出会った人は大切にしようと、心がけてきたつもりだが、どうしてこんなに上手くいかないのだろうか。
考えても仕方あるまい。
小さな挫折の積み重ねも苦しいものだが、まだ、こんな詩を書ける余裕はある。
前向きに行こう。
そう言えば、他者の思ってもない一面はどうだろう。
考えたことがあるだろうか。
これが思った以上に、第一印象とあまり変わらない。
思った通り、この人は優しいんだなって思う。
すると、向こうから怪しげな帽子を被った男が近づいてきて、耳打ちで僕に言うのだ。
「人間、思ってもない一面は必ずあるよ。それを君が実感してないのは、君が人をちゃんと見ようとしてないからさ」
思わず、僕はたじろぐ。だが、男はさらにくるっとまわり、今度は逆向きから耳打ち。
「自分のことばかり見てるから、自分の意外性には気づくのにね」
僕はその場にへたり込んだ。
その男は、変わらぬ歩速で一本道を歩いてく。
そのスピードは、僕にはゆっくり見えた。
人の歩く速さについて考えたのなんて、これが初めてだ。
自分が嫌になっちゃう。
でも前向きに、前向きに、い、いこえ。
やっぱ無理だ。
でもつらい。
ま、まに。
『鳴かぬなら』
鳴かぬなら
とても落ち込む
ホトトギス
——僕は憂鬱に駆られていた。
なんでこんなに暗くなっちゃうんだろう。
とか。
なんでこんな仕打ちを受けるんだろう。
とか。
なんで人を傷つけちゃうんだろう。
とか。
被害者意識ありつつ、加害者意識ありつつ。
とりあえず、自分の心に俳句を詠む生活だ。
世の中には無数の意見があり、自分の意見と真反対なものも当然あれば、自分の意見にとても近いものも当然ある。
こうなると分かんなくなってくる。
自分はどういう考えを正確には持っているのか。
そして、その考えは果たして本当に正当性を持つのだろうか。
分かんなってくると、ただ、ただ、全てが苦しくなってくる。
人のことを理解することはとても労力が必要なのに、自分さえ安心して信じられないのは、途方もない疲弊感があるものだ。
しかし、それでもある程度で自分というものを信じなければいけない。
最初から疑わなければいいじゃん、なんていう強者の論理は捨てるとして、さて、どこで自分を納得させようか。
もちろん、考えも世界も流動するものだから、同じ考えに縛られる必要はない。
決まった正解なんてない。
だけど、その時その時で自分に確信を持つためには、発言をするためには、その時には『その時の正解』が必要だ。
そうなると、焦りというものが生まれる。
なるべく早く、なるべく素晴らしい、なるべく自分の信条に沿った、そんな言葉を捻出しなければならない。
じっくり考えるべきなのに、僕らは焦燥感に追われる。
結果、憂鬱に駆られる。
幸せの小鳥の鳴き声は聞こえるだろうか。
それは僕らが鳴かせられるものなのだろうか。
じゃないとしたら、いつまで待てばいいのだろう。タイマーなんてものもないのに?
ショートばかり見てる僕らに、そんな堪えはできるのだろうか。
しかし、織田信長さんのようには、ちょっと怖いもの知らずなことはできない。というか、素敵な小鳥を傷つける必要はない。
僕らは思いやりを持って生きたいのだ。
ちなみに、相変わらず自分を信じきれないため、自分は優しい人と信じたくても、その自信もない。
だけどそれでも、できることなら、思いやりを持っていきたい。
——こんな感じに色々と考えているのだが、俳句というものは面白い。それをあっさり短い文字数でまとめてしまう。
鳴かぬなら
なぜ悲しむの
ホトトギス
『駅で誰かを待っていると。』
駅で誰かを待っていると。
別れゆく恋人たちを見かけた。
旅立つ理由はいくつもある。
仕事だろうか。夢だろうか。都合だろうか。
私は思う、離れても続く恋であれと。
私は思う、それは長く険しい旅であると。
その恋人たちは、窓越しに手を重ねていた。
駅で誰かを待っていると。
箒をはいている少年を見かけた。
すると、お父さんのような人が来て。
お駄賃を渡す。少年は大きく喜ぶ。しかも頭までくしゃくしゃに撫でられて、幸せそうだ。
お金と幸せはいつも議論されがちだ。
だけど、この議論は正直苦しい。現実を考えることはとても苦しいのだ。
私は思う、幸せならいいじゃないかと。
私は思う、幸せを考えようとするたび、それなりに生活が絡むと。
でもそれでも思うのだ、幸せが大事だって。嬉しそうな少年の顔を見ると。どんな苦しい世界も些細なことだとお願いだ笑ってくれ。
駅で誰かを待っていると。
本を落とした老人を見かけた。
慌てて声をかけて渡す。
老人は言った。迷っているのだと。
書を捨て町へゆけ、と書いてあったのだと。この本に。
だから捨てたんだと。でも、その本がないと指針がないから、迷ってしまうんだと。
僕らには学びが必要だ。しかし、僕らが考えるとき、一番考えなくちゃいけないのは僕らの脳みそだ。
私は思う、彼はとても誠実な人なんだと。
私は思う、誠実な人はこんなにも皺の数が多いのかと。
この本は大事にしてください。と私は本を渡した。その代わり、オススメのレストランを教えてみた。ガイドブックに載ってないお店だ。
駅で誰かを待っていると。
走ってくる車掌さんを見かけた。
今日も終電まで待っていたんですかと。
私は申し訳そうにそうなんですと答えた。待つのに慣れてしまうのは、少し寂しいことかもしれないね。
雪が降ってくる。彼女との出会いを思い出す。そしてお別れも。
この町では色んなことがあった。私の場合は、町を捨て、本を拾いたいくらいだった。本の中の世界は美しいままだったから。
でも。
私は思う、町は苦手で、人も苦手で、生きるということに完璧な肯定を抱くのはまだまだ時間がかかるだろうなと。
私は思う、それでも、好きになる瞬間が私を離さないのだと。
穏やかな気持ちで、帰路につけるだけで、今の私は構わないのだ。
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