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『世界は僕を拒む』#11

「先生には分からないですよ。自分自身に期待できないことがどれだけ不安かなんて。今になっても僕はまだなに一つ手にしていないんですよ。思い出もなにも」
「お前は悲観的になりすぎている。もちろん気の毒だなと思うことだってある。例えばお前が両親をもう追いかけようともしていないこととかな。だけどお前はまだ中学生だぞ?青春なんてこれからじゃないか。なに一つ手にしていないと言ったが、佐藤も高橋さんもお前と真剣に向き合ってくれていたのに突き放したのはお前だぞ?それをまるで被害者のように語るのはどうかと思うぞ。まずはお前がその2人と向き合うことから努力しないと」
「向き合う?」
「…帰るぞ。お前の新しい家知らないから案内してくれ」
太田先生は僕としっかり目を合わせ微笑むと、持っていたタバコを灰皿に捨てた。車内はなんとなく煙たくて鼻をつんざく匂いがあり、エンジンがかかり車が発進すると様々な切ない失恋ソングが流れた。

「…ありがとうございました」
「高橋さんによろしく言っておいて」
僕が車を降りると、車内から先生は顔を出し、垂れた細い目をさらに細くさせて笑っていた。
「先生って、なんだかリアルですね」
「はあ?どういうことだ?」
「高橋さんは先生ほど笑いません。むしろ、先生よりも笑う人を見たことがありません」
「元々こういう顔なんだよ」
「僕は先生のこと無駄に笑う人だと思っていました。だから嫌いでした。愛想が良ければいいみたいな考え方が気持ちが悪いなって。でも、今日、話しをしていて思ったんです。心の奥では何か深いことを考えているんじゃないかって」
「ほう。例えば?」
「例えば…。どうやったら彼女ができるか…とか?」
「余計なお世話だ」
先生は今日1番大きな声で笑った。静かな住宅街にそれが響くと先生はハッとした様子で口を押さえた。
「また明日な」
「はい」
先生の車が去っていくのを見届けた後、僕は高橋さんの部屋へ向かった。

高橋さんの部屋は僕を待っていたかのように、鍵がかかっていなかった。扉を開けるとブラックコーヒーの香りが強く漂っている。
「おかえり」
「…ただいま」
僕は荷物を置いて手を洗いリビングの椅子に座った。
「こんな時間にコーヒー飲んでたの?また眠れなくなるよ」
「先生に送ってもらったのか?」
「うん」
「そうか」
高橋さんは入れ立てのコーヒーが入ったマグカップを持って僕の目の前に座った。
「二杯目?」
「1日で考えれば五杯目」
「やめときなよ」
「関係ないだろ」
そして僕には温かいココアを差し出した。
「ありがとう」
「お前には悪いことをしていたと思っている。自分の罪を隠すためだけにお前の大切な時間を奪い、真実を隠し続け、父親と一緒になって学校よりも働くことが正しいと教え続けてきた。許してもらえるなんて思ってないが。まあ、なんだ、ここに戻ってきてくれてありがとう」
高橋さんの声は震えていた。
「僕、高橋さんと仕事してるのは楽しかったんだって。他の子ができないことをしている。それが僕にとっては自慢だったって何度も言っているでしょ。さっきはごめん。色々衝撃的でさ、冷静じゃなかったんだよ」
「お前の未来への不安感は事実だと思う。今、学校で上手くいかないのも当たり前だと思う。それはこれから俺と一緒に乗り越えて行けたらいいと思っている。ダメか?」
「ありがとう。僕も頑張るよ」
高橋さんは微笑んだ。珍しいその顔に一瞬は驚いたがその優しく切ない顔は僕の心にスッと溶け込んだ。
「僕は高橋さんのこと好きだよ」
「なんだ、気持ち悪いな」
僕はココアを口にした。いつもより少しだけ薄いその味が高橋さんの心を表しているようだった。

僕らは遅い夕飯を済ませ、風呂を上がると、高橋さんはベットへ、僕はその横に敷いた布団に潜った。
「両親の元へ行かなくていいのか?」
「うん」
「寂しくないか?」
「意外とね、寂しくない。元々、お金を渡す時くらいしか顔を合わせていなかったから。しばらくしたら顔も忘れちゃうんだろうな」
「そうか」
「家族って何だろうね」
「さあ、なんだろう」
僕は部屋の電気を消した。


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